ひとり者の備え
これは「ひとり者の旅立ち準備」の続編であり、ひとり者のための老後の備えをさらに具体的に書いたものである。
健康維持のための運動、楽しみと気力を与えてくれる趣味や社会的活動、といったことを習慣にしている人は年齢を先送りすることができる。習慣の力は加齢を遅らせてくれるのであり、体力が落ち、足腰が弱り、病気を抱えても、そうした習慣が維持できるあいだは歳をあまり感じずにすむ。しかし年齢を実感せざるを得ない日がやがてやってくる。それは病気やけがで倒れて回復が見こめなくなったとき、あるいは体力気力の衰えで動けなくなったとき。
だから高齢あるいは高齢になりつつある人は、年齢を先送りする活動を積極的におこないながらも、一方では世話をされて生きるしかないときが来ることを直視し、元気なうちに備えをしておかねばならない。家事や金銭管理ができなくなると一人で生活できなくなる。人との付き合いができなくなると孤独におちいる。だからそうなる前に最晩年をどう過ごしたいか、どこでどう死にたいか、といったことをよく考えて方針を定め、そのための準備をしておかねばならない。
八〇歳になったとき急に生きる目標がなくなったという人が多いという。八〇歳まで生きればあとはまったくの余生、もうどうなってもいいと考えていたからかもしれないが、生きていればその後のことも考えねばならなくなる。しかしその歳になってからそれ以後のことを決定し、手続きを進めていくのはたいへんである。
まず小さな字が読みにくくなるし、判断力が低下して文書の内容が理解できにくくなるし、家事や散歩といった慣れたことはできても慣れないことを始めるのはむずかしくなる、ということで、施設に入るにしても施設を選べなくなってくるのである。ひとり者にとっての最大の危機は、自分で選択や決定ができなくなるときに訪れる。だからその前に対策を立てておかねばならないのである。
ところが、お墓もお葬式も大丈夫、相続問題は解決済み、という人は少なくないが、一人暮らしで倒れたり認知症になったらどうするか、ということが解決済みの人は少ないという。そうしたことは前もって専門家と相談して、準備万端ととのえておけばいいと思うが、そうしないのは倒れてからでないとその専門家が相談に乗ってくれないから。介護保険の制度上、介護支援専門員(ケアマネージャ)と相談するには要支援や要介護の認定が必要であり、それが倒れたときの準備も解決済みの人の少ない理由だという。
最近は病院への長期入院ができなくなっている。そのため治療の途中であっても退院させられ、そのあとは医療に関しては近くの医師、生活補助は介護保険による支援にたよることになる。そしてその介護保険の利用は本人が手続きすることで始まり、その手続きをするのは当然かもしれないが支援が必要になったときなのである。
自分には介護問題は生じない、生涯現役で過ごせる、と考える人、考えたい人もあるが、いくら目をそむけても長生きすれば老いと直面せざるを得なくなる。老いを逃れる道は若死にすることのみ。人生百年という時代になりつつあるが、それでも老いはたちまちやってくる。
ちなみに認知症の有病率は、八〇歳台前半では男性十六・八パーセント、女性二四・二パーセント。八〇歳台後半では、男性三五・〇パーセント、女性四三・九パーセント。九〇歳台前半では、男性四九・〇パーセント、女性六五・一パーセント。九五歳以上では、男性五〇・六パーセント、女性八三・七パーセントとなっている。また死亡者数のいちばん多い年齢は、男性八七歳、女性九二歳だという。
誰しも未知のことには不安をいだく。そして老後のことは未知の世界であるから不安をいだいて当然であり、とくにひとり者の場合は不安が大きい。その未知のことを未知のまま放置すれば不安はなくならないが、発生する問題とそれへの対策を調べ、できることから準備を積み重ねていけば不安は小さくなるはずである。
老後問題の相談相手
老後の手助けをしてくれる人や組織には以下のものがある。じょうずに専門家の知恵を借りたり、援助を受けたりすれば、安心が確保できるかもしれない。
「地域包括支援センター」。介護支援、被介護者にならないための支援、日常生活の支援、などに関する総合相談窓口。ここにはその地域の高齢者支援のための人、物、情報が集まっている。
「社会福祉協議会」。民間福祉事業やボランティア活動などの推進を目的とする団体。運営資金の多くが行政機関から支出される半官半民の組織。私の住む小浜市では地域包括支援センターと社会福祉協議会は一つになっている。
「自治体の高齢者福祉の担当課」。緊急通報装置の設置、配食サービス、外出支援、生きがい活動支援、などをおこなっている。
「居宅介護支援事業所」。訪問介護、デイサービス、短期間の施設利用、などを在宅の人に提供する事業所。業務対象は要支援あるいは要介護と認定された人。
「高齢者支援事業所や非営利組織(NPO)」。日常生活支援、成年後見契約、死後事務委任契約、身元保証、などをしてくれる。
「民生委員(みんせいいいん)」。民生委員法に基づいて厚生労働大臣から委任された非常勤の地方公務員。福祉全般の相談にのってくれる。
「介護支援専門員(ケアマネージャ)」。介護保険を利用するときの相談相手。福祉関係の事務所に勤務する介護保険の専門家。有資格者。計画書(ケアプラン)の作成、関係者との調整などをしてくれる。
「社会福祉士(ソーシャルワーカー)」。福祉関係の事務所に勤務する福祉全般の相談に乗ってくれる国家資格のもち主。
「司法書士」。成年後見契約、死後事務委任契約、遺言書、などに関する法的なことの相談相手。
「病院、医師、看護師、栄養士、リハビリ療法士」。病気やけがの治療の相談相手。
「介護老人保健施設(老健)」。自宅での生活復帰を目指す人のためのリハビリ中心の入院施設。長期入院はできない。
「地域包括ケア病棟」。退院後の自宅や施設での生活に心配がある人に、リハビリなどの在宅復帰支援をおこなう病棟。長期入院はできない。
なお任意後見契約、死後事務委任契約、遺産相続の手続き、保証人、などのことを業務に取り入れている銀行があるという。費用は、基本契約が三万円、月一回の面談ありで月額二万円、老人ホーム入居の手続き費用二万円、保証人を頼むと一万円、といった具合。ただし私の住む町にはない。
介護保険
介護保険の利用申請は市区町村の窓口でおこなう。自分で行けないときは家族や地域包括センターにたのむ。すると市区町村は、本人と家族に聞き取り調査をおこない、かかりつけ医に意見書の作成を依頼し、それらの結果を元に要支援度あるいは要介護度を判定する。判定結果は三○日以内に通知される。
要支援あるいは要介護の度合いは軽い方から、「要支援一、二。要介護一、二、三、四、五」の七段階があり、要支援一は日常生活の一部に介助が必要な状態、要介護五はほぼ寝たきりの状態、六五歳以上の人がこれらの認定を受けると、原因にかかわらず介護保険による支援が受けられる。
なお介護保険による援助の段階は、要支援と要介護に分けるより、「要介護一~七」とした方がよかったと思う。その方が分かりやすいし、両方とも介護保険の対象であって支援保険なるものは存在しないし、「要支援および要介護」などと書かなくてもすむからである。
「要介護」と認定された人の場合、施設への入所が希望ならその施設に直接申しこむ。在宅での介護が希望なら、介護支援専門員に介護計画(ケアプラン)を作成してもらい、居宅介護支援事業所と契約する。一般的には一人でトイレに行けない要介護三になると、ひとり者は施設に入所することになる。だから常に足腰を鍛えていなければならない。
「要支援」認定の人に対しては、支援のための計画と、要介護にならないための予防計画を作成してくれる。
支援および介護の内容と時間と回数は、介護支援専門員と相談して決定することになるが、それにはできることとできないことがある。
身体介護では、移動介助、食事介助、入浴介助、トイレ介助、おむつ交換、服薬の見守り、などはできるが、服薬の手伝い、通院のための車の運転、入院中の付き添い、などはできない。
生活援助では、生活する場所の掃除、日常生活でのゴミ出し、日常着の洗濯、生活必需品の買い物、薬の受け取り、などはできるが、本人が使わない場所の掃除、花や木の水やり、ペットの世話、預貯金の引き出し、家電や家具の移動や修理、などはできない。
訪問介護と似た言葉に訪問看護がある。この二つの違いは医療行為ができるできないの違い。要するにヘルパーさんが来るのが訪問介護、看護師さんが来るのが訪問看護、ただし訪問看護を受けるには医師の認定が必要となる。
こうした援助は家族の負担軽減の役に立っている。そうした家族の負担軽減をレスパイトと呼び、これは休息とか小休止を意味する英語、レスパイト入院というように使われるとあるが、わかりやすい日本語にするべきだと思う。高齢者はカタカナ語が嫌いなのだ。
理想の老後
老後の備えとして考えられるのは、大まかには以下のようなことであろう。
老後の資金を用意する。
民間の保険などに加入する。ただし保険は支払った以上の見返りはないと思う。
介護制度に関する情報を収集する。
どこで介護を受けたいかを考え、それに合った高齢者施設の情報を収集する。
自力で暮らせなくなったとき誰に見守ってもらいたいかを考え、その相手に頼んでおく。
子供などと一緒に住む。
住宅を高齢者用に改造する。
認知症の備えとして任意後見契約、死後の備えとして死後事務委任契約をしておく。
ご近所さまの協力が必要になることもあるから、地域の人との関係をきずいておく。
連絡や買い物のためにスマホやパソコンの使い方を覚える、など。
それでは、ひとり者にとっての理想の老後とはどういうものだろうか。理想の老後がはっきりしなければ、そのための準備も分からないのだから、これは考えてみる価値はある。お金を山ほど持っていたら、どういう老後を設計するのだろう。自分にとっての理想の老後とはどういうものだろう。持っているお金でその理想にどこまで近づけるのだろう。
元気な長寿者の背後には、緊急時のための見守り役、買い物などの送迎係、悪質業者に対する防波堤、などをしてくれる親族の存在がある。そしてそうした人がいない場合には、その不足をお金でおぎなうこともできる。たとえば瀬戸内寂聴さんは著作や講演の手伝い、家事や外出時の車いす押し、などをしてくれる住み込みの秘書をやとっているという。橋田壽賀子さんは数人の女性と、庭の手入れをしてくれる男性に来てもらっているという。
要するに信頼できる家族がいない場合はお金でやとうということで、これはお金に余裕のある人には参考になる。お金があれば高齢者施設の終身利用権を買っておくという方法もあるが、それには施設がつぶれるという心配があるという。そうした施設の中には信頼度の低いものがあるという。
禅の修行道場の老師と呼ばれる指導者はほとんどが生涯独身なので、そういう人の場合たいていは後継ぎの弟子が面倒をみることになる。だからいい弟子を作ればいい老後を過ごすことができる。私が懇意にしていた老師の晩年はみな恵まれていた。
いろいろと調べたり考えたりした結果、やはり自分の家で死にたい、たとえ一人で最期を迎えることになっても、という人もある。施設入所か、自宅での独居生活か、判断のむずかしい問題であるが、一度決めたらぶれない方がいいと思う。
家族の役割
老後の問題は子供がいればそれですべて解決とはいかない。最近の子供は老親の面倒を見て当然とは思っていないのであまり期待しない方がよい。息子と同居してその嫁にめんどうを看てもらうという時代ではないのである。それに老親のめんどうを是非ともみたいという子供に育てたかどうか、親切にめんどうをみる子供に育てたかどうかも考えなければいけない。
親子といえど利害がからむと関係はすぐにこじれる。子供のために悲惨な目にあっている親は少なくない。子供がいてもたいへん、いなくてもたいへん、家族と住む孤独とひとりで住む孤独のどちらを選ぶか、ということになるかもしれない。また長生きするほど子供に先に死なれる逆縁の事態も増えてくる。
とはいえ、ひとり者といえど天涯孤独の人は少ないのだから、親族とのつながりは大事にしたい。できるだけ連絡を欠かさない、遠方であっても連絡することをためらわない、何かあったときのことを日頃から話しあっておく、介護を頼みたいならはっきりと頼んでおく、といったことを心がけるべきである。
ちなみに家族と同居している人が倒れたとき、家族が果たす役割は以下のようなことなので、ひとり者のための代替案を考えてみた。
救急車を呼ぶ、あるいは病院へ連れて行く役割。・・・緊急通報用の電話の設置。信頼できる人と任意後見契約をしておく。
医師と患者との連絡係。・・・病歴一覧表、常用薬一覧表を作っておく。
治療方針を決定する役割。・・・希望する治療方針を文書にしておく。
看護者としての役割。・・・訪問看護を受ける。一人でがんばる。
治療費を負担する役割。・・・自分で用意する。
治療の打ち切りを決定する役割。・・・延命治療拒否確認書を書いておく。
退院後の受け入れ先としての役割。・・・自宅に帰る。施設に入る。
介護者としての役割。・・・訪問介護を受けて一人でがんばる。施設に入る。
遺体の管理、葬儀や法事の執行、など遺族としての役割。・・・死後事務委任契約をしておく。
ひとり者の備え
最後に、ひとり者がひとりで倒れたときの備え一覧。
「家の中で倒れて救助が呼べない、あるいは急死した、というときの備え」。ひとり者にとっての最大の問題であるが、この備えはむずかしい。アメリカには独居老人の生存確認をしてくれる仕事があると聞いたことがある。毎朝、契約者に電話をし、出ない人がいたら確認に行くというのがその仕事。ただし日本では聞いたことがない。要するにこの問題の解決策は誰かに見守りをたのむこと、そのための「ひとり暮らし見守り隊」を組織している地域もあるという。なおこの備えにはそうして発見されたときどこへ連絡するか、を明示しておくことも含まれる。
「転んで骨折して動けない、あるいは病気で動けない、というとき救急車を呼ぶための備え」。電話を持ち歩く、電話を床にすわって使える低位置に設置する、緊急通報用の電話を設置する、など。なお転ばないための工夫も大切。たとえば敷居に白テープを貼って夜でも見やすくする。段差をなくす。手すりをつける。トイレにマットを敷かない。スリッパはつまずきやすいのでなるべく使わない、など。
「痛みや混乱で電話番号が思い出せないときの備え」。短縮ダイヤルに入れておく。番号を見やすい場所に貼っておく。
「救援が来てもカギがかかっていて家に入れないときの備え」。カギを近所の人に預けておく。カギを屋外に置いておく。壊して入ってもいい場所を教える。
「外出時に動けなくなったときの備え」。連絡先や常用薬を書いたもの、健康保険証、を持ち歩く。
「受診や入院のための備え」。知人に手助けをたのんでおく。健康保険証、介護保険証、お薬手帳、病歴を書いた書類、希望する治療方針を書いた書類、延命治療拒否確認書、などを定位置にまとめて保管しておく。かかりつけ医、かかりつけ薬局を持つ。ただし、かかりつけ医になってもらうには医者の承諾が必要。
「入院時の身元保証人確保のための備え」。知人にたのんでおく。任意後見契約の相手に保証人もたのんでおく。身元保証をしてくれる会社と契約する。
「入院に要するお金の用意」。知人にたのんでおく。入院時にごっそりお金を持参する。
「医療費が高額になったときの対策」。高額医療費の軽減制度がある。またそれを利用しやすくするための限度額適用認定証とか標準負担額減額認定証を発行してもらうこともできる。
「入院中の自宅管理のための対策」。入院直後の戸締まりをしてくれる人。生ゴミと冷蔵庫の食品の処分をしてくれる人。新聞、牛乳、宅配便などを配達停止にしてくれる人。ご近所、仕事先、所属クラブなどへ連絡してくれる人。ペットを預かったりペットホテルに預けてくれる人。そういう親切な人を見つけておく。公共料金、光熱費などの支払いを口座引き落としにしておく。
「いつまで入院できるか分からない不安への対策」。病院に退院支援相談員がいる。早めに退院になる日を確認し、退院後の治療や生活の計画をたてる。
「介護保険を利用するための対策」。病院の相談窓口で申請方法を教えてもらう。
「退院当日のための対策」。帰宅するための方法(タクシーなど)、帰るときに着る服、帰った日の食事、などのことを考えておく。
「退院後の生活への対策」。たとえば、着替えができない(あるいはたいへん)。靴がはけない。布団や座卓から立ち上がれない。洗面、調理、皿洗いが立ってできない。トイレや入浴ができない。掃除、洗濯、物干し、庭の手入れ、水まき、電球の交換、家の戸締まり、ができない。段差が多くて自宅内を歩けない。人が来ても玄関に出られない。玄関の段差のため外出できない。ゴミ出し、犬の散歩、買い物、ができない。回覧板が回せない。病院、郵便局、銀行、へ行けない。災害時に避難できない。などの問題に対しては、
専門家から動作訓練を受ける。自宅の改築。家具の配置がえ。手すりやインターホンの取り付け。車椅子や歩行器など福祉用具の使用。タクシーの利用。ヘルパーの利用。有料家事代行業者の利用。シルバー人材センターやボランティアに頼む。ご近所さまに頼む。自主防災組織に相談する。などの対策がある。
「外出の機会が減って孤独になったときの対策」。通所介護(デイサービス)や通所リハビリ(デイケア)を利用する。地域のサロンに参加する。
「医療費や生活費の心配への対策」。病院の相談員、介護支援専門員に相談する。
「認知症などで一人暮らしができなくなったときの備え」。ひとり者がこの状態になると解決策は施設に入ることのみ。入所するには手続きが必要なので、それをしてくれる人と任意後見契約をしておく。
「死後のための備え」。死後事務委任契約をしておく。
年を取るのは孤独と絶望におちいること、誰も相手をしてくれず未来への夢も希望もないという境遇になること、とばかりは限らない。人生は発展の連続であり、人間は高齢になっても発展し続けている。そして高齢者の変化の特徴は、宇宙的意識といったものに目覚めて死を超越する、自己中心性が減少して利他主義へと移行する、人や社会との表面的な交際に興味がなくなる、といった傾向があるという。
私自身も、宇宙は一つの命の表れと感じるようになり、人と自分をくらべたり人と競争したりすることが少なくなり、物ごとを大局的に見られるようになり、行動も慎重かつ丁寧になった。こうした心境をもっと早く得ることができればよかったと思う。そして死は生の苦痛から解放されるとき、命のふるさとに帰っていくとき、新たな冒険の始まり、と考えるようにもなってきた。
参考文献
「百まで生きる覚悟」春日キスヨ。二〇一八年。光文社
「ひとりでも最期まで自宅で」森清。二〇一九年。教文館
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