ジャータカ物語五七

これは師がカピラ城の近くにあるニグローダ園に滞在されたとき、師が浮かべた微笑に関連して語った話である。世尊は朝早くニグローダ園を散策していたとき、ある場所でふとほほえみを浮かべた。それを見た阿難長老が、「如来は理由もなくほほえむことはない」とその理由をたずねると、世尊が言った。

「阿難よ。昔ここに色黒という名の仙人が住んでいた。彼の修行の激しさと、戒を守る厳しさは、帝釈天の座をゆるがすほどであった」。そして請われるままに過去の話をされた。

昔バラナシでブラフマダッタ王が国を治めていたとき、八億の富を持ちながら息子に恵まれないバラモンがいた。そのバラモンが、息子が生まれますようにと、戒を守って一心に祈っていると息子が生まれ、その息子は色が黒かったので色黒と名づけられた。彼は菩薩の生まれ変わりであった。

色黒は宝石で作られた彫像のような美しさにあふれ、十六歳になると父の言いつけでタキシラへ行き、すべての技芸を身につけて帰ってくると、似合いの妻をめとり、父母が亡くなるとすべての財産を受けついだ。ある日、色黒はすべての宝蔵を見て回り、見終わると豪華な寝椅子に身を横たえ、金の板を持ってこさせた。その板には「この者はこれこれの財産を作った」ということが記されていた。色黒はそれを見て思った。

「ここに記された者たちは今は誰もいない。ただ財産だけが残っている。あの世に財産を持って行ったものは一人もいない。肉体には多くの病があり、命は無常の風にさらされている。老病死が訪れたとき財産が何の役に立つだろう。しかも財産は罪悪に結びついている。老いが私を呑みこむ前に出家して修行し、禅定と神通力を得て梵天の世界に行くものとなろう。まず欲を捨てるために布施をしよう」

色黒は王の許しを得て大がかりな布施をおこない、すべての財産を布施しおえると、悲しみ嘆く声を聞きながら、バラナシの都を去ってヒマラヤへ行き、村から遠く離れた一本の木の下に居を定め、そこで苦行をおこなった。彼は大空の下に住む者、森の中にひとり住む者、木の葉の小屋さえ持たぬ木の根元に住む者、横にならずいつもすわっている者となったのであった。

この生涯における菩薩はとりわけ小欲であった。穀物は食べず、一日に一度、火を通さないものだけ、木の実がなるときは木の実を、花の咲くときは花を、葉のあるときは葉を、葉のないときは樹皮を食べたのであった。しかも実のよしあしを選ぶことなく、木の実を求めてよそへ行くこともなく、いつもその場にとどまり苦行を続けた。そのため久しからずして禅定と神通力を得た。

そうした苦行の力により、帝釈天の浅黄色の石の玉座が熱くなった。その玉座は、帝釈天の寿命が尽きるとき、福徳が尽きるとき、偉大な力を持つものがその地位をねらっているとき、神通力を持つまことの修行者が戒律を守って苦行をおこなっているとき、熱くなると言われている。(以下略)

出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第四四〇話

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