若狭町の名木案内
お隣の三方上中郡・若狭町(みかたかみなかぐん・わかさちょう)の名木をご紹介する。若狭町は二〇〇五年に三方町と上中町が合併してできた町、一郡一町であるから長い郡名は不要のように思うが、元の町名を郡名の中に残したかったのであろう。見て回ったのは二〇〇一年の二月から四月にかけて、この町には名木が多い。なお興味のある方はご連絡ください。時間の都合がつけばご案内いたします。
常神(つねかみ)のソテツ(蘇鉄。国、天)
住所は若狭町常神。常神集落は常神半島のいちばん先にある集落。その路地の奥の狭い庭にこのソテツはある。路地の入り口に案内板が立っている。ソテツ横の解説板によると、大正十三年に国の天然記念物指定、樹齢は千年以上、日本海側では最北のソテツ、植栽されたものかどうかは不明、とある。ただし最北というのは、国の天然記念物としては最北のソテツの意味であろう。また生えている場所から判断するとおそらく植栽されたものであろう。常神漁港の水のきれいさに驚いた。
神子(みこ)のヤマザクラ(県、名勝)
住所は若狭町神子。神子は常神集落のひとつ手前の集落。ここのヤマザクラ群は天然記念物ではなく県の名勝に指定されている。県のホームページによると、東西千メートル南北二百メートルの範囲に約三百本の山桜がある。幹まわり一メートル以上のものが百四十本、最大のものは三・六メートル、これらの桜は古文書によると、寛保(かんぽう)二年(一七四二年)に藩の奨励により共同作業で山にアブラギリ(油桐)を植えたとき、畑の境界に目印として植えたもの、とある。アブラギリは桐油(とうゆ)をとるための桐、小浜市でも昭和三〇年ごろまで栽培がおこなわれ、有毒なので食用にはならず合羽(かっぱ)などの防水用に使われた。
神子集落の前に駐車場があったのでそこに車をとめ、桜はどこかと眺めていたら、うまい具合に女の人が買い物車を押してやってきた。桜のある場所をきくと、集落の南にある山の斜面をずっと指さして、あちらの山に生えとる。集落の裏山には椎の木しか生えとらん。咲くのは四月に入ってから。人が植えた桜ではない。養殖の桜ではない。などと漁港の住人らしい答えが返ってきた。樹齢二五〇年をこえる老木だから養殖ではないと言ってもかまわないか。
小川(おがわ)神社のカゴノキ(県、天)
住所は若狭町小川6-1。小川集落があるのは常神半島のまん中あたり。この木はまちがいなくカゴノキの横綱、カゴノキがこんなに巨大化するとは思わなかった。途中から幹が三本に分かれ、三本とも上部はなくなっているが、新しい幹が何本も出ているからまだ大きくなるかもしれない。老木になっても新しい幹を出し、しかも幹がうろにならない、ということが巨木になれる理由だと思った。境内にはタブノキ、ヤブツバキ、イチョウなどの古木もある。
姫宮御前(ひめみやごぜん)のタブノキ(町、天)
住所は若狭町田井(たい)17-9ー2。姫宮御前は住宅地の中の空き地にまつられている小さな祠。こういう空き地は何と呼んだらいいのだろう。神社と呼ぶほどの広さはなく、かといって道ばたに祠が置いてあるのでもない。タブノキは三メートルほどの高さから三本に分かれて伸びる老木、サルノコシカケが生えているから枯れがかなり進んでいる。
写真をとっていたら、道を教えてくれた男の人が追いかけて来て説明をしてくれた。この祠の名前はあるお姫様に由来する。あるお姫様がここで村人たちに殺され、たたりを畏れた村人たちが祠を作って姫の霊をまつるようになった。それが姫宮御前の始まり、私の母もよくお参りしていた、というような話で、このときも新しいサカキが供えられていた。
またタブノキの後ろのにある大きな落葉樹を指さして、これはヨノミの木、この木はまな板にするぐらいしか使い道がない、とも言っていた。その木はシロタブと合体して一本の木のようになっていた。なお祠のところまで車で入れるし、横に一台分の空き地もあるが、狭い道なので車は下の道に置いてきた方がいいと思う。
国津(くにつ)神社のケヤキとムクノキ(指定なし)
住所は若狭町向笠(むかさ)13-28。小さな神社の境内にケヤキの巨木が四本、ムクノキの巨木が六本ほどある。
宇波西(うわせ)神社の大スギ(町、天)
住所は若狭町気山(きやま)129-5。主幹上部はなくなっているが、樹勢は衰えておらず、上に伸びる太い枝が主幹の代わりにがんばっているという木。この神社は石垣の作りがよい。
須磨家墓所のサカキ(榊。町、天)
宇波西神社の歴代宮司の墓所にあるサカキ、樹齢は二百年、とネットにあったが、墓所が見つからなかった。
宝徳寺(ほうとくじ。宗派不明)のイヌマキ(犬槙。町、天)
住所は若狭町気山194-2。ふた抱え以上もある古木であるが、衰えは見えない。寺の境内ではなく、生活改善センターの駐車場の隅にある。このセンターは宝徳寺の跡地に作られたものらしい。墓地とお地蔵さんは残っているが、寺は消滅しているように見える。
八幡(はちまん)神社のカゴノキ(町、天)
住所は若狭町東黒田(ひがしくろた)7-3。四メートルほどの高さから幹が五本に分かれ、二本は上へ、三本は横へと伸びるカゴノキ。この集落の裏山に大倉見(おぐらみ)城跡がある。
大倉見(おぐらみ)城跡のカゴノキ林(町、天)
場所は東黒田集落の裏山。登山口があるのはその裏山から南東方向へのびる尾根の端。山頂まで登山道を兼ねた林道が付いているが、荒れていて車では登れない。登山口前の道路脇に三台分ほどの駐車余地がある。防獣柵を入るとすぐに道が分岐する。それを左へ行く。真っすぐ行くと行き止まり。山頂まで五〇分ほどの林道歩きである。
ところが山頂で目につくのはイヌシデとコナラと桜の木ぐらい、いくら探してもカゴノキは見当たらず、そのときになってやっと、「大倉見城跡のカゴノキ林」であるから、山頂にあるとは限らないことに気がついた。しかも城跡の範囲も不明で探しようがなく、一本のカゴノキも見ずに下山した。下山は東黒田集落へ下りるつもりをしていたが、道に確信が持てなかったので同じ道をもどった。この山に道標は一本もない。
安楽寺(あんらくじ)のボダイジュとイヌマキ(ともに町、天)
住所は若狭町無悪(さかなし)22-1。この難読地名の由来にはいくつかの説があるが省略する。安楽寺は曹洞宗に属する無住の小寺であるが、小さな山門には小さな仁王像も完備している。満開の桜と椿がきれいであった。
天然記念物の二本の木は観音堂のまえにある。イヌマキ(犬槙)は主幹全体に大きなうろが開いているが、このうろがなければ迫力ある巨木なので、うろの反対側からも見てほしい。五メートルほどの高さから上はなくなっていて、そこから五、六本の枝が出ている。名札にあるクサマキはイヌマキの別名。
ボダイジュ(菩提樹)にも大きなうろがあって、一メートルほどの高さから上はなく、そこから十本ほどの枝が出ている。こちらは落葉樹でまだ冬枯れの状態、枯れたヘラ型の苞(ほう。花を保護するための葉)と小さな実が枝に残っていた。この実は堅さはあるが大きさが足りず数珠には向かない。中にタネが一つ入っている。
菩提樹はアオイ科(以前はシナノキ科)シナノキ属の中国原産の落葉高木。菩提樹という名は釈尊がその下で悟りを開いたことに由来するが、この木は菩提樹の代用品である。代用品が存在する理由は日本や中国では本物の菩提樹が育たないこと、この木が代用品になった理由は葉の形が似ていること。ただし菩提樹の名はこの代用品の正式な植物名であり、本物の菩提樹はインド菩提樹が正式名になっている。
イヌマキの下に上半分がなくなった二本の巨木があった。これはムクノキ(階段側)とエノキだと思う。その下に二つ並んで立つに石塔は小野篁(おののたかむら)の墓とある。案内板によると、隠岐に流された小野篁が許されて都へ帰るとき、田烏(たがらす)に漂着して保養のため無悪の地で三年過ごし、そのとき念持仏の観音像をここに残したのだという。その行基菩薩の作とされる聖観音像は国の重文になっている。
日吉(ひよし)神社のツバキ(町、天)
住所は若狭町岩屋(いわや)16-13。この椿は数年前に枯れたということで、切り株の写真をとって帰ることになった。切り株からするとかなりの巨木であった。境内にはスダジイ、タブノキ、イチョウの老木もある。
この神社は見つけるのに苦労した。道路ぞいに防獣柵があって、道路から神社の建物が見えず、しかも近くに別の神社の鳥居が立っていて、その奥に大きな灯籠もあったので、その先に日吉神社があると思いこんでしまったのである。
そのため急坂がえんえんとつづく鈴ヶ岳登山道とあるその参道を、ここまで来て引き返してなるものかと思いながら、四〇分ほども登ると名無しの小さな神社に着いた。ところがいくら探してもツバキは見つからず、代わりに鈴ヶ岳山頂が見えたので、せっかく来たのだからとそこまで足を伸ばし、下りてきたとき日吉神社の建物を見つけたのであった。
円成寺(えんじょうじ。曹洞宗)の見返りの松(県、天)
住所は若狭町岩屋42-4。生命力がどーんと伝わってくるような、樹齢二百五十年の迫力ある黒松。樹勢は強く周囲の道路の上まで枝を伸ばし、苔とノキシノブがびっしりと着いた太い枝の下には地蔵菩薩がまつられていた。
八岐大蛇(やまたのおろち)のように枝を張るこの松の雄姿は、群馬県伊勢崎市にある連取(つなとり)の松を思い出させた。ともに甲乙つけがたい名木であるが、あえて甲乙をつけるなら、すでに立派な後つぎが育っている点の差で連取の松に軍配をあげたい。連取の松のことは「三一番赤城山」に載っている。
この寺の老僧としばらくおしゃべりをした。ここは三十三間山(さんじゅうさんげんざん)下ろしがきつくて寒いと言っていた。周囲に広がる果樹園は梨畑。
闇見(くらみ)神社のハリギリとサカキ(ともに町、天)
住所は若狭町成願寺(じょうがんじ)12-7。この神社はスダジイの宝庫、巨木だけでも十本以上ある。その中でとくに大きいのが、鳥居の左上にある大きなうろの開いた、今にもぼろぼろと崩れ落ちそうな二本立ちのスダジイの老木。とはいっても太いしめ縄が巻いてあるから、まだご神木としてがんばっているらしい。
このご神木の左下にあるのが天然記念物のハリギリ(針桐)。ところが針がまったくなく、しかもあまりに太かったので、すぐにはハリギリと分からなかった。ハリギリは古木になると針がなくなることを知った。五メートルほどの高さから五本に分かれて幹を大きく伸ばしている。サカキはハリギリの奥の左斜面下、すこし分かりにくい場所にあった。
諦応寺(たいおうじ。曹洞宗)の観音イチョウとギンモクセイ(銀木犀。ともに町、天)
住所は若狭町安賀里(あがり)33-1。このイチョウは巨木とか古木ということで天然記念物になった木ではなく、生木に観音さまが彫ってあるのが珍しいということで指定された木、山門の前にある。ギンモクセイは山門を入ったところにある。なお寺院入り口の左側斜面の上にならぶ石仏群もおもしろかった。
椙杜(すぎもり)神社のツガとハリギリ(ともに町、天)
住所は若狭町杉山(すぎやま)12-25。集落のどん詰まりの右側にこの神社はあった。社名のとおり杉の森に囲まれた雰囲気のいい神社。山から引いているという手水の水もおいしかった。天然記念物のツガ(栂)があるのは本殿の右側、下枝を払われたすっきりとした姿で立っていた。建物に近すぎるので枝を落とされたのだろうか。近くに小さめのツガもあった。
本殿の左側の踏み跡をたどると奥に小さな祠がある。その祠の右手にあるのが天然記念物のハリギリ。この木はでかい。これなら国の天然記念物にでもなれる。ところがハリギリの手前に防獣柵があって近づくことができず、柵の入り口は百メートルほどもどった鳥居の左側にあった。そこからハリギリまでかすかに踏み跡がついていた。周囲には椿、トチノキ、ムクノキなどの古木もあった。ハリギリはウコギ科の落葉高木、ウコギの仲間には食べられるものが多く、ハリギリの新芽も食べられるが、たいていは新芽に手が届かない。
信主(しんしゅ)神社のタブノキ(町、天)
住所は若狭町三宅(みやけ)63-2。この神社は巨木の宝庫、とくに本殿の後ろにケヤキ、ムクノキ、スダジイなどの古樹大樹がたくさんある。ただし掃除をした形跡のない地面はやたらとフワフワしていて歩きにくく、倒木にはばまれて奥の方には入れなかった。この神社の恵まれた自然環境は、放置されることで維持されてきたのだと思う。神社の裏側に道が付いていて、そちらから木を眺めることもできる。
樹上で鳥がバタバタしていたので、カラスかと思って見上げたら、白色の大きな鳥がたくさんいた。おそらくサギの仲間であろう。周囲に田んぼが広がる、北川が近くを流れる場所なので、この神社はサギの寝場所になっているらしい。地面がやたらとフワフワしているのは鳥のフンが影響していると思う。なお五月下旬に来たときには、地面の上に卵の殻がたくさん落ちていたので見上げると、高い枝の上に子育て中の鳥の巣がたくさんあった。
ここには名札の付いた木が四本ある。一本は町指定天然記念物とある、幹が三本に分かれたタブノキ。タブの巨木はほかにも十本ほどもあった。その横のカゴノキにも名札が付いているが、この木は小さい。カゴノキはこれ一本。
それから千年ケヤキの札の付いた木、これはかなりの古木の巨木、大きなこぶもついていた。この木の複雑な形は、三本立ちしていた幹のうちの二本がなくなったことでできたように思う。ケヤキはほかにも数本あった。それから「ヨノミの木」の札の付いた木、調べてみたらヨノミはエノキのこととあるが、この木はムクノキだと思う。ムクノキはほかにも巨木を三本みつけた。
上村家のタブノキ(県、天)
住所は若狭町三宅(みやけ。番地不明)。この木は株立ちするタブの巨木、十本ほどの太い幹を、田んぼの中の小高い丘の上でのびのびと伸ばしている。周囲は雰囲気のいい田園地帯であるが、そこへ行くには軽トラ専用というような狭い農道を通らなければならず、しかも道は分かりにくく、なんとか一台とめられる狭い空き地があるのみ。
八幡(はちまん)神社のヤマモミジ(町、天)
住所は若狭町仮屋(かりや)34-32。この神社は杉の木に囲まれた気持ちのいい神社、集落の左奥にある。ところが椿やタブノキの古木はあるが、いくら探してもヤマモミジは見つからず、近所の人にきいて回ったら、十年ほど前に枯れたということであった。話をきいた人の中に私の寺の檀家さんの娘がいた。結婚して神社の下に住んでいるということで、それが実に雰囲気のいい場所なので、いい所に住んでますねと言って別れた。
福乗寺(ふくじょうじ。浄土真宗)の楊貴妃桜(ようきひさくら。町、天)
住所は若狭町関(せき)55-10。この木は十本ほどの幹が株立ちする古木、古木なれど楊貴妃のように妖艶にして気品のある桜。ただし大きな木ではない。案内板によると、昭和三六年に天然記念物指定、樹種は八重のサトザクラ、樹齢は二百年、開花は四月中旬、昭和の後半から衰えが見えはじめ、昭和六二年に京都から有名な桜守(さくらもり)を呼んで治療をおこない、そのかいあって根元から新しい幹が出て育っている、とあった。サトザクラは交配して作った栽培品種群の総称、その代表がヤエザクラとよばれる八重の大輪。
松木家のヒイラギ(柊。町、天)
住所は若狭町熊川(くまかわ)。ネットの情報によると、樹種は正確にはヒイラギモクセイ、場所は個人の家の庭、現在その家に人は住んでいないとあり、しかも番地も不明なので、見学はあきらめた。
若狭町小原(おはら)のキャラボク(伽羅木。町、天)
個人所有とあり、番地も所有者も不明なのであきらめた。
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