おおい町の名木案内

おおい町の名木をご紹介したい。おおい町は二〇〇六年に、大飯(おおい)郡大飯町と遠敷(おにゅう)郡名田庄(なたしょう)村が合併してできた町。合併後は全体が大飯郡おおい町になったので、遠敷郡は消滅、旧名田庄村の地名には頭に名田庄がつくことになった。まずご紹介するのは県道一号線ぞいの木。
 
伊射奈伎(いざなぎ)神社のウラジロガシ。サカキ。ツガ

場所はおおい町福谷(ふくたに)48-7。この神社があるのは福谷集落の左端。ウラジロガシ(裏白樫。県、天)は神社の入り口、サカキ(榊。町、天)とツガ(栂。町、天)は拝殿の左手にある。

ウラジロガシはかなり痛々しい老木、苔とノキシノブがついた幹は下から上まで真っ二つに裂けていて、いつ倒れるか分からないような状態、そのため裂けが広がらないように三ヵ所をバンドで縛ってあった。ところがよくよく見るとこれはくっついて生える二本の老木、二本で一件という天然記念物であった。なおこの木よりも太くて元気のいいウラジロガシが拝殿の左にある。

サカキはこの樹種としては初めて見る大きさ、サカキがこんな大木になるとは、という木。境内にはほかにもサカキが多い。真っすぐに気持ちよくそびえる針葉樹が天然記念物指定のツガ。その横には無指定の杉の巨木、奥にも無指定のスダジイの巨木がある。
  
依居(えご)神社のモミ(樅。県、天)

場所はおおい町岡安(おかやす)4-7。県道をそれて一直線のどん詰まりにこの神社はある。このモミは昭和六三年の調査で、県内第一位、国内第七位というモミ。ただし上半分はなくなっている。この木の左側と境内の奥に大きめのカゴノキがある。この神社でいちばん目に付くのはケヤキ、大きなものだけでも五、六本はある。
  
静志(しずし)神社のスダジイ(町、天)

場所はおおい町父子(ちちし)46-1。珍しい地名であるが、静志が父子になったらしい。しめ縄が巻かれたこのスダジイは根の張り方がおもしろく、すき間から向こうが透けて見えている。太さのわりに背が低いのは上の方が枯れてなくなったからだろう。境内にはほかにも巨木のスダジイ五本、タブノキ三本、ツガ一本などがある。小さいながらも巨木に恵まれた神社。
  
不動の滝公園のカゴノキ(町、天)

場所は静志神社に近いおおい町父子38-21。ここに不動明王をまつる滝や公園があるとは知らなかった。隠れた名所を発見したという感じ。カゴノキがあるのは滝の手前の斜面の上。
  
堀口家のサザンカ(山茶花。県、天)

場所はおおい町神崎(こうざき。番地不明)。堀口家は集落左手のいちばん奥の家、裏山の杉林が間近にせまる。なお集落右手の奥には神社がある。

農作業をしている人に堀口家の場所をきいたら、「それは拙者の家でござる」という返事(ほんとに)。「個人の木ですから庭にあるんでしょうね」。「庭にある」。「入ってもいいんですか」。「入ってもいい」。ただしかってに入るのはよくないと思う。サザンカがあるのは農家の庭に石を配して作った築山の中。おそらくこの家の先祖が植えたものであろう。意外に小さな木だと思ったが、サザンカにしては巨木ということか。一メートルほどの高さから四本に分かれ、それがさらに細かく枝分かれして絡み合って伸びている。花は一重の白。
  
六社(ろくしゃ)神社のイチョウ(銀杏。町、天)

場所はおおい町野尻(のじり)18-16。イチョウとしてはそれほど巨木ではないが、枝張りのおもしろさと背の高さが売り。全体が反りかえるように曲がっているのは、まっすぐに伸びられない事情があったのだろう。神社裏に枝を落とされたズンドウのタブノキがある。つぎに紹介するのは大島半島の木。
  
宝楽寺(ほうらくじ。真言宗)のクロガネモチ、飛び梅(ともに町、天)

場所はおおい町大島94-4。大島半島の真ん中あたりにあるこの無住の小寺は、行基菩薩に関係する寺とされ、若狭観音霊場になっている。飛び梅は古木ではあるが大木ではなく、この木が天然記念物になったのは、飛び梅の名に関係する由緒があってのことだと思ったが、由緒書きなどはなかった。クロガネモチ(黒鉄黐)の方はほとんど葉が落ちた枯れかけの状態であった。つぎは国道一六二号線ぞいの木。
  
若宮八幡(わかみやはちまん)神社のフジ(藤。県、天)

場所はおおい町名田庄三重(みえ)尾の内。このフジは樹齢五百年という老木であるが大木ではなく、神社もきわめて小さい。昭和三四年指定、管理者は三重区、開花は四月下旬から五月、花房の長さは三五から四〇センチとある。金属製の網が幹に巻いてあるのは、鹿がかじるからか。周囲は杉の植林帯。
  
皇王(こうのう)神社のカゴノキ(町、天)

場所はおおい町名田庄虫鹿野(むしがの)14-37。これも珍しい地名である。ここのカゴノキは根元は太く、上は急に細くなるという木。おそらく二本立ちか三本立ちしていたうちの一本だけ残っているのであろう。境内にはタブノキ、フジ、イチョウ、ケヤキなどもある。
  
刈田比売(かりたひめ)神社のムクノキ(県、天)

場所はおおい町名田庄下(しも)3-15。神社の入り口に元気のいいムクノキの巨木が二本、ほとんど苔がついておらず肌が白い。苔がつかないとムクはこういう色になるのかと思った。この地方の古木にはたいてい苔がびっしりとついていて見分けを難しくしている。ところがこの二本は天然記念物ではなく、本殿右側にあるしめ縄の巻かれた、大きなうろのある、いつ倒れてもおかしくない老木が天然記念物であった。後つぎに負けずにがんばれと応援したくなった。隣の寺の和尚としばらく雑談をしてから次へと向かう。
  
加茂(かも)神社の大スギ(町、天)

場所はおおい町名田庄納田終(のたおい)127-4。国道一六二のすぐ横。この大スギは二〇一九年に枯れて切られたということで、すでに跡形もなくなっていたが、鳥居代わりの杉なので後継の二本の若木が植えられていた。加茂神社の社殿は国道の反対側にある。

解説板によると、このあたりの地は南北朝時代に、陰陽師(おんみょうじ)の安倍晴明(あべのせいめい)を始祖とする土御門(つちみかど)家に与えられ、土御門家第三〇代の有宣(ありのぶ)が応仁の乱(一四六七~七七年)の戦乱を避けて十五世紀末にこの地に移住、以後、そのひ孫の久脩(ひさなが)が上京するまでのほぼ一世紀間、土御門家はこの地に居住したとある。そのため神社の奥に土御門家の墓所が残る。なお安部清明の陰陽道の師匠の家が加茂家であるから、加茂家と加茂神社とは何か関係があると思うが、そのあたりのことは分からない。この両家は陰陽道の二大宗家。
  
野鹿谷(のかだに)のシャクナゲ自生地(町、天)

場所はおおい町名田庄納田終の頭巾山(とうきんさん。八七一メートル)登山道の上の方。この山に登ったのは三〇年も前のことだが、登山道横にシャクナゲの巨木があったのをよく覚えている。登山口の下には野鹿(のか)の滝がある。

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