ジャータカ物語五八

これは師が祇園精舎に滞在されたとき、「大いなる幸せの経」に関連して語った話である。王舎城の集会所に人々が集まっていたとき、幸せって何だろうと一人の男が言った。

すると近くにいた男が答えた。「それは幸さきのいいものを目にすることだ。大きくてまっ白な雄牛とか、お腹の大きな女とか、赤い魚、水がいっぱい入った瓶、新しい布、などを見ることだ」

この言葉に賛成する者もいたが、別の男が異論をとなえた。「幸せというのはそんなものではない。幸さきのいいことを耳にすることだ。大きくなったとか、一杯になったとか、舌にとろけるような食べ物だとか、かみごたえのある食べ物だ、などと人が言っているのを耳にすることだ」

これにも賛成する者がいたが、また別の男が言った。「幸せはそんなことではない。幸さきのいいものに触れることだ。緑の草とか、赤い魚とか、金銀、洗い清められた衣、などに触れることだ」。この言葉にも賛成するものがいた。

こうして人々は議論をくり返したが結論は出なかった。下は地に住む神々から、上は梵天の世界に住む神々に至るまで、まことの幸せを知っている者はいなかった。この議論を眺めていた帝釈天が考えた。「神々を含めたこの世界のなかで、幸せについて説きあかすことができるのは尊き方以外にはない」

そこで帝釈天は世尊のもとへ行き、合掌礼拝し、まことの幸せについて質問をした。すると世尊は「大いなる幸せの経」を説き、そのとき百億の神々が聖者の最高の境地に達し、最初の境地に達した神々の数は知ることもできないほどであった。翌日このことが修行者たちの話題になった。

「友よ。神々でさえ答えられなかった問いに、世尊は夜空に月が昇るが如く明らかに回答された」

そこへ世尊がやって来た。

「修行者たちよ。ここで何の話をしているのか」

「これこれの話です」

「私は昔、菩薩として修行しているときにも、神々や人々の幸せについての疑いを解決したことがある」。そう言って世尊は過去の話をされた。

昔、菩薩はある町の裕福なバラモンの家に生まれ、ラッキタと名づけられ、タキシラで学芸を学び、妻を迎え、両親が亡くなると家をついだ。ところがある日ラッキタは、己の信ずるところに従って、大いなる布施をおこない、愛するものを捨ててヒマラヤへ行き、木の実や草の実を食べて修行する苦行者となり、禅定と神通力を得た。そして彼に付きしたがう苦行者は五万人になった。

あるとき弟子の苦行者たちが師に言った。

「雨が降るあいだ、私たちは山を下りて国々を巡り、塩気や酸っぱいものを補ってきます。そうすれば体がしっかりするでしょう」

「行くがよい。私はここに居る」

弟子たちは礼拝して山を下り、国々を回ってバラナシに至り、王の園に足をとどめた。そのときバラナシの集会所で今回と同じ論争がおこり、説き明かせる人がいなかったので、人々は王の園に滞在する苦行者たちに質問した。すると彼らはこたえた。

「大王さま。私たちにはできませんが、師匠のラッキタなら、神々を含めたすべてのものを満足させる回答ができると思います。彼は大いなる智慧の持ち主です」

「ヒマラヤは遠く、道も険しく、私たちは行くことができない。あなた方が行って本当の幸せについて学び、それを私たちに説き明かしてほしい」

そこで苦行者たちはヒマラヤにとって返し、一番弟子が詩でもって師に質問した。

「ベーダ聖典のいかなるものを学び

 どのようにふるまえば

 この世においてもかの世においても

 幸せになることができるのでしょう」

師も詩をとなえた。

「欲界、色界、無色界の神々から

 蛇のような生き物にいたるまで

 つねに慈しみの心で敬うなら

 それが生き物との交わりの幸せである


 すべての者と波風を立てることなく暮らし

 女や男たちにあしざまに言われても

 耐え忍んで言い返すことがないなら

 それが人々との交わりの幸せである


 財産や才能や生まれの良し悪しで

 仲間を見下したりせず

 事をなすに考え深く、知恵があるなら

 それが仲間との交わりの幸せである


 友がみな心を許せる正しいものであり

 また自分がいつわりを言わず、裏切らず

 富を分かち与える人だと友に思われているなら

 それが友との交わりの幸せである


 教えを喜び、ふるまい正しく、家柄もよく

 身も心も捧げて従ってもくれる

 そういう妻と仲むつまじく暮らし、子宝にも恵まれるなら

 それが妻との交わりの幸せである


 清く正しくつとめ励み

 そしてこの者は二心を抱かず忠実であると

 ほまれ高き王に思われているなら

 それが王との交わりの幸せである


 信ずる心が深く

 清きよろこびの心で食べ物や飲み物

 花輪や香や装飾を布施するなら

 それが天の世界との交わりの幸せである


 戒をそなえ、多くのことに精通した仙人が

 聖なる道によって

 清く安らかな暮らしに導いてくれるなら

 それが修行を完成した人との交わりの幸せである」

師はこれら八つの詩によって幸せを説き明かし、最後に幸せをたたえる詩をとなえた。

「世の中にはこれだけの幸せがある

 これらのことが賢者に称えられている

 智慧あるものはこれらに親しむ

 見たり聞いたり触れたりする

 幸さきがいいとされることにはいかなる真実もない」

修行者たちはバラナシへ戻ると、この教えを王や人々に語り聞かせ、こうして明らかにされた幸せを、多くの人々が実行して天に生まれ変わっていったので、天の世界はそうした人々であふれた。またラッキタも慈悲喜捨の四徳の実践に努め、やがて弟子たちをひき連れて梵天の世界に生まれ変わっていった。最後に世尊が言われた。「そのときの苦行者の集いはいまの仏弟子の集いであり、一番弟子は舎利弗尊者であり、師匠は実にわたくしであった」

出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第四五三話

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