ジャータカ物語四四
これは師が祇園精舎に滞在されたとき、すぐに腹を立てる修行者に語ったことである。世尊がその修行者に言った。「修行者よ。そなたは決して怒ることのない仏の教えに入門していながら、なぜすぐに腹を立てるのか。昔の賢者はムチで千回たたかれても、手足や耳や鼻を切られても、決して腹を立てなかったのだ」。そして過去の話をされた。
昔バラナシでカラーブ王が国を治めていたとき、菩薩は八億の富を有するバラモンの家に生まれ、クンダカクマーラと名づけられ、成長するとタキシラであらゆる技芸を学び、両親が亡くなると八億の富を受けついだ。彼は考えた。「両親はこれだけの財産を作りながら、持たずに逝ってしまった。これをどうしたものだろう」
そこで彼は財産を点検し、財産を与えるにふさわしい人に、ふさわしいだけの財産を分け与え、全てを布施しおわると、出家してヒマラヤ山に入り、木の実や果実を食べて暮らす苦行者となった。そしてある日、塩と酢を手に入れるためバラナシにやって来て、王の庭園で夜を過ごし、翌朝、町の中を托鉢して回り、ある軍師の家のまえに立った。軍師は苦行者の立ち居ふるまいに心をひかれ、家の中に招いて自分のために用意してあった食べ物を与え、苦行者は食事が終わると王の庭園へもどり、そこにしばらく滞在した。
ある日カラーブ王は酒を飲み、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりする女たちを引きつれて庭園に入り、お気に入りの女の膝枕で舞いを見ていたが、やがて眠りに落ちた。そのため女たちは王を置いて庭園を散策してまわり、満開の沙羅の木の下で禅定に入っていた苦行者を見つけると、口々に言った。「王さまがお目覚めになるまで、この出家に何かお話をしてもらいましょう」。苦行者は請われて教えを説いた。
王は目覚めたとき女たちがいなかったので、膝枕をしていた女にたずねた。
「みんなどこへ行った」
「王さま。ほかの者は向こうで苦行者の話を聞いています」
その言葉をきくや王は腹をたて、「そいつをたたき切ってやる」と刀をつかんで苦行者のところへ行ったが、女たちになだめられ刀を取りあげられた。王が苦行者にきいた。
「苦行者よ。お前は何を説くものか」
「大王。私は忍耐を説くものです」
「忍耐とは何か」
「ののしられても、たたかれても、怒らないことです」
「ならばお前にその忍耐があるかどうか調べてやろう」。そう言って王は首切り役人を呼びにやり、すぐに役人が斧ととげの付いたムチを持ってやって来た。
「王さま。何をいたしましょうか」
「この盗っと行者を前後左右からムチで千回たたけ」
役人が言われた通りにしたので、菩薩は皮が裂け、肉が破れ、血まみれになった。王はまたきいた。「修行者よ。お前は何を説くものか」
「私は忍耐を説くものです。大王は肉の中に忍耐があるとお考えのようですが、私の忍耐は心の奥にあります」
首切り役人がまたたずねた。「王さま。何をいたしましょうか」
「この悪しき外道の両手を切ってしまえ」。役人が台の上にのせて両手を切ると、王がさらに言った。「両足も切ってしまえ」。そしてたずねた。
「お前は何を説くものか」
「私は忍耐を説くものです。大王は手足の先に私の忍耐があるとお考えのようですが、私の忍耐はもっと奥深いところにあります」
すると王は「こいつの耳と鼻も切ってしまえ」と命じ、それからまたきいた。「お前は何を説くものか」
「私は忍耐を説くものです。私の忍耐が耳や鼻にあると考えてはいけません。心の奥深くにあるのです」
「悪しき外道め。お前は自分の忍耐を大事に守っておれ」。そう言って王は苦行者の胸をけった。王が立ち去ると軍師が苦行者の血をぬぐいながら言った。「尊者よ。お怒りになるなら、怒りを王に向けて下さい。ほかの者に向けられませんように」。そして詩をとなえた。
「すばらしき英雄よ
手足や耳や鼻を切らせた者にのみ
怒りを向けられよ
この国が滅びることのないように」
苦行者も詩をとなえた。
「私の手足や
耳や鼻を切らせた者が
長寿に恵まれることを祈る
私は怒ることのない者である」
ところが苦行者の視界から王が出たとき、王の足もとの二四万ヨージャナの厚さの大地が布のように裂け、阿鼻地獄から赤い炎が吹き出してきて王の体を包みこみ、地獄へとつれ去った。苦行者はその日のうちに息を引き取り、香や花を手にした王の家来や町の人々が、たくさん集まってきてそのなきがらを葬った。
最後に世尊が言われた。「そのときのカラーブ王はダイバダッタであり、軍師は舎利弗尊者であり、忍耐を説く行者は実にわたくしであった」
出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第三一三話
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