湛玄老師の言葉十
 
無上甚深微妙の法。高い、高い、深い、深い、かすかな、かすかな、ありがたい、ありがたい、事実。即、皆さまご自身の真実。智慧分別をもってこの真実を見とどけることはできません。それは限りないものだから。限りあるものでもって、限りないものを見とどけることはできない。
 
一即一切。どの一つを取り上げても、すべてがちゃんと収まっている。(2001・12・1。臘八提唱)

 
提唱では真実を隠さずに、惜しまずに、全部お伝え申し上げる。いつでも、どこにおられても、何をされていても、本来のまったき命の真実。円かなること、太虚(たいきょ)に同じ、欠けたる何ものもなく、余る何ものもくっついてはおりません。
 
太虚。この全宇宙を太虚と申し上げる。まさに円かなること無欠無余。今この道場で修行されておられる皆さまが、その主人公であられる。すべての、すべての、すべてをいただき切っておられるのは、みなさま方ご自身。
 
全部いただき切りながら、ご自身で作られたのは髪の毛一本ございません。それなら借り物ですか。そうではない。満点に与えられきっているこのおん命は、毛すじ一本も借り物はない。いただき切っているご自身のおん命です。
 
すべてはわがふところであった。ふところの中には、大切な大切な、ご自身よりも大切な、我が子のみであった。(2001・12・2。臘八提唱)

 
苦しみ悩む原点、私が。今生だけで始まったくせではありません。
 
真実の世界にへだてはない。乾坤大地、一個の自己なり。お釈迦さまは徹底大悟されて、ちっちゃな私などどこにもありませんでした、と。得意絶頂なんて、そんなもの持っておられない。本心本性、ご自身のすべてを尽くし抜いて、なりきり、なりきり。どうぞこの一筋道、準じきっていただきますように。(2001・12・3。臘八提唱)

 
大切な接心も中日。お一人、お一人、固い決心と深い深い覚悟でもって、参じていただきますように。この一真実にすべてを投げ出していきますと、決心していただきますように。なせばなる。
 
ご自身が、ご自身を、本当に見とどけてあげないと。自らが自らの真実に徹底決定しないですまされる訳がない。わがまま根性を大切にしておられるようでは、我がまことの真実にどのように対面なさるのですか。ありありと思いしものはなかりけり。私があると思うておるでしょう。どこにどんなお方があるのですか。不滅の本当の私を見とどけての私ですか。
 
本来の命の大山。わが命としている天地一杯の山。どんなことがあっても決してびくついたりはしない。毛すじも傷つくことはありません。一切のまことのすべてをいただきながら、そのほんのかすり傷にもならない所をいただいておる。そんなことではだめです。
 
本来のわが命に目ざめた方、どのくらいご自分のすべてのすべてを投げ出して、一単提、一単提、坐り抜かれたことでしょう。ご自分の最愛のものを手放されて、人々の苦しみを我が苦しみと受け止められて、一切の苦悩からの解脱を完成しなければならない、と。
 
そして、大きな、大きな、宇宙一杯の大山に復活なされた。満点のこの一真実。けちな分別のつく何ものもありませんでした。明けの明星の一見。おそらく汗一杯になられたことでしょう。感激の涙で一杯になられたことでしょう。すべてのすべてを苦悩からお救いしようと覚悟を決めたことでしょう。しかし救うべき衆生はおられなかった。
 
衆生は顛倒妄想のゆえに、救われていながら苦しんでおる。ただ目を覚まさないために苦しんでいるだけなのだと、世界が根底から変わってしまった。一切衆生の歩みを励ますこと、真に励ましてあげることが始まったのです。
 
大恩にお報いするには、本来の自らの命に目を覚まさなければ。上っ面だけではかえって恩知らずになってしまう。にせものでは自らを苦しめ、人をも苦しめることになる。身を捨てて、身を救わるる貝じゃくし。捨てなきゃだめ。捨てなきゃ救われない。(2001・12・4。臘八提唱)

 
ひとたびはこの一真実に徹底されて、涙のたねの枯れるまで泣いてもらわねばならん。よそ見ばかりしておりました。ご心配をおかけしました、と。
 
どこをどう探しても、私、は見つかりません。なぜか。大死一番。本物だけが復活したところ。本来心の露堂々。何の不足もありませんでした。
 
なかなか礼拝ができませんね。ぴりっとでもわがままを持ちあわせていると不自由ですよ。無上甚深微妙の法。どなたのことかな。まだ足らん。まだ足らん。まだ磨きが足らん。油断すると長年のくせが飛び出す。油断はできん。昔のくせが出てくると、偉いのはわしじゃ、なんて。懺悔して。懺悔して。白紙の上にも白紙になって。何にも持たない時いただき切っておる。
 
一歩。一歩。大丈夫。かたつむり登らば登れ富士の山。かたつむりよりちっちゃくても卑下することはありません。あるままに、あるままに、全身全霊、一単提、無字の万里一条の鉄。
 
よそ見しているひまはありません。徹底された世界はどの点からも、何にもくっつく余地はございません。さあ、釈迦牟尼大世尊へご恩返しの一単提。八日の成道会には徹底、礼拝していたきます。(2001・12・5。臘八提唱)

 
無上甚深微妙の法。この世にあって、人として生まれさせていただいて、お一人、お一人、ただお一人きりのおん命を授かるという事実にあい、限りなく、限りなく、どの点からも限りなく広い無限の虚空をいただき切り、しかも限りない過去を土台になされて、限りない無限の歩みを相続しておられる。いつまでも人の身を授かるとは保証されておりませんよ。
 
一即一切。一切の存在はみな一切によって現れているんだよって。
 
道元禅師は、賢い、賢い、頭の働きを大活用されて、何千部という経本を読みくだき、かみくだき、仏さまの教えをいただきたいと勉強されたが、どうしてもぎりぎりの大切なところになると届かない、真実の解決ではない、ということをご自身の命で承知された。
 
其中衆生、悉是吾子。この教えを知るためには、釈尊の教えを実行しなければ届かない。釈尊の境涯を体現された方に会い、直々に証明していただかなければならない。そう考えたが、大宋国でたずねてもたずねても、分別の教えはあっても本当に満足する教えはなかった。
 
本物に復活なされたとき、どこを探しても私、などありませんでした。ここにあるじゃないかって、それがよそ見。一口いただくお粥でさえも、まことの捧げがなければこの命を支えられない。
 
一番の宝ものの中の宝ものは、みなさんご自身です。なぜ宝物だと言うことが許されるのですか。真実のご自身は不滅です。不滅のおん命のご主人公。円同太虚、無欠無余。本来心は守りあい、捧げあい。
 
正身端坐。正工夫の一単提。宝の中の宝を、磨いて、磨いて、にっこりとほほえまれますか。どうぞ徹底していただきますように。(2001・12・6。提唱)

 
いよいよ接心、しめくくりに向かっております。せっぱ詰まってくると本物が飛び出す、ということもよくあること。ご自分の一杯一杯をつくしたつもりでも、なかなか真のなり切りなり切りとはいかない。窮すれば通ず。いよいよ決定の捨て身の一単提を。
 
けさ開山堂の明かりがつかないので、ろうそくを全部つけて独参しました。悪あきらめはいかん。徹底これでよし、ということになりきらなくても、あきらめることはありません。どんなことがあっても、一真実は微動だもいたしません。つねに満点に円成する。大丈夫。
 
その真実に目ざめられた方。仏さま。如来。そして本具仏性は皆さまご自身の真実です。どんなことがあっても、決して悪あきらめ、悲観することはありません。
 
お一人、お一人、絶対に平等に本具の仏性のご主人公。と申し上げても、気をゆるめなさいと言っているのではありません。いよいよ全身全霊をつくして、与えられている事実にすなおにすなおにつくし抜いていく。
 
ころんでも立ち上がり、ふらついても立ち上がり、つまずいても立ち上がり、行じぬいていく。なり切り、なり切り、捧げつくしていく。決して無理なことを要求しているのではありません。時所位に順応していかれるこの一決。
 
ご自身が全部をいただき切っていれば、打たれればひびく。常に全部をいただき通しにいただき切っておる。真実はひびき通しにひびいている。ちっちゃい上っ面だけつかまえて、自分だと思っていては、どんな誤りをするか分からない。自我の迷執。
 
アリが、小さいと思って軽くあつかわないで下さい。私はアリのおかあさんですよ。ちっちゃいアリが、ちっちゃい赤ちゃんに腹一杯食べさせておるんですよ、と。
 
この無限の大虚空のすべて、ばらばらなものは一つもありません。一切は一切によってその事実をあらわし、その事実相応の働きをあらわしておる。生命の持続。感応道交。本来自他なし。乾坤大地、我が事実でありましたと、釈迦牟尼世尊は十二月八日、目を覚まされた。
 
いかなるかこれ本来の自己。皆さまもそのお一人だ。ああだ、こうだ、は相手にしなくてよろしい。ただひと筋に一真実に準じていただきますように。捨て身になって相続して下さい。勇気りんりんと捧げつくす皆さまの本来心。(2001・12・7。臘八提唱)

 
高祖さまの発願文、即みなさまの発願文、と徹していただきますように。何をご自身の命の願いとなさるのか。人生の目的。人の身をいただき、今日このように行じぬいていくことができる。何のためなのか。
 
幸いにこの人の身を授かり、発願の時をいただき、しかもその願いの通りに歩みを進めていくことができる。ひと息、ひと息が、ご自身の発願の実行であられる。
 
老大師に会ったとき、その厳しい厳しい目を見て震えあがった。
 
自分が何かするように思っていたが、そうではなかった。ついに大地の有情とともに成道することを得ん。私が、は顔の出しようもありませんでした。本来心の真実に生きているご自身。どうぞ、本来心の実行の一単提、行じぬいて下さい。(2002・2・1。提唱)

 
皆さまの世界、小さな世界ではありません。天地一杯、無尽法界をいただき切っているご自身。無上甚深のすべてのすべてをいただき切っているご自身。正法を拝し、正法をいただき切り、ただひたすらに一切のためにつくし抜いていく。
 
よそ見ばかりのなまけ癖の私ですけど、すなおに準じていきます。ときは今。今ここ。まごつきません。ただ準ずるのみ。キョロつきません。ただ一単提。尽くしゆく一筋道の一単提。たおれても立ち上がり。たおれても立ち上がり。大丈夫。大丈夫。ただ準じ。ただ準じ。なり切り。なり切り。
 
どこまで行かれますか。我らの当来は仏祖ならん。仏祖のご証言でございます。(2002・2・1。提唱)

 
釈尊のご親言をいただいて信じきり、世法を捨て仏法を受持してただ実行。なり切り、なり切り、なり切り、なり切り、と。弱虫根性、そんなものは出てきませんと実行していただいているはずですが、ひょっと油断すると腰かけ根性、なまけ根性が出てくる。一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。底抜けなんですよ。本具仏性。どうぞ勇気りんりんと。
 
なぜいただき切っておりました、と復活できないのか。私が、のくせをつかまえている自我の迷執のせいです。長い、長い、よそ見のくせをはらりと手放す。どうしたら手放せるのでしょうか。その方法は諄々と授けてあります。(2002・2・5。提唱)


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