湛玄老師の言葉十二
 
接心もいよいよ仕上げ。いよいよ純一無雑に相続して下さい。これ一色の正信心なり。たった一色。それはどんな色ですか。捨て身の一単提。
 
本具仏性を授けていただきながら、大安心が得られず、頼みもしないのにわがまま根性が顔を出す。それがなくなったらがんばります、などと言っていたら億兆年たってもなくならない。できのいい自分になったらがんばります、できのいい仕事をします、などと言っていたら、わがまま根性、どんなに大きな顔をすることか。
 
わがまま根性さらりと捨てて、おのれ未だ渡らざる先に一切衆生を渡さんとす。できの悪いままでよろしい。一切衆生を救わん。
 
何でできの悪いままでいいと言うのですか。大丈夫だからです。山ほどくしゃくしゃをもっていても大丈夫。山ほどわがまま根性という方もよしよし。おのれ未だ渡らざる先に一切を渡さんとする人に守られているからです。大丈夫。本具の仏性力すべてをいただき切っている皆さんです。
 
苦しんでいる人がたくさんおられますから、自己を忘れて救ってあげて下さい。いさぎよく覚悟をなされて。
 
一切の衆生を先に渡さんと覚悟するなら、この覚悟は本具の本来心に裏打ちされている。大丈夫。ただひたすらに守り抜いて下さるお方ばかり。乾坤大地、自未得度先度他。どこにもけちな根性は残っていませんでした。ただ、おできになる一杯一杯、捧げつくしていくのみです。(2002・6・6。提唱)

 
私があるというまちがったくせが、一切の不平不満、恐れの元。出発点においてまちがっている。よそ見をしている。(2002・10・1。提唱)

 
初めの初めから、すでに本具の仏性。満点のご自身。山登りに例えれば、常に満点の山を登っておられる。道からはずれたり、谷底に落ちたり、ということはございません。ご自身の一真実の山登り。天地一杯、完全無欠の本具の山。
 
一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。我らが当来は仏祖ならん。大丈夫。もったいない。
 
金木犀(きんもくせい)が満開。天地一杯の、ようこそ、ようこそ。満点のすべてをつくして下さるすべてのすべて。この一真実を一歩一歩踏みしめ、ご恩返しを実行できるありがたさ。
 
足りないものだらけと思っているのは、足りないものだらけのよそ見。与えられきっているすべてのすべて、すなおにいただき切ってまいります。
 
本来の自己の、ひと呼吸、ひと呼吸。ただ実行。やり抜いていただく。(2002・10・4。提唱)

 
いよいよ熟した上にも熟してまいります。本具の仏性を信じきっての一生懸命の覚悟と実行。参禅の皆さま。お一人お一人。みな真実の自己。本具の仏性。お一人きり。天下一品でいらっしゃる。
 
乾坤大地、一個の自己。限りある自分と思いこんでしまうから、あまりにもけた違いのいただき方、小さなけち根性の用い方をすることになる。さあ、いかなるかこれ真実の自己。いかなるかこれ本来心。本物のあなたはどこにおられますか。確かなるもの。絶対の大丈夫。
 
我れ、我れと、私、私と、あり、ありと、思いしものはなかりけり。私が、私が、とつかまえて苦しみますか。真実ならざるものを真実と思いこんでもそれはにせもの。にせものをつかまえて、私が、私が、と。
 
本来の自己。自他ふたつなし。分けられませんでした。(2002・10・5。提唱)

 
ただ。ただ。ただ。ただ。ひたすらに。ひたすらに。ひたすらに。本来の自己に。いよいよ。いよいよ。親しく。親しく。
 
仏道をならうとは、自己をならうなり。自己をならうとは、自己を忘ずるなり。自己を忘ずるとは、天地一杯のご自身になることなり。
 
私が、が大きくなれば、人生の目的は達せられると思いこんで、私が、を大きく大きく育てて、いささか調子がよければ得意になって、あらぬ見当ちがいばかりして、他を見くだしたり、軽蔑したり。
 
つかまえなくてもいいんですよ。つかまえようとしても、つかまえられるようなけちな事ではございません。ついには大地の有情とともに成道することを得ん。
 
目を開かないうちは、よそ見、よそ見。生々世々、いくたびも、いくたびも。
 
天地一杯、本来の自己に満ちています。離れようもありません。どこにも行かず、今ここ。本来の自己にただ準ずるのみ。
 
餓鬼になり、鬼になって、人を苦しめる。そういう人はおられませんか。
 
我のかたまりで苦労された諸先輩方。えっ、仏さま方も我の固まりで苦労されたのですか。その通り。苦労されなかった方はアリ一匹おられませんでした。
 
さあ、安心の本体に徹底していただく。一単提。(2002・10・6。提唱)

 
正法とは、一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。わが命はこの一真実であった。出発に当たって本具の仏性を疑いません。どんなことがあっても疑いません。
 
自分だけが楽になる。自分だけが救われる。そんなけちな世界ではありません。心配ない。大丈夫。(2002・11・1。提唱)

 
お一人、お一人、たったお一人の世界であります。そのお一人、いかがでありますか。満点の自己、足りないものもなく、余分なものもない。
 
自我の分別の明け暮れを、いくたびも、いくたびも、いく生も、いく生も、続けてこられたご自身ですぞ。その証拠に、よそ見しておられるでしょう。(2002・11・2。提唱)

 
優しそうな顔をしていても、中を調べると我の固まり。
 
教えの通り実行すれば、大死一番、大活現成。大とは徹底ということ。変わりますよ。けちな根性さらりと捨てての一単提で。変わってもらわねばならぬ。本物に目ざめていただく実行であります。
 
目に一杯、耳に一杯、命に一杯、どうぞ本来の自己に大復活していただきますように。自らが救われる、ということに終わるものではありません。
 
大丈夫。なせばなる、必ず。行ずれば必ず了ず。因果必然。行じぬいていただく。(2002・11・4。提唱)

 
本具仏性、とお示しいただいて、仏縁深く正身端坐、本来心を行じ抜いていくお方、どなたですか。
 
いよいよ親しく、いよいよ直々に、今ここ、今ここ。ついに大地の有情とともに成道することを得ん。(2002・11・5。提唱)

 
何を見ても、何をきいても、もったいない。
 
大切な接心の仕上げに、いつまでもグズグズ言っていては申し訳ない。ただすなおに実行あるのみ。(2002・11・6。提唱)

 
朧月八日。釈尊が大復活された日。無限の大宇宙のすべてが、わが命におさまっておりました。すべて自分におさまっておった。どこにも行かぬ。ここにおる。
 
悲しみの元、くよくよの元、心配の元、それらをつかみ出してはぐずぐずやっておる。仏の家には何にもありません。
 
すでにいただき切っておる本来の自己。ただ一単提。行じ抜いていただく。(2002・12・1。提唱)

 
身を捨てて、身を救わるる臘八会。
 
乾坤大地、この一真実。すでにご自身の一真実です。何もくっつける余地はございません。この一真実。正しくすなおに行じ抜いておられるのに、衆生は顛倒妄想のゆえに知ること能わず。一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。このこと以外に何にもございません。
 
ひとたび志したる道なれば、よしやかたつむりの歩み遅くとも。対立の世界にぐずぐずしておっては申し訳ない。あいすまん。
 
願わくは、我が身をも心をも放ち忘れて、何にも持たない、つかまない、描かない。(2002・12・2。提唱)

 
この法、人々豊かに備われりといえども、修せざるにはあらわれず。証せざるには得ることなし。
 
ネズミの赤ちゃんと仏さまとでは、天地ほどの違いがあると思うでしょう。そうではない。
 
私が、などというわがまま根性の主人公は、どこにもおられないと覚悟して、身も心も放ち忘れて、仏の家に投げ入れて、持たない、つかまない。
 
何があろうとも、すべてのすべてに守られきっているのはご自身です。なぜなら、天地一杯のご自身だから。
 
恩知らずにこの生を過ごしてしまいますか。捧げて、捧げて、ただ一単提。大丈夫、みんな必ずやり抜いて下さる。(2002・12・4。提唱)

 
発願文をつらぬく心を、よく味わっていただきますように。ご自身のすべてが発願文になり切ってしまうぐらいに。発願文が誰か人のことのように思われるのは、まだ徹底していないからです。ご自身にいちばん親しい事実。本具の仏性。
 
どんなことがあっても、ただ一筋道を行じ抜く。何にも出てこなくなるまで。何にも顔を出さなくなるまで。それが満点の事実。いよいよ純一無雑に、なり切り、なり切り、実行するのみ。(2003・2・1。提唱)

 
ついに大地の有情とともに成道することを得ん。無情が抜けているようだがそうではない。すべてのすべて。乾坤大地、真実の自己。天地同根、万物我が一真実。ただご自身の真実に徹底して下さい。
 
言われた通り相続するのだぞ。きょろつくでないぞ。行じ、行じ、行じ抜いていくのだぞ。ときは今、所このまま。(2003・2・2。提唱)

 
本来心を許されておられるのは、皆さんご自身です。本来の自己。ご自身の真実に徹底する。本来の自己は満点ですよ。迷い、悩み、何にもありません。
 
明らかに徹底するために、よそ見のくせを手放して、一真実に身も心も捧げつくす。本物に捧げつくせば、本物がその通り、と。本物を明らかにいただき切ることができる。
 
遠慮して、私のような者はとても、というのも自我の迷執。本具の仏性を軽く扱ってしまうからです。恩知らずのもったいないよそ見のくせです。
 
何もいただいておりません。そんな貴いものを私は、というのも恩知らずですよ。一切すべてが、本物を捧げきって下さっているのだから。
 
本具仏性、自他不二。はなれているものは何もございませんでした。(2003・2・3.提唱)

 
私などだめだというのは謙虚ではない。その反対だ。身も心も放ち忘れて。言い訳など何もありません。すなおに身も心も放ち忘れて只管打坐。ご主人公は本来心のみ。
 
何もせずに全部いただき切っている。いただいていても、つかまえることは不要だ。みんな守られきっておられる。救われきっておられる。衆生は顛倒妄想のゆえに知ること能わずだ。
 
ひとつ息をするのでも、天地一杯いただききってのひと息だ。(2003・2・4。提唱)

 
学道さわりなからしめ。いただき切り、いただき切り、まっ正直に行じ抜いていく。一切衆生はすべてのご縁をいただき切って、このひと息、ひと息を許されている。一単提。本具の仏性の丸出しですぞ。
 
何かをつかまなければ本物になれない。そんなことはありません。このごちそうをいただき切って下されば、無辺際、腹が減らない。全部、与えられきりながら、足らん、足らん、と愚痴ばかり言っておりました、となる。千仏万祖にお応えするのは、あなたご自身です。(2003・2・5。提唱)


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