湛玄老師の言葉十一
 
天晴れて日頭、出でたり。からりと晴れた大空。大空はいつもからりと限りなく、へだてなく、晴れわたっておりました。ご自身の世界は晴れわたっておりますか。
 
得失是非、迷悟凡聖、損した得したの雲が浮かんできますか。つかみやすいものが、ふわふわと湧いてきますか。一単提、からりと晴れわたり、雲のひとかけらもとどまっておりませんでした。
 
目を開けば目を開いた世界。耳に聞こえる世界。今日はあったかいな。すべていただき切っている世界。
 
つかもうとして、つかまえられる何ものもありません。つかむもの、つかまえられるもの、分ける何ものもありません。
 
お師匠さまにお会いして、私の言うとおりに実行すれば、お前さんが問題にしているすべての問題はほどけてしまうぞ。それどころではないぞ。不滅の自己に目ざめて大歓喜するぞ。そう言われて実行できる一杯一杯、実行しました。
 
さあ、ときは今、ただ実行。つかまなくてもよろしい。持たなくてもよろしい。ただ実行。(2002・2・6。提唱)

 
本具の仏性。必ず成道なさる。私のような者がどうしてそのようなことができましょうか。それは悪い遠慮です。
 
つかまず。持たず。無一物中無尽蔵。目に一杯、耳に一杯、与えきり、尽くしきり、守りきっておられるではありませんか。(2002・2・7。提唱)

 
本具の仏性を信じきって、参禅弁道して下さるみなさん一人一人のけなげな志。しかし、これぐらい覚悟があればもう充分だ、という方はまずいないでしょう。
 
その志の本筋にかなっているかどうか。正しい願いをいただき切っておられるはずですが、その志をさらに純一無雑に。
 
本来の仏性が自己であるということを、ただひと筋に、いただき切り、信じぬいて、さらにさらに徹底しておいでになると、発願文を拝読するとき、それが即ご自身の発願になられるでしょう。願わくは、とご自身の命のどん底からあふれてくる、ひと筋の願いであります。願わくは我と一切衆生と、この一語をもってしても本物の願いであります。
 
出発のときの覚悟に、ご自身の命のありよう、ご自身の一切がおさまっておられる。
 
そこで、今生より生々をつくして正法をきくことあらんと。ご自身のありようが、即今のここ、このとき、この生が、即生々をつくしての尽未来際であります。はてなし、限りなし、というご自身のまことのぶっ通し。そこで正法をきくことあらんだ。
 
万徳円満。すべてのすべてをいただき切っているという事実。釈尊が見破られたこの世界の真実。天地同根、万物一体なり。
 
衆生は本来のままにいただき切ることをせず、顛倒しておる。わがままな思いつき、信じこみ。本来の自己などどこへやら。遠い遠いいただき方をしておる。それでも見放されている訳ではない。
 
本来のご自身から奪われるものは何もないのに、よそ見を始めて、ちっちゃい固まりを妄認して、つかまえておられる。限りを作り、へだてを作る。そこから生まれてくるものはみな不実なものでしょう。
 
千仏万祖、その出発に当たっては、私たちと同じように、ああでもない、こうでもない、と悪戦苦闘し右往左往された。それが本具の仏性をお示し下さるお師匠さまにお会いなされて、ああそうですかと。本物は一つっきりだ。
 
よそ見をしているためにかついでいるお荷物をさっぱりと下ろします、ひと息でも油断しないように覚悟を決めて精進しますと、油断なく、油断なく、実行していただく。(2002・4・1。提唱)

 
大人物だ。誰が。みなさまご自身。天上天下、本来の我なり。何か足りないものがありますか。
 
すべての、すべての、すべての、すべて。本来の自己の露堂々(ろどうどう)。初めなきの初めより、終わりなきの終わりまで、本来心の露堂々。
 
つかまえられるものは、ことは、時は、どこにもありません。
 
何かがあるあるとつかまえたがる。用いたがる。ありありと思いしものはなかりけり。なかりし我のあらわれし時。誰も奪うことはできない。さあやり抜いていただかなけりゃならん。ただひたすらに、ひたすらに。
 
世界中の人がみんな苦しんでおられる。私、私、私、私、と私をつかまえて。
 
ただひたすらに、ひたすらに。全部いただき切っておられるこの本来心。天上天下、唯我独尊。いばっているのではありませんよ。
 
無尽蔵の本来の自己。みなさんご自身が必ず決定する。我らが当来は仏祖ならん。いばって言っているのではありませんよ。
 
ふた心はどこにもありませんでした。すべての、すべての、すべての、すべて。(2002・4・2。提唱)

 
発願文は高祖さまだけの発願ではない。一切衆生の発願である、ということを覚悟していただきたい。
 
仏さまの命。仏さまの真実。それは天地同根、万物一体。ここにあっては、わけへだてされたすべてのすべてが、全くへだてのない真実そのものでした。一切のすべてのすべては、わが命でした。有情非情、同時成道、草木国土、悉皆成仏。(2002・5・1。提唱)

 
願わくは。まっ正直なご自身の命のどん底より、切々と湧いてくる世界。願わくは我と一切衆生と。この言葉。
 
釈尊、成道のそのとき、奇なるかな、奇なるかな、と。お釈迦さまのおん命がまさに驚天動地、天地一杯に震えあがっていらっしゃる。しかもそれは大肯定の納得の事実そのものであられた。奇なるかな。奇なるかな。これ以上の喜びはあらわれてこないという世界。
 
その次の一句。一切衆生は如来の知恵徳相を具有する。一切衆生、この世のすべてのすべて。人々とだけ限ることはそこにはない。一切のご縁によってあらわれているすべてのすべて。一切衆生。
 
それは即一切の存在。存在のすべて。じっとしている存在はない。固まっているものもない。初めなきの初めから、終わりなきの終わりまで。今日ただ今をぶっ通しで、一切衆生ことごとく如来の知恵徳相を具有する。満点の命の実現でした。
 
すべてのすべては、命のすべてをかけて求めていたものは、無欠無余の救いそのものであった。みな救われ切っている一切であった。(2002・5・2。提唱)

 
「明日ありと思う心のあだ桜、夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは」。これはみなさんに申し上げるというよりも、私が自身に念を押していることです。
 
大丈夫かな。大丈夫です。にっこりされている方があるかな。
 
身を捨てて、身をすくわるる貝杓子。捨ててこそ、捨ててこそ。大死一番、大活現成。てってい死にきる。死にきる。ほかに本当の修行はございませんでした。肉体的なことを申し上げているのではありません。
 
たった一つの世界が丸出しに体現された。自己も他己もただ一真実の丸出しであった。
 
自らが、自ら捨て身になっていくのみ。尽くしぬいていくのみ。捧げつくしていくのみ。
 
朝から晩まで、晩から朝まで、すべての、すべての、すべてが、与えられきっていた。
 
満点のすべてを与えられきっているご自身です。ただ顛倒妄想のために知ること能わずだ。余計なものをくっつけるからです。くっつけると、いじけた、ちっちゃいものになってしまう。
 
本気になって体当たりだ。体当たりだ。それ以外にない。(2002・5・3・提唱)

 
どこまでも、なり切り、なり切り。一真実に、なり切り、なり切り。ただ、どうぞ、いよいよ、ひと筋に。万里一条の鉄。ただ一単提。行じぬいていただく。本来のご自身の実行あるのみ。
 
これ一色の正修行なり。これ一色の正信心なり。これ一色の正信身なり。
 
ただひと筋。ただひと筋。今ここ。まだか、まだかと、待つ必要はない。あせる必要もない。大丈夫、本具の仏性。本来心はいばったりしない。けち根性もない。
 
遠慮することなく精進不退。如来の知恵徳相を具有すと証明をいただいているのだから、ただ実行しぬいて下さるように。

一切、ただひたすらに、ただひたすらに、尽未来際をつくして、今ここ。ついに大地の有情とともに成道することを得ん。いつも、いつも、乾坤大地、一個の自己。(2002・5・6。提唱)

 
接心も第三日になり切っております。さあ、なり切り、なり切り、なり切り、なり切り。これに参じなさい。
 
なり切りの世界は、私が、私が、とつかまえるくせを捨てていく世界だ。本物になり切りしていく世界だ。本物の真実。本物の事実。それは決してご自身を裏切ることはありません。ご自身は本物のご主人公。
 
この世の真実のすべてのすべてに徹底された方。仏さま。

二つあるのが迷い。そういう世界から現れるのが世法。一切がばらばらの、へだてある世界。あれとこれ、私とあなた、と別々に使いたがる俺が俺がの世界。そんなあやふやな、ちっちゃな本来心ではありませんでした。本具の仏性、晴れやかに、晴れやかに、はるばると、はるばると、迷うことのない一真実。因縁生故無自性。残る何ものもありませんでした。
 
誰がこんなすばらしい真実を授けて下さるのですか。いりません、と言ってことわる私もありません。
 
天地一杯の本来心を、悠々と使い通しに使い切っておられる。
 
火の中に放りこまれても、じたばたせずに徹底していける。
 
不滅の本来心。どこにもまいりません。どこにも行かず、ここにおる。どこに。よそ見している人には話してあげられない。まっ正直なこの本来心。みがけばみがくほど光かがやく。どれぐらい親切にみがかれたか。どうぞ、覚悟をして実行を。(2002・6・3。提唱)

 
生を明らめ、死を明らめるは、仏家一大事の因縁なり。生死の一大事に目ざめる。仏縁を授けていただいて、何を命としていかれるのか。あれも、これも、とすることではない。
 
人生でいちばん大切なことは、こんにちただ今のことなり。一大事因縁は、こんにちただ今のことなり。こんにちただ今ではございません、というものがどこかにありますか。ただ今が全部をつつみきって下さる。ただ今より、もれる何ものもございませんでした。
 
つかまえられますか。つかまなくとも、こんにちただ今。このこんにちただ今に、なり切り、なり切り、なり切り、なり切り。
 
天地一杯、この真実。この暖かさ。底抜けの暖かさ。いよいよ親切に。ただひたすらに。
 
本来の自己。不滅の自己。すべてのご縁をご縁として、捨て身のすべてをいただきながら、捨て身になれないはずがない。一大事とはこんにちただ今。尽くしぬいていくのみ。(2002・6・4。提唱)

 
なり切り、なり切り、なり切り。世法を捨てて、仏法を受持する世界です。
 
ただ教えられたとおりに実行する。私が、という分別はついていない。私が、などというものはにせ物ですよ。
 
本来の自己に目ざめたら、どんないいことがあるのですか。目ざめて下さい。どんなに今までよそ見ばかりして、万恩をいただいていることにすら気がつかず、当たり前の顔をして恩知らずであったことかと。
 
自他別々の世界、世法。自他不二の世界、正法。全部をいただいて、全部に準じて、ぴたりぴたりとお役に立っていける世界。
 
正法に遭い遇うて六〇年にならんとする。正法を教えていただいて幸せだったですね。十年、二十年と坐りなれた人が隣の単にいて、ぐんぐんと坐って下さった。ぐんぐんと引っ張って下さった。
 
どこまでも、どこまでも、千仏万祖が守りきって下さっています。さあ、やり抜いていただく。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。(2002・6・5。提唱)


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