円相の話

「円かなること太虚(たいきょ。虚空)に同じ、欠くることなく、余ることなし」、という言葉が信心銘にある。その円かなる悟りの境地を、目に見える形にしたものが円相である。
 
禅僧が指し示すものは、悟りの境地以外にはない。だから円相(えんそう)を描く目的も、悟りの境地を伝えること以外にはなく、塔婆に描いたり、葬儀のとき空中に描いたりするのもそのためである。
 
円相で真理を表現することは、中国唐代の南陽慧忠(なんようえちゅう。?〜七七五年)国師に始まるとされ、その円相の義を弟子の耽源応真(たんげんおうしん)禅師が受けつぎ、それをさらに仰山慧寂(きょうざんえじゃく)禅師が受けついで接化の手段に用いたので、円相は、い仰宗(いぎょうしゅう)の宗要になった。人天眼目第四には、「耽源、仰山に謂って曰く、国師は六代祖師の円相九十七箇を伝えて老僧に授与す」とある。(い仰宗のいは、さんずいに為)
 
日本における現存最古の円相の墨跡は、養叟宗頤(ようそうそうい。一三七六〜一四五八年)禅師の「明歴ゝ」の賛のある円相とされ、この人は室町時代前期の人、とんちで有名な一休さん、の兄弟子である。
 
円相には九十六種の義があり、それをまとめると以下の六種になる、と禅学大辞典にある。
 一、円相。絶対の真実、仏法そのものを表している。
 二、義海。種々なる三昧はすべて一円相の中に含まれている。
 三、暗機。主客の対立の起こる以前のはたらきを表している。
 四、字学。仏法の字の義を含んでいる。
 五、意語。宗意を表している。
 六、黙論。そのままで宗意に契っている。
 
つまり円相は絶対の真理を表す象徴であり、主客対立以前の円かなる世界を指し示すものであり、仏法のすべての教えと三昧を含むものであり、見るだけで悟りの境地を味わうことのできるものである、ということである。

参考文献「円相」加藤正俊編著 昭和六十一年 毎日新聞社

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