湛玄老師の言葉五

時は今。所このまま。徹底せずばおかずと実行しておられる一単提。勇猛(ゆみょう)の衆生は成仏一念頭にあり。捨て身の実行。一単提。一単提。覚悟されてのこの接心もすでに中日。時は今。この時を逃して、よそ見してすまされることではありません。時は今。
 
いつからこの今を頂戴してきましたか。初めなきの初めより。今。今。全部いただいてこられたこの今。大変なことです。人のものではございません。まったき本来の自己。今日ただ今いただき切っていらっしゃる。
 
この今、未来永劫に決して失われるものではございません。まっ正直に。まっ正直に。ご自身即今の今の今。相続されていく。
 
けちな根性など持っていませんね。ご自分を固まりとしてとらえたとき、けち根性になる。つかまえられることの絶対にないこの世界。
 
いつもここ。すでにここ。常にここ。まごつきません。本来の自己。無限絶対なり。釈尊はけちな根性さらりとお捨てになって、てってい見破られた。すべてのすべて、本来心ならざるはなし。自ら望んでやまない大和合の事実。本来ご自身の命でした。対立はけち根性から生まれる。
 
大事にしている自分の世界が足もとから奪われてしまう。みな作り物だから。決して奪われることのないご自身の真実。この一大事に徹底するためには命も惜しみませんと。本物はどこまで行っても本物。決して裏切られることはない。求めてやまないものがご自身のすべてであった。すべてのすべて。
 
死にきり、死にきり、死にきっていく。我見我情のこのおれが死にきっていく。この一単提。即実行。数息観。よろしい。随息観。その通り。あるいは隻手。あるいは無字。
 
ちょっと目が覚めかけますと、ほろほろとほどけてきます。しかしつかまえてはいけない。いよいよ白紙の白紙になってさあ実行。
 
恩しらずで、ふにゃふにゃで、不平不満一杯で、つまらない一生を過ごしてしまう。そんなことがどうして許されるでしょう。限りないすべてをいただき切っておりながら。
 
いよいよ自未得度先度他の道をまっすぐに行くでしょう。しかし自分よりも人さまを大事にしなくてはおられないと徹底してこられても、溺れた人を助けようと飛びこんで自分が溺れたら助けられない。実力を養わないと。
 
まちがいやすい所をまちがいなく教えてあげるには、ご自身が徹底していなければならない。いよいよ油断なく親切に命を燃やしていただく。丹田のどん底から、なりきりなりきりしていただく。(2000・11・4)

 
接心も第五日。山登りでいえば下り坂だ。ぐんぐんぐんぐん、勢いがついてくる。第一日、第二日は、初めチョロチョロ、中パッパ。しだいに勢いがついてきて、捨て身の実行の世界だ。
 
初めの、初めの、初めから、一切のお助けによってあるこのすべて。私が、が作り出したものは針の先ほどもない。すべてのすべて。おかげさま。因縁生。因縁生故無自性。けちな私はどこにもありません。全部おかげさまの世界だ。全部まっ正直の因縁生の事実。
 
身も心も放ち忘れてけなげに実行。この一単提の実行。実行された方は、たしかにその通りでしたとうなずくでしょう。はじめから捧げつくしていく。はるかなる、はるかなる、この大虚空。無限のこの大らかなこの真実。全部投げ出して捧げつくしていく。いさぎよいなあ。
 
大空を白い雲が行く。我もしずかに行くべくありけり。私たちがお応えできるのは、いただき切る、それだけだ。喜んでお役に立ちます、という世界だ。
 
底の底までぶち切りましたと、報告に来る人もありますが、まだまだ捨てきれないものが残っておりますなあ。
 
今生がだめなら来生があります。来生がだめなら、さ来生があります。欲はかきません、と。そんな所に奥ゆかしさを用いる必要はありません。身も心も放ち忘れて、やればやれる。すべてをいただきながら、迷うておることは許されませんね。
 
お釈迦さまは悟りを開かれると、とう利天の母君にまず会いに行かれた。乾坤大地、一個の母君。
 
道ばたの石ころ一つ、ご縁のないものはない。いまのひととき、いっぺんきりの出会い。すべてを捧げつくして守って下さっているという事実。ひとひらの散る落ち葉。この情け。
 
よく分かっております、と。分かっただけではだめだよ。即実行。余計なものは何もつける必要はない。
 
全部仏さまの涙。(2000・11・5)

 
大事なことは、たった一つしかない。まっ正直にやっておられる方はどなたですか。一切の衆生は如来の知恵徳相を具有す。あらわれては満点の、すべてを具有する、すべて本物のご主人公。お世辞でいうようなことではございません。甘やかして言っているようなことではございません。
 
一切衆生の苦しみ、一切の人々の迷い、それらをてってい取り除き、すべての人々に大安心を与える。このことがなければ法は説かれなかったでしょう。本具仏性、天地同根、万物一体。救わんとするに、救うべき人はひとりもおられなかった。そうでしょう。
 
その日の食事を用意することもできず、家すらなく、衣食住、不足ばかり。また、あちらが痛い、こちらが痛い、と命の終わりに難渋している。そういう方々がどれくらいいらっしゃることか。
 
あるいは望むものは全部授かり、御殿に明け暮れし、欲しいものは手当たり次第、そんな方もおられるでしょう。それなら問題ないか。今不安を持たずといえども、命が育ってくれば来るほど、本当の安心を求める。頼りになるものが全部奪われてしまう無常迅速の事実。しかたがないとあきらめることも本当にはできない。
 
釈尊はひとり残らず守り抜きたいとの発願で、百千万生の積み重ねの悪戦苦闘。ついに大徹底された。本当にだいじょうぶ。ぜんぶ満点のお方ばかりであった。満点です。ないものはない。なぜでしょう。一即一切。一切はこの一つにある。この一つがなければ一切は現れようがない。
 
求めてやまないもの、本当に求むべきものは何でしたか。
 
まず出発点。かってな所から出発したら金メダルはもらえない。それはわがままから出発したのだから。本当の人生マラソンを完走するには、まず出発点が大事。それを教えてくれるのが正法。世法ではありません。
 
ほとんどの人が、誰に教えられたのではないけれど、自我の迷執にしばられ、それを自分だと思いこむ。誰が教えたのですか。誰でもない。
 
我執での歩みはご自身に背く。どんなに賢げにすましても、本心不明のままでは暗闇に落ちこむ。本当の安心はできない。
 
釈尊の徹底されたご境涯。一切がなければ我が身もない。我が身がなければ一切もない。なんと満点のお命でしょう。
 
勉強はあとで結構だ。今はひたすら、体をととのえ、呼吸をととのえ、心をととのえての一単提。行じぬいていくなら必ずこの本来心、夢物語ではありません。よそ見しているうちはよそ見の世界。
 
接心もぎりぎり仕上げの段階。いよいよ、すなおにすなおに、いさぎよく手放して、仏の家に投げ入れて、さあ実行。(2000・11・6)

 
一切を収めきっての一単提。今それを実行していけるという一真実。随息観。全身全霊の隋息。へだてあるものなし。全部をいただき切り、すべてに尽くし抜いていく。
 
乾坤大地一個の無字。体験された方はうなるでしょう。一切無字ならざるものはなし。無字が無字を証明して下さる。お師匠さまに言われたとおりに、がむしゃらに、むちゃくちゃに、実行しましたね。丹田のどん底から無字そのもの。無字が無字を無字する。あるのはただ無字のみ。応量器も無字。座布団も無字。何から何まで無字。老師の言われたとおりだった。
 
二度や三度の見性で腰かけてはいかん、と言われてやり抜きました。刃物を持ちはしないが近くに置いて、どうしても徹底しなければ死ぬという覚悟でやりました。まだ見ているものがある。何もかもなくなるまで、と。こわいこわいお師匠さまでしたけど、そのときは赤ちゃんみたいにやわらかく、やわらかく、やさしかった。
 
五十五年の年月が、今ここ。どこへいかっしゃったのかな。どこへも行かん。初めなきの初めより、今ここ。よろこびの中のよろこび。何ものにも奪われない不滅のご自身の命の光。みんな輝いている。
 
宝物の中の宝物の中の宝物。それがもったいないけど私自身でした。しかし私などとつかまえられるものはありません。これではけんかしようにもできません。する相手もありません。
 
人類の得意なこと。私。私のもの。そして、ちっちゃくなったり、暗くなったり、いじけたり、得意になったり、人を見下したり。生老病死。あっという間に死んでしまうのに。
 
どうか大切なご自身をいよいよ大切に。決して卑下なさらず、もちろんごう慢にもならず。卑下せんにも卑下する自分はおられない。いばろうにもいばる相手もいない。本物は絶対に困らない。
 
さあ大切な接心のしめくくり。無限の本物のご自身を、どんなことがあっても手放してはなりません。いよいよ丹田の中心に決定し、何も持たず、腰かけず。腰かけると単提がにぶる。これがいいなと腰かけるとだめ。ただいさぎよく単提あるのみ。
 
仏となるにいと易き道あり。もろもろの悪を作さず、生死に著する心なく、他にたずねることなかれ。生死の巻。
 
かなり熟してこられた方もあります。認めてあげてもいいのですが、大根機の方ですから、もっと徹底するまでがんばっていただきましょう。(2000・11・7)

 
接心第一日。今ここで坐りぬいておられる。何を実行しておられるのですか。何を実行しておられるのでありますか。
 
昨晩、遅く、電話がかかってきました。日本の裏側にあるような遠い国。接心のことも、日本が夜中だということも知らずに。一つききたいことがあるのです、と。老師が書いて下された「○の中に今ここ」とある書ですが、何を言いたいのか気になってしかたがない、と。何ヵ月も何年も考えておられたらしい。
 
必ず納得できる時が来ますから。本当に納得したいとくり返し思っていれば、必ず納得できる時がありますよ。はいっと喜んで、それだけで電話は終わりました。
 
子供を亡くした方が、一生懸命に生きている私が、なぜこんな悲しい目にあわなければならないのかと、意気消沈しておられた。息子さんは姿を隠したけど、大海のひと波、あっという間に隠れてしまったけど、波の本体は大海水そのもの。息子さんは亡くなってしまったのではありません。この大海水ありと覚悟して生きて下さい。
 
本気で聞いていたと見えて、私はこれまで波の高い低いばかりに気をとられて、ちょっと波が高くなると人を見下してきた。本気で生きることにします。大切なことを教えていただいたので、もう悲しみません、と。
 
生きた、死んだ。現れた、消えた。外側のことばかりに引き回されていてはいけない。生死のひと言でこの世界のすべて。現れては消え。現れては消え。その真実は無自性。つねに今。つねに今。一切は今をはなれて何もない。しかも、ここ。ここ以外は何もない。初めなきの初めより、終わりなきの終わりまで、今ここしかない。
 
今は時間、ここは空間、と分けているけれども、本当は分けられるものではない。ただ一つ。二つ並んでいるものなど何もない。今ここのすべてのすべてをいただき切っておる。円かなること太虚に同じ、欠けることなく余ることなし。
 
今ここの万徳円満の事実をいただいておるのに、ひびいてこない。自我の迷いを主張してやまず、自我の計らいでへだてを作る。だからひびいてこない。
 
本具の仏性、ただこれこれ。生と死と姿かたちは移りかわるけど、中身は何にも変わらない。不生不滅。常に満点の一真実のみ。手がつけられませんよ。ちょっと気がつきましたと、しがみついていてはもったいない。
 
つねに成仏の過程。つねによろこび尽くしぬいていく過程。その実行がいま許されている。その恵みを大切に行じぬいていただきます。
 
そうです。願わくは如来真実の義を解せん。お一人、お一人の真実です。打たれてひびく、今ここ。常に打たれ通しの一真実。行くも帰るもよそならず、今ここ。(2000・12・1)

 
無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭い遇うこと難し。どうして右の耳から左の耳に聞き流してしまうことができましょう。
 
発願。願いをおこす。何を発願しますか。生々をつくして命の本源をあきらかにする。一切の方々のために救いの根本をあきらかにする。そう釈尊は二千六百年前に発願し、徹底あきらかにされた。あきらかにされた世界は、真実は、どうでありましたか。
 
天地一杯の命を自分の命としている者ばかり。万徳円満の事実。
 
一番ぎりぎりの真実は、すべてよし。一切衆生はことごとく如来の知恵徳相を具有す。
 
すべてはすべてによって守られきり、一つは一切によってかくあり。一切は一つによって円成している。すべてはすべてによって円成している。永遠不変の真実。大安心の根源。真実の根本。一大事因縁。いちばん大切なこと。この真実をすなおにいただいていく人は誰ですか。
 
自らのはからいの世界の中にいる限り、弱虫根性が出てきます。都合の悪いことがあると人のせいにする。しかしそれもまた本来心の道にかなうご縁になります。
 
因果必然。一歩すすめばかならず一歩すすむ。どちらへすすむのですか。本来の自己の実現を目指して一歩すすむ。
 
まず形をととのえる。だらしない形では一筋道を行くけなげさが出てきません。正身端坐。正しい姿をもって身をととのえる。マラソンの出発点。できるだけととのえた形を身につける。身のありようをできるだけ正しくする。あごが出たり、頭が下がったりしても、自分のことははっきり見届けることができない。正しく注意してくださる方があるうちに直していく。
 
悪いくせが悪いくせを育てる。正しい形が正しい習慣となって実行されていく。心のありようも自らの分別はくっつけない。教えられたとおり、一単提、一単提。
 
さあ、本来心。自らの命の根源は、万徳円満なる仏心仏性でした。諸悪莫作。衆善奉行。本来心がじゅんじゅんと育っていく。本来心に一番ご縁のある方が、この道場に集まっておられる。
 
天地同根、万物一体なり。私という分別は顔を出さない。本来心はつねに本気。ふた心はない。たった一つの真実。純一無雑。毛すじも変わりようがない。
 
この真実を知らずに苦しんでいる人がいる。大丈夫、真実は一切を包みこんで手放すことはない。本来の命こそ本当の我が命と、どうぞ決定して、確信して、一単提を守りきっていただく。本来心はまっ正直。出発点の足もとから、大安心、大安楽だ。(2000・12・2)

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