湛玄老師の言葉七

この接心で高祖さまの発願文を拝読すること、すでに五回目。ひと言、ひと言、すべて高祖さまの血と涙の滴々。仏祖のお示しになられた事実。
 
一切衆生はことごとく。誰も除かれる者はおられない。どなたも皆、一切衆生はことごとく如来の知恵徳相を具有す。ここに救いとられていらっしゃる。
 
いつもいつもこの一大事。本具仏性。つかまえる人もなければ、つかまえられるものもない。初めの初めから、未来際を通して、ただこの一真実。どこにもいかずここにあり。
 
聞くことあらんとき疑著せじ。毛すじも疑いません。万徳円満。欠けたる何ものもなく、余る何ものもなし。すべてこれ仏法の全部。丸出しでした。大活現成。釈尊の大悟徹底、今ここに一切とともに生きておりますぞ。
 
仏の家に投げ入れて。どなたの家ですか。よそさんの家にいる方、半人もおられない。仏祖も私たちと同じで赤ちゃんの時があられた。仏祖の往昔(おうじゃく。おうせき)は我らなり。ああかな、こうかなと、長い長いあいだ、よそ見のくせを使っておられた。
 
これ一色(いっしき)の正修行なり。正信心なり。正信身なり。ただ油断なく。油断なく。忘れても、忘れても、だいじょうぶ。手放して、手放して、身も心も放ち忘れて。
 
私が、私のもの、としがみついていても、満足も安心も与えてくれない。だからいさぎよく世法を捨てて、仏法を受持せん。何かをつかまえている方は、どこにもいらっしゃいませんでした。そんなけち根性の方は、どこにもいらっしゃいませんでした。つかまえられる何ものもありませんでした。さあ一単提、身も心も放ち忘れて。(2001・2・5)

 
いよいよ接心も、今日と明日。明日あるなどと思わず、せっぱ詰まってつくし抜いていく。自らを甘やかすような根性は相手にしない。
 
思い返してみれば五十五・六年前、二十歳のとき、お師匠さまのところに飛びこんできました。そのときお師匠さまは、いちばん大切なことがあるぞ、その大切なことにお目にかかります、どんな難儀なことがあってもへこたれません、弱虫根性は出しません、そういう覚悟があるならここにおってもよろしい。もし弱虫根性、へこたれ根性、よそ見根性があって、命がけでやる覚悟がないなら帰ってしまえ。そうにらみつけておっしゃった。
 
幸いなことに十九歳の兵士だったとき、親のため、兄弟のため、大切な方々のために、命がけになって実行する、自分を全部投げ出して実行する、と純真に覚悟した。そのときは日本のことしか考えていなかったけど、それなりに純真でしたね。命を捧げます。いちばん先に飛びこませて下さいと。
 
入隊したときに遺書を書いた。三年の訓練期間を一年で終えた。いよいよ飛びこむ日が来た。お役に立てると思った。大切な方々のために命を捧げることこそ生きがいのすべてと思っていた。入隊が昭和十九年八月十五日、二十年八月十日に卒業。さあ飛んでけ。
 
いよいよになったとき、十五日に降伏。戦争はやめ。無条件降伏。国の方々がどんな目にあわされることか。うそだ、うそだ、と叫びながら飛行場を走り回って、ついに気を失ってしまった。覚悟していたのに助けられた。しかし同じ年頃のもっと若い人が飛んでいって死んでしまった。青春のまっただ中で。
 
命を捧げるのが命あるもののつとめだと覚悟しておった。命のあることが申し訳ない。どうしたらいいのか、どうしたら許していただけるのかと苦しんでいたら、偉い人がいるから訪ねてみなさいと言われた。無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭い遇うことかたし。
 
本当のお方にお目にかからなかったら、難値難遇(なんちなんぐう)のこの命を授かりながら、さらによそ見を重ねていかねばならなかったかもしれない。
 
ならば悪趣におちると、よそ見の苦しみをいつまでも続けていかねばならないのか。そんなことはありません。本具の仏性はかならず相続の歩みを進めるから大丈夫。
 
赤子の歩みをしている私ども。時は今なり。本来の自分に体当たりして、覚悟して、ただまっ正直に行じぬいていくのみ。慈明(じみょう)和尚のまねをして、錐を突き立てたこともありましたね。
 
一切を喜べる人は本当の人。一切を喜べる人に大復活する。ひたすらなり切る人は、本物になり切る人。時は今。言い訳はいりません。さあ、練って、練って、練りあげて、さらになり切っていただく。(2000・12・6)

 
初めあれば終わりあり。まっ正直であります。
 
参禅の三要。大信根。何を信じると決定なさいましたか。てってい信じ抜きましたか。本具仏性。衆生本来仏なり。一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。まだ足りないか。一切衆生は如来の知恵徳相なり。まだ足りないかな。一切衆生は如来の知恵徳相。
 
私みたいなものが、どうして如来の知恵徳相なのですか。仏さまにきいてみるとよろしい。
 
一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。少しお釣りが来ましたね。顛倒妄想あるゆえに知ること能わず、と。
 
本物はどこまで行っても本物。奪うことも傷つけることもできない。大丈夫。万徳円満。にせものはどこまで行ってもにせもの。
 
本来の命は不生不滅。本来心は命の大相続によって相続されていく。本来心が本来心に、ありがとうございましたと親しく礼拝なさるときがかならず来ます。一切を礼拝なさる時だ。(2000・2・7)

 
承知しておるつもりであつかってしまうこともある。本物に決定していただきたいので申し上げる。参禅の三要。ご自身がいま実行しておられるこの参禅に、肝心かなめのことがあります。はっきりしておられますか。
 
大信根。てってい信じるということ。その根が確立しているかどうか。ちょっとでもゆるんでいると、大信根とはいわれない。仏法の第一歩。本具仏性。一切の衆生は如来の知恵徳相を具有す。
 
大信根の決定。大信根の確立。大信根の円成。即大信根の実行あるのみ。納得ができておらんと不平不満と心配がついて回る。徹底安心の事実は遠い遠い。足りない足りない。
 
大信根の確立のまだ徹底していない事実を人ごとにしない。人ごとではありません。宇宙ただ一人のご自身の事実です。坐りきることを許されておるたったお一人。(2001・4・1)

 
いまから五十五年ほど前になります。幼い私が、自らに言い聞かせて、やるべきことを必ず実行すると覚悟したときのこと。十五・六歳のときでありました。
 
一番いくじなしの、弱虫の、怠け者の、役立たずは誰だと、あごをぶん殴って、あごがはずれて、悪戦苦闘しましたね。
 
大王峠(?)に一人で登って、冬のことでしたが、仏縁など思わず知らずのときでしたが、吉田松陰先生の○○を拝読しました。
 
こうこうとした世界を見ておったら、山を見れば山が我が身になり、見るもの聞くものすべてが、守り通しに守ってくれていることが分かった。風のひと吹きひと吹きも、天と地のすべてが守っていますよと言っていた。喜びが心の底から湧いてきて、黙っていられなくなって、自分の名前を幾たびも幾たびも呼んだ。山から下りるときは走りに走った。湯河原から登って熱海へ下りた。とにかく世界が親しく親しく、石ころ一つ拾ってもしっかりやれよと励ましてやりました。何をしても気合いが入って楽しかったですね。初めの初めから命がけでしたね。
 
志願して、飛行機に乗って、空襲のため部隊は満州に移って、一応の訓練を受けて、ところが五日目に終戦。生きていることが恨めしい限りでした。いざというときに命が守られたのでした。
 
外地で捕虜になって。多くの人が栄養失調で死にましたが、私は一年で帰ってきた。しかしたくさんの人が死んだことを思うと、生きておることがあいすまん。どうしたら本当の生き方ができるのか。命を投げ出した若い人が何十万といたのです。
 
二十歳のとき、お師匠さまにお会いすることができた。小さい痩せた人だけど、大きな力を感じる人だった。どうしたら納得できる生き方ができるのでしょうか。
 
それからは教えて下された通りやりましたね。弱虫根性などふりきって坐り抜きました。ああでもない、こうでもない、と頭が働く余地はない。天地同根、万物一体の世界に、いつの間にか飛びこんでいた。向こうから飛びこんできた。そして先に亡くなられた方々が、行方不明になったり、役に立たない無駄なものになったり、ということは決してないと分かった。
 
お師匠さまは教えて下さる。まだまだそんな所でいい気になっていてはだめだぞ。そう言って腰をかけさせてくれない。さあ徹底やり抜け。それから、さらに、さらに、捨て身になってやりましたね。お坊さんのことなど何にも知らずに飛びこんだ世界でしたが、坐禅を命がけでやるのが出家。
 
天地一杯の真実の自己にお目にかかれば、三界はみな我が命でした。命を共にする方々ばかり、かわいい子供ばかりでした。今この三界のすべては私の命でした。歩み行くひと足ごとになに踏むや、踏むに任せて歩み許せよ。良寛さんはそう歌わざるを得なかった。
 
油断しているようでは、発心が足らんとぶんなぐられなければいかん。道はひと筋。実行なさる一単提。つねに捨て身だ。さあやり抜いていただく。(2001・4・2)

 
一日、二日は初めチョロチョロ。三日目はいよいよ中パッパ。全身全霊を打ちこんで自己を忘ずる底の坐禅の実行。ぐんぐんと燃えてくる。
 
一週間の接心。同室の人とも、となりの人とも、ひと言の話もせず、きょろっともよそ見もせず、たった一人の一単提に打ちこんでいくのですよ、と申し上げておる。
 
永平古仏、二十四歳まで大蔵経を何度も読み通し、理解したつもりでおられたが、どうしても腑に落ちない所がある。知恵分別で学びきったと思っても納得できない。ごちそうの作り方、解釈は分かっても、ごちそうをいただいておられない。正直だからごまかさない。いただいていないものは、いただいていない。
 
栄西禅師に参ずることができたが、禅師はすぐに亡くなられた。身を挺して中国へお出でになり、つぎつぎと道場を訪ねたが納得できない。そして如浄禅師にお会いになったとき、ついによそ見を卒業された。
 
さあ、へりくつの、へりくつの、賢さが残っているようでは、まだまだ死にきり方が足らん。大死一番、大活現成。身も心も放ち忘れて。仏の家に投げ入れて。グズグズしている暇はどこにもありません。無字の一決。万里一条の鉄。ただこの一決。
 
春風に門前の桜が満開になって、あなたのことですよと、親切をつくして示して下されておる。全身全霊、余すところなく示しておられます。
 
身も心も仏の家に投げ入れて。仏の家、どこにありますか。ここにあると教えてある。
 
初めの初めから、私ごころの歩みではございませんでした。ただ身も心も放ち忘れて、何も持たず、つくし抜いていくのみ。(2001・4・3)

 
いよいよ中日。山登りなら、山の頂きにたどりつこうとする時だ。
 
菩提心をおこすとは、余すところなく、足りないところもなく、徹底大悟して、真実の自己に徹底完成して、みなさんのお役に立つことでしょうか。
 
そうではありません。仏祖のお示しは、本当に祈るべきは、おのれ未だ渡らざる先に一切衆生を渡さんと発願すること。自未得度先度他(じみとくどせんどた)。一切の方々が救われますように。一切のすべてのすべてに真実の救いがありますように。ただそのためでした。ご自分が救われたいというのは先ではなかった。
 
油断をすると、自分が救われないと、まず自分が大安心しないと、他を救うことができないと正直に謙虚に思いがちでありますけど、仏祖の願いはそうではなかった。一切衆生のために少しでもお役に立ちますように。一切衆生に対して、どうぞ先に救われて下さい、大安心を得て下さい、というのが仏祖の願いであった。諸仏、諸菩薩、みんな自分が先ではなかった。そしてそのときにはすでに身も心も放ち忘れていた。
 
私にはそんな心はありません。自分が大安心したら、ちょっとでもお役に立てるかと思っていました。だめ。だめだぞ。なぜでしょう。元来、一切をいただき切っているのだから。半分しかもらっていないという方は半人もおられないのだから。
 
一切衆生は如来の知恵徳相を具有す。すでに与えられきっている事実。どんなことがあっても毛すじも傷はつきません、というこの本来心が、自未得度先度他と願わずにはいられない。そのこころざしを発願すれば、七つの女の子でも一切衆生の父なり。そんな子がいるでしょうか。います。
 
こんなできの悪い私でも、そんな心がけでよろしいのでしょうか。よろしい。さあどうぞ、行きなさい。お役に立ち通しに立っていくおん命。無字、数息観、只管打坐、みな本来心の一単提。勇気りんりん、意気軒高、ただ実行。(2001・4・4)

 
きょうが何日目かも分からずに坐っている人もあるでしょう。五日目ですよ。「ご」、ひびきがいいですね。悟るという字も「ご」、大悟徹底の日だ。
 
知はこれ妄覚といって、頭の判断では見きわめることはできない。分かったような気がするのは、まだまだ。ご自分がご自分に目を覚まさなければ。
 
右手が右手をつかまえることはできないが、これが手だとはっきり知ることはできる。全部おさまっている一真実。右手が右手をつかまえて歩く必要はない。
 
捨て身の上にも捨て身。もうよそ見をしない捨て身。護法神が隣単の居眠り坐禅となって現れて下さる。
 
一即一切。一切即一。ばらばらのものは何もありませんでした。ばらばらのものが、ひょこひょこ顔を出しているようではだめ。さあ捨てて、捨てて、捨て果てて。けち根性は全部捨ててしまいなさい。
 
捨てきって残る何ものもない。そんなことになったら困るのではありませんか。いちど全部手ばなしてみなさい。生死をはなれて仏となる。天地同根、万物一体なり。あまりに近すぎるから、遠いところに何かあるように思う。目は目を見ることはできない。
 
一切、手打ち払って、親切に親切にただ一単提。つかまえたら縛られて身動きがとれなくなってしまう。ご自身が納得するまでやり抜いていただく。いよいよ親しくいっさい打ち払って、何にも持たず、つかまず、腰かけず、あせらず、あわてず。(2001・4・5)

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