ジャータカ物語三一
これは師が祇園精舎に滞在されたとき、ラクンタカバッデカ長老に関連して語ったことである。この長老は煩悩を滅した聖者であり、仏の教えに通じたすぐれた理解能力を持つ人であり、説教のうまさと美声でも知られていたが、背が低いのとひょうきんな顔つきのため、いくつになっても見習い小僧のように見えたので、ときに嘲笑の的にされることがあった。
ある日、地方に住む修行者三十人ほどが、世尊に会いに祇園精舎にやって来た。彼らは門のところで長老に会うと、なりたての見習い小僧と勘違いして、衣や耳を引っ張ったり、顔や頭に触ったりしてからかった。そして身だしなみを調えて世尊に会い、礼拝して一隅にすわると、中の一人が世尊にたずねた。
「尊師よ。ラクンタカバッデカ長老という説教の上手な人がおられるそうですが、お目にかかれますか」
「修行者たちよ。そなたたちが門のところで手荒ないたずらをしたのがその長老である」
「尊師よ。そのような立派な人が、なぜあのような姿に生まれたのでしょう」
「それは彼が過去に犯した罪のためだ」。そう言って世尊は過去の話をされた。
昔バラナシでブラフマダッタ王が国を治めていたとき、菩薩は神々の王、帝釈天として生をうけた。そのときのバラナシ王はいたずら好きであり、しかもいたずらの対象は年老いた人や動物、古ぼけた物であった。老人を見ると地面を転がすなどのいたずらをし、牛でも馬でも象でも年老いたものを見ると追いかけていじめ、古ぼけた車を見ると打ち壊したりしたのである。
そのため父母を大切にするとか老人をいたわる、といった美徳が世の中から姿を消し、そうした徳を積まなくなったことで人々は死ぬと四つの苦しみの世界に生まれ変わるようになり、生まれてくる者がいなくなったことで天界では住人が減少した。そこで帝釈天は「これはどうしたことか」と世界を見わたした。
そしてつぎの祭の日、王が飾りたてた象に乗って町を右回りに巡回しているとき、帝釈天はミルク壺を二つ持ち、ぼろをまとった老人の姿になって古ぼけた牛車に乗り、老いた牛にそれをひかせて正面から王に近づいた。王はそれを見て顔をしかめて言った。
「あの車をどけさせろ」
「王さま。どの車ですか。私たちには何も見えません」
帝釈天は神通力で王にだけ自分の姿が見えるようにしたのである。そして接近すると、王の頭上に牛車を浮揚させて王の頭に壺のミルクを注ぎ、引き返してもう一つの壺のミルクも注ぎ、それから金剛杵を手にした姿で空中にあらわれて言った。
「悪王よ。お前は歳を取らないというのか。お前の体には老いがおそいかからないというのか。お前はいたずらをして老人を苦しめている。お前のために人々は父母に孝養を尽くすことができず、そのため死ぬとみな苦しみの世界に生まれ変わっている。今後もいたずらをやめないなら、この金剛杵で頭を打ち砕いてしまうぞ」
帝釈天はそう言っておどしてから、父母や老人を敬うことの功徳を説いて天界へ帰り、それ以後、王はいたずらをしなくなった。
最後に世尊が言われた。「そのときの王がラクンタガバッデカであった。彼はその報いでいたずらをされる身に生まれついたのである。そしてそのときの帝釈天は実にわたくしであった。
出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第二〇二話
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