ジャータカ物語四二

これは師が祇園精舎に滞在されたとき、四人の女性修行者に関連して語ったことである。昔、バイサリに七千七百七人のリッチャビ王族出身のリッチャビ人が住んでおり、彼らはみな議論を好んでいた。

あるときその町に、五百通りの議論に通達した男のジャイナ教徒がやって来た。議論好きのリッチャビ人たちは彼を快く迎え入れ厚遇した。そこへ今度は五百通りの議論に通達した女のジャイナ教徒がやって来た。そこで人々は二人に議論をさせたが、力量が等しく勝負がつかなかった。そのため人々は、「この二人が結婚すればきっと賢い子供が生まれるだろう」と考えて二人を結婚させた。

彼らには四人の娘と一人の息子が生まれ、五人は分別のつく年頃になると、父から五百通り、母から五百通り、合わせて千通りの議論の方法を学んだ。両親は娘たちにこう言い聞かせた。「お前たちと議論して勝つ者があれば、相手が在家の人ならその人の妻になりなさい。出家ならその人の元で出家しなさい」。そして両親は亡くなった。

両親が亡くなると、息子はバイサリでリッチャビ人たちに学芸を教えて暮らしを立て、娘たちは議論をするため、ジャンブ樹の杖を突いて町から町へと巡り歩き、やがて舎衛城にやって来た。そして門の前に杖を突き立て、「在家でも出家でも、私たちと議論をして勝つ自信のある者がいたら、その者にこの杖を踏み倒させよ」と子供たちに言いおき、托鉢のため町に入った。

その日、若き舎利弗尊者は、掃除されていないところを掃除し、空の水がめには水を入れ、病人たちを見舞い、正午近くになると托鉢のため舎衛城へ行った。そして門の前に杖が立っているのを見、子供たちからその理由をきくと、尊者はその杖を踏み倒させ、「この杖を立てたものは食事のあと祇園精舎に来るがよい」と伝言を残し、舎衛城へ托鉢に入った。

女性遍歴行者たちは杖が倒れているのを見、子供たちから伝言をきくと、大勢の町の人々とともに祇園精舎へ行き、尊者に千通りのやり方で議論を仕掛けたが、尊者はその全てに答えてから言った。

「ほかに何かありますか」

「ありません。先生」

「それでは今度は私が質問しよう」

「おたずね下さい。先生。知っていればお答えします」

「一とは何か」

彼女たちは答えられなかった。尊者が答を教えると、「先生。私たちの負けです」と負けを認めた。

「あなた方はこれからどうするつもりか」

「私たちの両親はこう言いました。在家の人で議論に勝つ人があればその人の妻になりなさい、出家ならその人の元で出家しなさい、と。だから私たちが出家することをお許し下さい」。尊者はウッパラバンナー長老尼のもとで四人を出家させ、ほどなく彼女たちは聖者の最高の境地に達した。・・・以下略(長すぎるため)・・・

出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第三〇一話

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