死んだらどこへ行くか

このお話は、「死んだらどこへ行くか」という質問に対する回答として書いたものです。私たちは死ぬとどこへ行くのか。

科学の問題として扱うなら、この問いに対する一番適切な答は「分からない」でしょう。宗教の問題として扱うなら「信じているところへ行く」が一番適切な答だと思います。つまり阿弥陀さまを信じている人は極楽浄土へ行く。死ねばゴミになると思っている人はゴミになる。

仏教の基本の教えでは、「生前の行為にふさわしい所に生まれ変わる」とされています。つまり善いことをすれば楽しい世界へ、悪いことをすれば苦しみの世界へ生まれ変わる。これを輪廻(りんね)といい、葬式や法事を行うのはそうした来世に対する援護射撃でもあります。

仏教が最終的に目ざすのは涅槃の境地であり、それは一切の苦からの解脱であり、輪廻の世界からの解放です。ならば解脱したらどこへ行くのか。この世界は一つの大きな命のあらわれであり、私たちの本質はその空なる根元の命そのものでありますから、解脱すればその命に帰っていきます。その命を極楽浄土ともいうのであり、葬儀のとき位牌に新帰元と書くのはそのためです。

大慧禅師発願文にこうあります。「末期自在に、この身を捨ておわって、速やかに仏土に生じ、まのあたり諸仏にまみえ、正覚の記を受け、法界に分身して、あまねく衆生を度せんことを」。これが私の行きたい所です。

また一休さんの歌にはこうあります。「たらちねに呼ばれて仮に生まれ来て、心おきなく帰るふるさと」。「死にはせぬ、どこにも行かぬ、ここにおる、呼んでくれるな、返事はせぬぞ」

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