湛玄老師の言葉十三
 
必ず本来心に目ざめます。一心同体の本来心だからです。つかまず、持たず、腰かけず、ただ、ただ、一単提。発願即実行。(2003・4・1。提唱)

 
本当の捨て身の実行。ただ教えの通りの実行。目ざめても、目ざめても、いよいよ目ざめていく道。一切を投げ出していくひと筋道。何にもつかまえるものはない。おれが、おれが、の我を投げ捨てる。徹底、投げ捨てていただく。捨てて、捨てて、捨て果てて、死んで、死んで、死にきって、ただ一単提。行じ抜いていただく。
 
わがまま根性を捨てるには、お師匠さまに会うことが大切です。(2003・4・2。提唱)

 
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。身を捨てるとは、私が、を捨てること。何にも持たない根源の本来心。
 
根源。元の元。一つのときは一つっきり。ひと息のときはひと息っきり。無字のときは無字のみ。何を取り出してきても、その根源には何もくっついておりませんでした。
 
ときは今、ただ実行。何もつかまえなくていいのですよ。つかまえないと自分のものにならない、ということはない。すべてをいただき切っているご自身ではないですか。天地一杯のすべてのすべてが、励まして下さっておられます。(2003・4・3。提唱)

 
心念身儀、発露白仏(ほつろびゃくぶつ)すべし。なり切り、なり切り。ぜんぶ満点の仏性の丸出しでおられるのだ。
 
なぜだろう。自分はできが悪いのだろうか。そんなことはありません。満点の自己。いただき切ってもいいんですよ。いただき切ったら何をするのですか。無字なら無字。隻手なら隻手。
 
私が、はどこにもありません。内も外もぜんぶ無字の一単提におさまっている。つかまえられるような真実ではありません。つかまえたなどと鼻をピクピクさせたら、ぜんぶ懺悔して一単提。丹田のどん底から、ただ一単提。苦しいときもありました。よそ見のときもありました。相手にせずにただ一単提。どこまでも、どこまでも、何にもつかまない。
 
言いたいことがあるなら独参のときに仰って下さい。よければだめだなんて言いません。中途ならまだまだと言います。(2003・4・6。提唱)

 
発願文。高祖さまの原点。正法に会わなかったら、発願文はなかった。あるいはもっと違ったものになっていた。
 
衆生。一切のご縁によって存在することを許されたもの。(2003・5・1。提唱)

 
今日は接心第三日。あっという間に接心は円成します。油断できませんね。
 
生命の持続。いただき切っているこの命。真実なるものはあなたご自身。ご自身の本具の仏性に思いをこめて、正しい単提をされますように。どこをどう探しても、私、はありませんでした。そういうときが必ず来ます。天地一枚の本来心。どうぞ一単提。(2003・5・3・提唱)

 
いよいよ接心もなか日。油断なく、一単提、一単提。さらに心決定されて、本物のご自身になり切っていく。ご自身がご自身に決定し本物にもどる。決して無理なことではない。どうか惜しまないで、ま心をつくし抜いていただく。ときは今。この生、累生の身を度取せよ。本参の単提に、なり切り、なり切り。
 
当たり前の世界の、深さ、とうとさ、ありがたさ。(2003・5・4。提唱)

 
高祖さまの発願文、即ご自身の発願文となられましたか。
 
遠い昔と思いしものは、今ここにあり。今ここにおさまっている。どこにも行きはせん。死にはしません。不滅なり。初めなきの初めより、全部いただき切っているご自身ではありませんか。きのうも、おとといも、ひと月前も、今ここにいただき切っている。(2003・5・5。提唱)

 
お一人、お一人、この発願文をいただき切っての一週間の接心。
 
どんなに昨日がすばらしく、ありがたくても、つかまえておくことはできない。きょうは新しいご自身をいただき切っている。今もまたとらえられない。新しい世界に生まれ変わっていかねばならない。しかし命は不滅です。生命の持続。因果必然の法則によって相続していく。
 
正法に会わなければ、私が、が相続していく。目ざめてみれば、真実の自己のみでした。本来心にあっては、有情非情、同時成道。皆さまひとり残らず本心本性のご本尊様。
 
この生、累生の身を度取せよ。この生はじめて生まれてきたように思うかもしれませんが、この生を受けるために千生万生があるのです。幾たび拝読しても、発願文の深さ、親切さ。
 
乾坤大地、一個の自己なり。ご自分がご自分に何を遠慮することがありましょうか。法身不滅、成仏道、の道を邁進している私たちです。
 
接心は今日で終わりではありません。ご自身を大切にしていく接心は、いつまでも継続していきます。(2003・5・7。提唱)

 
刻苦、光明必ず盛大なり。こんなことではだめかな、などと言っているひまはない。勇猛の衆生は成仏、一念頭にあり。これだけでよい。なり切り、なり切り、なり切り。
 
なり切らなくても、なっているのではないですか。その通り。一分一秒も本物でないときはない。衆生本来仏なりと、目ざめた人が惜しげもなく突きつけて下さる。衆生は顛倒妄想の故に知ること能わず。これがなければなあ、と思うでしょう。
 
よそ見をして、よそ見をして、よそ見をしている事実にも目を覚まさない。これから仏性を授かるとか、遠いところにあるものを見つけるとか、そんなよそ見をしている事ではない。ご自分の計らいがついて回る。よそ見であります。悟りたいというのもよそ見。
 
死にきり、死にきり、死にきり、死にきり、何もつかまえない。大死一番、徹底していただく。大死一番するまでは腰を下ろさない。徹底死にきっていただく。(2003・6・6。提唱)

 
どこまでも、どこまでも、ふた筋道ではありません。ひと筋道です。
 
接心、きょうでおしまい。どこかに片付けてしまおうかな。そうはいきません。どこを開いても、ただこの一真実。それなら悟らなくてもいいのですか。そうだ。悟らなくても本具の仏性だ。本具の仏性。本来心。始めなきの始めより、終わりなきの終わりまで、草木国土、悉皆成仏。変わる世に、変わらぬものを見にゃならん。
 
私が、の根源の根源はどなたでございますか。いただき切ってごらんなさい。ひとしずくの雨のあたたかさ。ありがたさ。美しさ。仏祖はすべてをわが命といただき切ったお方だ。
 
心配いりませんよ。すぐによそ見の出てくるグズグズは本来心ではありません。本具の仏性をいただき切っておりながら、よそ見の歩みを進めることは断じてありません。(2003・6・7。提唱)

 
発願文をご自身の発願文にしていただきたい。覚悟して、発願して、発願に準じて、いよいよ行じ抜いていく本来心の歩み。命のどん底で覚悟して、まっ正直に行じ抜いていただく。
 
釈尊はいつも私たちと一緒にいて下さる。(2003・10・1。提唱)

 
この法は、人々、豊かにそなわれりといえども、修せざるにはあらわれず、証せざるには得ることなし。この法、本具仏性、一切は万徳円満なる存在でした。
 
自我の迷執。ご自身をどうしても固まりとしてつかまえてしまう。本来、限りない、限りない、すべてのすべてをいただき切っておられる、お一人、お一人なのに。本具の仏性の正体をからりと見やぶる一単提。
 
本性成仏の真実に目ざめるための正身端坐のご修行。本来のご自身に目ざめたなら、一切あっての我れなりと徹底されます。一切を礼拝しないではおられない。いつでも、どこにあっても、一切を礼拝し、対立も分別もお持ちにならないように。ただこの一真実を行じ抜いていくのみ。本来のご主人公。いよいよ大切に。ただひたすらに行じ抜いていくのみ。
 
私が、などとえらぶる心は、ごま粒ほども持たない。すべてのすべて、ありがとうございました、と礼拝するのみ。礼拝の究極はこの一単提。(2003・10・3。提唱)

 
釈迦牟尼世尊。ようこそ命の根源を見きわめて下された。本来成仏の一切でございました。
 
発願文のすべてがご自分の命の真実ですから、一句一句が命にひびくでしょう。真実の大安心。よろこびの中のよろこび。ただひと筋に行じ抜いていくその安らぎ。本来心の一歩、一歩。皆さまがいま実行しておられる正身端坐、それが本来心に準じきる道。微動だもせず、信じきって、なり切り、なり切り、ただ行じぬいていただく。
 
釈迦牟尼世尊、どこかに行ってしまわれたのではありません。本来心の釈迦牟尼世尊、いつも一緒です。(2003・10・4。提唱)

 
皆さんは今、死にきる修行をしておられるのだ。いわゆる生きるとか死ぬとかいうことではない。わがまま根性、さらりと捨ててだ。私、私、とつかまえているその根性。それを支えているこの体。いつまでも恩知らずで、よそ見ばかりで、すべてのすべての捧げにそむいて、よそ見根性に苦しみ抜きますか。
 
我見我情をうち払って、全身全霊を捧げつくしていくひと息ひと息です。乾坤大地、みな真実の自己でした。みな本来の、親しい、親しい、ご自身であられた。あまりにも近いので、遠いように思うのです。遠いものなら、仏祖は本具仏性とはいいません。わがまま根性さらりと捨てて、おかげ、おかげ、の一単提。(2003・11・4。提唱)

 
ご縁をいただいて、今日ただ今の一単提が実行できる。大死一番、大活現成。死にきってみればまことに楽がある。死なぬ人にはまねもなるまい。楽をするためではないが、ただ、ただ、実行。ときは今。八〇年の一生も、今。
 
万徳円満の千仏万祖も、つかまえていたときは私どもと同じだ。
 
ときが来たらそんな気になるかもしれませんが今はだめです、などと遠慮をしていてはご自身に申し訳がない。乾坤大地、何を見てもよしよしと、暖かくなぐさめてくれるものばかりではございませんか。限りなく、果てしなく、即今、今ここ。わがまま根性はどこにもありません。(2003・11・5。提唱)

 
やるべきことは一単提。全身全霊を尽くしぬいて、すべての自らのはからいをいさぎよく手放して、ただ一単提。数息観に参じておられる方は数息で、授かりきっている本来心になり切っていただく。本物のご自身になり切り、なり切りして、永遠に不滅のご自身にあきらかに徹底する。時節因縁が熟してくると、ご自身に明らかに徹底することができる。天地一枚のご自身でした。
 
天地一枚だと、どんないいことがあるのですか。不思議ですよ。すべてのすべてをいただき切っているご自身。天と地におさまっているすべてを授かっている。無限の真実が今ここに。どこにでも本来おさまっているこの命。天地同根、万物一体。遠慮しても、しなくても、本来の自己は如来の知恵徳相を具有す。
 
千仏万祖、目ざめられた方は、乾坤大地、一個の自己。しがみついているような私ではありません。果てなき果てまで見通して、ただこれムー。本具仏性を信じきって、ご自身のすべてをつくして、ただ、ただ、一単提。
 
常にいただき切っておられる本来の自己。本具仏性。弱虫根性がちょこっとでも出たらもったいない。うわっ面に引っかかりやすいくせを持っておる私どもでありますが、本具の仏性になり切っていただく。(2003・11・6。提唱)

 
乾坤大地、一個の自己なり。この一真実。(2003・12・2。提唱)

 
開経偈の話。
 
天地同根、万物一体、の本来心。どうぞいよいよ大切に一単提、相続していただきます。(2003・12・3。提唱)

 
世界中の人々が、かならず救われる法はありませんか。一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。もれる人は半人もありません。半人どころか、有情非情、同時成道、草木国土、悉皆成仏。一即一切。指の先をけがしても全身で受け止める。
 
よそ見をしているために、限りなくとうといご自身の真実を知ることができない。ご自分にとどこおるとき、そこに自他のへだてが生ずる。救われていない世界です。
 
今生より未来際をつくして本具の仏性。だからかならず救われます。ならば今ここで心がけることは何ですか。それは自未得度先度他。自分が救われる前に他のすべてを大安心させてあげること。本具の仏性のご主人公であると自覚させてあげること。どうして他を先にするのですか。ひと言で申します。自他不二。
 
すでに救われているものが、どうして救われるための道を歩まなければならないのですか。顛倒妄想の故に知ること能わずです。
 
自分がすこし楽になったからといって、腰を下ろしたり、油断したり、いい気になっていてはもったいない。(2003・12・5。提唱)

 
今このすべてのすべては、真実の自己のすべてであった。降る雨のひとしずくも、万徳円満の真実のあらわれです。一切は万徳円満なり。
 
自未得度先度他。ご自分が楽になる前に、ご縁のある方に少しでも楽になっていただく。(2003・12・7。提唱)

 
我れを離れて一切なく、一切を離れて我れなし。目が覚めるまでは、一切と我れとへだてある世界。目ざめたときは、有情非情、同時成道、草木国土、悉皆成仏。
 
本来の自己は、くよくよするようなものではありません。何見ても、何を聞いても、何にふれても、どんなにじたばたしても、本来の自己、本具仏性。全部が救われきっておられる。(2004・2・1。提唱)

 
一切衆生は如来の知恵徳相を具有する。一切の付け足しはありません。
 
一生懸命。命がけでなければだめだぞ。命がけでやれば今抱えている問題は必ずほどけてしまうぞ。そうお師匠さまの言われた通りだった。その通りの世界になってしまった。
 
死んだみんなはどこかへ行ってしまったのではなかった。分かれることなど永劫にない。草も、木も、限りない宇宙のかなたも、みんな親しい親しい自己の一真実でした。ただ、ただ、ただ、みんな一単提になってしまった。自分だけ助かったのが苦しかったが、みんな大丈夫、助けていただいておりました。
 
どこにも行かぬ、ここにおる。ついに大地の有情とともに成道することを得ん。仏祖の大道のひと筋道を行じ抜いていただく。我らが当来は仏祖ならん。(2004・2・3。提唱)

 
発願文のどのひと言をとっても、我見我情を捨てなさいとお示しになっておられる。今すべからく生まれ変わりなさい、と。
 
我の固まりであると明らかに承知しておりながら、引きずり回されて自分を救うこともできず、縁ある人々を苦しめる。いつまでしがみついているつもりですか。衆生本来仏なり。すべてのすべてをいただき切っておる。どんなことがあっても失われるものではありません。
 
八〇にもなって、つべこべつべこべ言っても、皆さんの耳のゴミになってしまいますね。
 
腰掛けが黙ってじっとしておる。一時間も坐って勉強させてもらっても、いっぺんのお礼も言ったことがなかった。ありがとう、腰かけさせてくれてありがとう、と。ほめられもせず、感謝もされず、それでも文句は言わない。よし。腰掛けになろうと思った。疲れたなどとけちなことは言わない。いばらない。することはする。してならないことはしない。腰掛けはよいお手本。
 
吹く風が、あなたを守るよ、と語りかけてきた。こんどは木が、あなたを守るよ、と話しかけてきた。十七歳のときです。そのことがいつも励みになりました。
 
私たちが知ることができるのは、物ごとのうわっ面だけだ。うわっ面の、うわっ面の、うわっ面だけ。それがすべてだと思って、わがまま根性で生きておる。
 
いつでも、どんな時でも、一単提。私は、無字の公案をいただいて、ただ無字をやり抜きました。やり抜けば必ず分かります。一生懸命でもふつうの一生懸命ではだめだ。(2004・2・4。提唱)


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