つねに備えよ

平成九年の夏に、群馬、栃木、福島、新潟、の四県にまたがる大湿原、尾瀬(おぜ)をたずねた。「夏が来れば思い出す、はるかな尾瀬、遠い空」という「夏の思い出」の歌で知られる尾瀬は、特別天然記念物に指定された高山植物の宝庫であり、東に燧ヶ岳(ひうちがたけ)、西に至仏山(しぶつさん)という百名山を従えている。

登山前日に登山口の鳩待峠(はとまちとうげ)まで車で入り、峠の小屋でその日は一泊、翌日は早朝に出発して至仏山に登った。足元しか見えない濃い朝霧が流れる中の登りだったが、山頂の手前で霧が晴れ、眼下に尾瀬ヶ原が姿をあらわした。山また山の山奥に、なぜこんな平らな場所があるのかと不思議に思ったほど尾瀬ヶ原は平坦であった。

山上から眺めたときはそれほど広いとは思わなかったが、歩くと尾瀬ヶ原は広かった。登山道には高山植物を保護するための木道(もくどう)が敷設されており、一歩も土を踏むことなく歩けるようになっている。木道の総延長は六十キロメートルに達するとか。

尾瀬といえば水芭蕉(ミズバショウ)で有名だが、すでに花は終わり大きな葉が茂っているだけだった。水芭蕉の名はバナナに似たこの大きな葉に由来する。食虫植物を見たことがなかったので、モウセンゴケを見るのを楽しみにしていた。ところがどこにでも生えていると聞いたのに、どうしても見つからない。そこで花のことは女性の方が詳しいはずと、花を観察していた女性にきいてみたら、「そこにあるじゃない」と言われ、よく見ると目の前に生えていた。

拡大された写真ばかり見ていたので勘違いしていたが、実物は食虫植物というにはあまりに小さな植物である。養分の少ない高地の湿原に生えているため、虫を捕らえてコヤシにしようという作戦なのだろうが、腹這いになって観察しても虫がついている葉はほとんどなく、ついていても腹の足しになるとは思えないゴマ粒ほどの小さな虫ばかりである。虫を捕まえる部分が赤みを帯びており、群生すると赤もうせんを敷いたように見えることからモウセンゴケの名があるが、コケの仲間ではない。

この高山植物の宝庫の湿原を、ダム湖の底に沈める計画があったというから驚きで、日本の自然保護運動は尾瀬を守る戦いから始まったという。これまでに貴重な宝ものがどれだけ、電力会社のダム湖の底に沈んだのだろうと考えさせられた。

尾瀬ヶ原の散策もそろそろ終わりの夕方ごろ、予約した小屋の近くで夕立にあい、ま上から強烈な雷に怒鳴りまくられ、通過したばかりのダケカンバの林に逃げ込んだ。ダケカンバの大木を避雷針に見たて、その避雷針に近ずきすぎず離れすぎずの所に避難したのである。

十五分ほどで雷が遠のいたので、まだ雨の降るなかダケカンバの林を出てしばらく歩いて行くと、若い女性が木道の横にうずくまっていた。びしょ濡れのTシャツにジーパンという姿で、傘も荷物も持っていない。どうやら山小屋の手伝いをしている女性が、散歩の途中で夕立にぶつかり、山の天気の気まぐれをしっかり体験してしまったらしい。雨だけなら走ってでも帰れるが、至近距離で鳴る雷は恐ろしく、しかも木が生えていない湿原では、木道の上がいちばん高い場所なので、その上にいると雷の標的になってしまう。そのため木道の陰に身を隠したのだろう。

尾瀬は千四百メートルの標高があり、八月といえど濡れた体で風に吹かれるとかなり寒い。しかし寒いでしょうと雨具を貸すわけにもいかない。私よりはるかに若いし、何ら問題なさそうだったので、一声かけて通り過ぎた。人生どこに災難が転がっているか分からないのだから、ちょっと散歩に出るにしても、備えあれば憂いなしと、雨具を持つべきだったのである。

最後に釈尊のお言葉をひとつ。「夢中になって花を摘んでいる人を死がさらっていく。眠っている村を洪水が押し流すように」

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