花立てのないお墓

私が住んでいるような田舎の寺でも、墓地でゴミを燃やせないようになってきた。周囲の田や畑が住宅地になり、農作業のための野焼きをする人がいなくなると、寺も煙を上げにくいのである。またダイオキシンの問題から野焼きそのものが禁止されるともいう。

そこで墓地のゴミを減らすため、ゴミの持ち帰りをお願いしてみた。交換した古い花を、そのまま持ち帰ってもらおうと計画したのだが、協力してくれる人がほとんどなくこれは失敗だった。ということで結局はゴミの収集のとき出すことにした。

墓地のゴミ問題を考えていたら、お墓に花を供えることの良し悪しにまで行きついた。新しい花を供えるのは気持ちのいいものだが、お墓の花は長持ちせず、夏の炎天下だと一日で枯れてしまう。だからほとんどの花は枯れたり腐ったりした状態で放置されている。意地悪な言い方をすれば、お墓を汚すために花を供えているという状態なのであり、この状態を根本的に解決する方法はないかと考えたのである。

檀家さんの中には、花を枯らさないように一日三回、水の交換に来る人もいるが、この方法はすぐ近くに住む、ひまな人でなければ無理である。もっといい方法を作家の曾野綾子氏が、「旅立ちの朝に」という本に書いていた。これは曾野氏が母親のお墓を作ったときの話である。

「お墓は私たちの家族が皆好きな海の見える明るい丘の上にあり、ちょうどオレンジ色の百合が盛りでした。私たちは、お墓の前に、日本人の習慣になっている花立てを作りませんでした。お墓の花立てに花をいけるとすぐ枯れて汚くなり、しかもそこに蚊が湧いて生きている人たちを刺しますからやめようということで、息子もそれに大賛成だったのです。その代わり、私は春に、毎年ベコニヤを植えることにしました。百合と水仙と曼珠沙華は、もう植えてあるのでそれぞれの時期に花を咲かせてくれます。毎年、ベコニヤさえ植えれば、この花は丈夫で、長い間、お墓を明るく飾ってくれます。

私はお墓というものは、自分の家族のためだけでなく、お参りに来るほかの人たちのためにも明るく綺麗なほうがいいと思っています」

こだわりのない性格なのか、それともキリスト教徒だからか、花立てのないお墓を作っってしまったのである。お墓に花を植える人はほとんどいないと思うが、季節ごとにいろんな花が咲く墓地は、想像するだけでも楽しいものである。蚊の発生にもふれているが、蚊は近所迷惑この上ない存在である。

この本を読んでから、私も形のいい小さな木をお墓に植えてみた。そして分かったことは、根がある植物はいつも青々しているということだった。それが実に新鮮だったのであるが、特大のお墓でない限り植えるのは草の方がよい。草は枯れたら消滅するが、木は剪定が必要になるし、根が墓の中に入るといった問題も起きてくるからである。

ついでに言うと、お供え物をお墓に置いていくのも近所迷惑になる。墓参しているときからカラスが木の上で待ちかまえていて、まだ墓地を出ないうちにお供え物をもち去り、木や屋根の上で食べてゴミをばらまくからである。とくにお盆のときにはたくさんのカラスが集まってきて、ヒチコック映画の「鳥」のような光景が出現することもあるから、ばらまかれるゴミも多くなる。

またカラスが持っていかなければ、墓の上で腐って先祖迷惑になる。だからお供え物は持ち帰るのが一番いいと思う。できるだけ豪華なお供え物、たとえば特上のメロンやお菓子をご先祖さまに供え、それを持ち帰ってみんなで食べる、というのが最良の方法だと思うのである。そうすれば、ご先祖さまもよろこぶし、自分たちもよろこぶし、近所迷惑にもならない、という「三方ともによし」の墓参ができる。

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