供養の話

供養という言葉は、よく使われる割には意味の分かりにくい言葉である。その分かりにくさの原因は、使われ方の多様なことにある。あまりに多様な使われ方をするため意味が把握しにくいのである。

その多様さのひとつは、供養する対象の多様なこと。仏法僧の三宝を供養する三宝供養から、死者に対する追善供養、餓鬼に対する施餓鬼供養、さらには虫に対する虫供養、針に対する針供養、茶筅に対する茶筅供養にいたるまで、対象がまとまりなく広がっているのである。

また塔婆供養という言葉は塔婆を供養するのではなく、塔婆を立てて死者を供養すること、千僧供養は千人の僧に対する供養ではなく、たくさんの僧に供養してもらう法要、を意味している。他にも仏像や墓などに魂を入れる開眼供養という使い方があるし、追善供養のための塔を供養塔と呼んでいるし、物やお金を進呈することを供養とか粗供養と表現することもある。

このように使われ方に幅があるため、意味のとらえにくい言葉なのであるが、先祖に対する追善供養の意味で使われることがいちばん多いようである。

供養という言葉は供給資養を意味するとされ、漢語本来の意味は養い育てること、父母に孝養を尽くすこととある。それがサンスクリット語のプージャの翻訳語にされたことで、仏教用語になったという。プージャは神仏に対して敬意を表明するためにおこなう法要のこと、この言葉の本来の意味は尊敬だという。だから本来仏教における供養の対象は、仏法僧の三宝、菩薩、諸天、などであった

供養する物としては、初期の仏教では、飲食、衣服、臥具、湯薬、の四事供養が説かれ、法華経には、花、香、瓔珞(ようらく)、抹香、塗香(ずこう)、焼香、幢幡(どうばん)、衣服、伎楽、合掌、の十種供養が説かれ、密教では閼伽(あか。水)、塗香、華鬘(けまん)、焼香、飯食(ぼんじき)、灯明、の六種供養が説かれる。

参考のためヒンズー教のプージャのやり方を、百科事典からの引用でご紹介する。プージャには、日々に家庭で水や花や食べ物を献ずる簡単なものから、寺院や祭の場で儀軌に基づいて祭官がおこなうものまで様々あるが、そのやり方の基本は賓客をもてなすように神像をもてなすこと。もちろん神像をもてなすことで神様をもてなすのである。

一、来臨を願い、神像に米や水を注ぎ、花を献じて歓迎する。
二、座具を献じて着座を願う。
三、足を洗うための水を献ずる。
四、敬愛をあらわす供物を献ずる。
五、口をすすぐ水を献ずる。
六、神像を沐浴させる。
七、衣、装身具、聖なる紐などをまとわせる。
八、栴檀の粉で宗派の印をつける。
九、散華をする。
十、焼香する。
十一、灯明を献ずる。
十二、食べ物、果物などを献ずる。
十三、礼拝する。
十四、右回りに神像の周囲を回る。
十五、いとまごいをする。

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