ジャータカ物語五九
これは師が祇園精舎に滞在されたとき、阿難尊者に与えた八つの許しに関連して語った話である。悟りを開いてから二〇年間、世にも尊き方には定まった侍者がなく、あるときはアーガサマーラ長老が、あるときはナーギタが、またウパバーナガが、スナッカタが、チュンダが、サーガラが、メーギヤが侍者をした。
ところがある日、世尊が修行者たちに言われた。「修行者たちよ。私も歳をとったので、常に付きしたがってくれる侍者をひとり決めてほしい」
すると「私がお仕えいたします」と言って、舎利弗尊者を初めとする長老たちが合掌して立ち上がったが、「そなたたちの心はよく分かった。それだけで充分だ」と言って世尊が断ったので、みなが阿難尊者を見て言った。「友よ。あなたが侍者になってはいかがだろうか」
すると阿難尊者が言った。「世尊が自分に与えられた衣を私に与えることがないなら、自分の食べ物を分けてくれることがないなら、自分と同じ部屋に住まわせることがないなら、自分が招待されたとき私を連れて行くことがないなら、私は世尊の侍者になります。
また私が受けた招待に一緒に行って下さるなら、世尊に人が会いにきたとき私が頼めばすぐに会って下さるなら、疑問が生じたときすぐに質問できるなら、私の留守中に法話をしたとき後でその内容を聞かせて下さるなら、私は世にもすぐれた方にお仕えいたします」
こうして阿難尊者は、四つの断りと四つの願いからなる八つのことを許され、それから二五年間、侍者をつとめたのであった。
そのため阿難尊者は、多くの教えを聞いていること、注意力にすぐれていること、ふるまいの正しいこと、物事に動じないこと、仏に仕えること、という五つの点で人に知られ、仏の教えを聞く幸せ、それを理解する幸せ、過去の原因を知る幸せ、仏にたずねることができる幸せ、悟りへの渡し場に住む幸せ、ありのままに知ることができる幸せ、仏のそば近くにいる幸せ、という七つの幸せを備え、仏の教えの第一人者として夜空の月のように輝いたのであった。(以下略)
出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第四五六話
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