アルプス横断の旅
平成二十八年の九月から十月にかけて、アルプス山脈を横断する旅をしてきた。イタリアのベニスへ飛び、そこからバスで北上してオーストリアを横断、ドイツのミュンヘンから帰国という行程であった。
この旅行の核心は、イタリア北部にあるドロミテ山塊の散策、オーストリア最高峰のグロースグロックナー山(三七九七メートル)の眺望、ドイツ最高峰ツークツェ・ピッツェ山頂(二九六二メートル)へのロープウェイでの登頂、山里の美しい村の散策、といったところであった。ほかの参加者に聞いてみたら、やはり山を見に来たという人が多かったが、映画サウンドオブミュージックの舞台になったザルツブルクに興味があるという人もいた。
今回の旅行の参加者は二十四名、そのなかで私は二番目に若い参加者であり、ほとんどの人は七十歳台であった。退職した人たちが余生の楽しみとして旅行して回るのはもちろんいいことだが、私を含めた先の短い人間が新しいことを見たり聞いたりしても、あまり世の中の役には立たないのだから、もっと若い人たちが海外に出るべきだと思った。
アルプス山脈はヨーロッパ大陸の南西部を横切る、全長千二百キロ、幅が百三十キロから二百キロにおよぶ大山脈である。最高峰は四八〇七メートルのモンブランであるから、それほど高い山脈ではないが、なぜか岩場の規模は大きく、しかも険しく、百メートルぐらいの絶壁は至るところにそびえており、ドロミテでそのふもとを散策した、巨大な石碑のようにそそり立つ岩山トレチーメ(三つの峰)の絶壁は、なんと五百メートルあるという。なおアルプスは英語の呼称であり、ドイツ語はアルペン、フランス語はアルプ、イタリア語はアルピである。
トレチーメの下で山岳ガイドにエーデルワイスの花を教えてもらった。すこし茶色に変色した咲き残りの花だった。たくさん咲いていたのはリンドウの花、野生のクロッカスは初めて見た。そのガイドが言っていた。三度日本に行ったが、日本の山を歩いたとき驚いたのは高齢の登山者の多いこと、ヨーロッパ人は歳をとるとみんな太ってしまうので山に登る老人はいない、とか。
日本の山は病気を持ちこむ危険があるとしてペット禁止になっているが、ドロミテでは犬同伴の人が多かった。山の上の方まで牛や馬の放牧地になっているから、ペットを禁止しても仕方がないのだろう。ドロミテの山は岩肌が白く、そのため雪が残っているように見える所があったが、ややこしいことにその中に雪の白も混じっていた。
今回の旅行でいちばん印象に残っているのは、緑あふれるアルプスの山里の美しさで、どこを見ても絵になる景色ばかりであった。その景色は自然と人間が協力して作り上げたものであり、その中でも特によかったのが緑のじゅうたんのような牧草地であった。日本人が原野や山麓を開墾してせっせと田んぼを作ったように、アルプスの住人はせっせと牧草地を作ったのであるが、日本の山里は耕作放棄で草ぼうぼうになっているのに、アルプスの山里は牧草地だけでなく道路脇の斜面まできれいに手入れされていた。
そしてそうした景色にとけ込むように伝統的な建物が点在し、家々のベランダにはたくさんの花が飾られていた。ベランダで花を育てる場合、日本なら住む人が見るように内向きに置くと思うが、ここでは外に向けて置かれている。そのため美しいと言われる村をいくつも見て回ったが、そうした観光地へ行かなくても、アルプスの村はどこも魅力的だった。このあたりの人は食べ物は質素だが住居にお金をかけるという説明をきいたが、美しい景観を作るためにお金と手間をかけるというべきであろう。
景観を大切にする人の住む国であるから、広告用の看板などどこにもなく、町のなかに電柱もない。また川の護岸はコンクリートよりも石垣のところが多く、護岸そのもののないところもあった。川幅に余裕を持たせればコンクリートの堤防で固める必要はないのであり、川の両側が堤防代わりの林になっているところもあった。
景観とともに静けさも大切にしているから、レストランに入っても、売店に入っても、音楽を流している所はない。日本の高速道路では、休憩所に入っても、トイレに入っても、音楽や道路情報をエンドレスで頭の上から流しているが、ヨーロッパではあり得ないことである。日本人は余計なことをするのが好きな人間だとつくづく思う。
速度制限のない道路
この旅行では制限速度なしという夢の高速道路、ドイツのアウトバーンを走るのを楽しみにしていたが、残念ながら今回走った道は山の中のせいか百キロ前後の制限速度になっていた。バスの運転手の話では、制限速度のない道路ではフェラーリなどの高級車に乗って、三百キロとか三百五十キロで走る人もいるが、百三十キロをこえて事故を起こすと保険が下りない、だから私は百三十しか出さない、と言っていたから無制限とはいえ百三十キロが推奨速度ということらしい。ちなみに日本の高速道路の最高速度は百キロである。
なぜドイツでは制限速度を設けないのだろうか。おそらくドイツ人は、走る速度は警察が決めることではなく、運転する人間が決めることだと考えているのだろう。スピードを出すも出さないも、自分で決定し自分で責任を取るということである。それに対して日本は、国家がやたらと規制をし責任は自分で取れという国である。
三カ国をバスで走ったが信号機の設置された交差点はきわめて少なかった。郊外に出るとほとんど信号はなく、交差点の多くは環状交差点になっている。こういう国を走っていると、至るところで信号でもって車の流れを止める日本のやり方はおかしいと誰しも思うはずである。日本のように信号の多い国は世界中探してもほかにはない。
アルプス山中の道路を走っていると、美しい牧歌的な景色が尽きることなく連続する。また高速道路はそうした景色がよく見えるように作られている。ところが日本の道路は景色のいい所に来ると、必ず景色が見えないように目かくしが設置されている。よそ見をして事故を起こさないようにという親切心かもしれないが、お金をかけた誠に愚かな行為だと思う。
日本の道路には車をガタガタと振動させる板が、道路上によく張り付けられている。今では日本中の道路がこのガタガタに占領されてしまったが、これなどもお金をかけて乗り心地を悪くする誠に愚かな行為である。もちろん今回の旅行ではこうしたものは一度も見なかった。
ヨーロッパの高速道路は対向車のライトを遮光するための生垣がしっかり設置されている。それに対して日本の高速道路は、羽子板のような板を並べているだけの所が多く、これだと遮光効果は不完全だし、カーブのところではほとんど役に立たない。それどころか遮光装置のまったくない高速道路さえ日本には存在する。もっと安全に配慮した、運転者に親切な道路を作れないものかと思う。
戦争を無くす方法
イタリアからオーストリアへ向かっているとき添乗員に、「国境の写真を撮りたいから通過のとき教えてくれ」と頼んだら、もう通過してしまったといわれた。そこでオーストリアからドイツに入るときまた頼んだが、道路脇に小さな標識が立っているだけの国境を、走ったまま通過したのでうまく撮れなかった。「以前はあそこで面倒な検問があったが今は何もない」とバスの運転手。この旅行では同じバス、同じ運転手で三カ国を走った。
ヨーロッパ全体をEUという一つの国にすることの最大の目的は、戦争をなくすことだという。国境がなければ国境紛争は起きず、国が一つしかなければ戦争も起きない、という発想であり、そのため国境をできるだけ強調しないようにしているのではないかと思った。長年戦争をくり返してきたヨーロッパ人が、戦争を無くすために考え出した壮大な計画が国境を無くすことだった、ということかもしれない。すると領土問題でもめている中国周辺では、遠からず戦争が起きる可能性がたかい。
旅の最後に少しだけドイツに滞在したので、少しだけドイツのことを旅行案内書で調べてみた。そしてドイツ人は戦争のことを忘れないために、戦争に関係する歴史的な場所をたくさん残していることを知った。日本でも広島や長崎に原爆記念館があるが、これらは自分がやられた場所である。ドイツ人は自分たちがまちがいを犯した場所を、自分への反省材料として残しているのであり、今でもまだナチスの戦犯の捜索を続けているのである。
悪く言えば戦争責任をすべてナチスとヒトラーに押しつけているのであるが、それに対して日本は、日本人だけでも三百十万人が戦死したとされる戦争の責任を、自分ではまったく追求していないのである。軍国主義によって多くの国民を苦しめた責任の所在を、もっと明らかにしなければならなかったと思う。
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