ジャータカ物語三十

これは師が祇園精舎に滞在されたとき、女のために出家生活がいやになった修行者に語ったことである。世尊がその修行者にたずねた。

「修行者よ。出家生活が嫌になったというのは本当か」

「本当です。世尊」

「なぜそうなったのか」

「着飾った女性を見て情欲にかられたからです」

「修行者よ。女は、姿、声、匂い、感触、態度、などで男を誘惑して自分の意に従わせ、節操と財産を失わせる。昔あるところに女の夜叉の住む町があった。その女夜叉たちは商人たちを誘惑して意に従わせ、最後は殺して食べていた」。そう言って請われるままに過去の話をされた。

昔タンバパンニ島(スリランカ)に女夜叉の住む町があった。女夜叉たちは海岸に船が漂着すると、船の商人たちを安心させるために、畑仕事をしている人や家畜や犬などのまぼろしを出現させ、それから念入りに着飾って、子どもと侍女をつれて船に近づき、持ってきた食べ物を与えながら話しかけた。

「あなた方はなぜここに来られたのです」

「船が難破して流れ着いたのです」

「実は私たちの夫も船に乗って出かけ、それから三年になります。おそらくもうすでに死んでしまったのでしょう。ですから私たちを、あなたたちのおそばに仕えさせて下さい」

そう言って媚態で誘惑し、夜叉の町へつれていった。そしてそれまで町にいた男たちを、魔法の鎖でしばって牢屋に投げこみ食べていた。近くで難破船が見つからないときは、遠くの海岸まで探しに行くこともあった。

ある日、五百人の商人が乗った船が海岸に流れついた。女夜叉たちはさっそくいつものように誘惑し、五百人の商人を五百人の女夜叉が夫にし、それまで夫にしていた男たちを牢屋に投げこんだ。そして新たに来た商人たちが眠ると、抜け出して牢屋へ行き男たちを殺して食べた。

女夜叉の首領を妻にした商人の親方は、夜中に戻ってきた女の体が冷たかったことで、女が夜叉であることを知り、「ほかの女も夜叉にちがいない。早くここから逃げねばならぬ」と、夜が明けるとすぐ仲間の商人たちに言った。「あの女たちは夜叉に違いない。ここに居ると食べられてしまうから逃げねばならぬ」。ところが仲間の半分はそれを聞き入れなかった。「私は女を捨てられない。ここに残る」。そのため親方は残りの二百五十人を引きつれて町を逃げだした。

そのとき菩薩は天馬の王に生まれ変わっていた。その天馬は全身まっ白で、ムンジャ草のような毛が生え、頭はカラスのようにとがり、神通力で天を駈けまわっていた。その日、天馬の王はヒマラヤを飛び立って、沼に生えた稲を食べにタンバパンニ島へ行き、夜叉の町から逃げてきた商人たちを見つけると呼びかけた。

「人間の世界に戻りたければ私が連れていってあげよう」

商人たちは喜んだ。「ぜひ連れていって下さい」

「行きたいものは私につかまりなさい」

するとある者は背に乗り、ある者は尾につかまり、ある者は合掌したまま立っていた。菩薩はそれら全てを神通力でつかんで飛び上がり、彼らが住んでいた町まで送りとどけた。一方、女夜叉の町に残った商人たちは、別の難破船が漂着するとみな食べられてしまった。

話が終わると世尊が言った。「修行者よ。教えに従わない者は女夜叉の手に落ちた商人のように苦しみを受ける。教えに従う者は不死の涅槃という大きな喜びを得る」。そして詩をとなえた。

「教えに従わない者は破滅にいたる

 女夜叉に破滅させられた商人たちのように

 教えに従う者は彼岸の至福におもむく

 天馬に救われた商人たちのように」

世尊はそれから四つの真理を明らかにし、説き終わったときその修行者は聖者の最初の境地に達した。最後に世尊が言われた。「そのとき天馬の王に救われた二百五十人はいまの仏弟子たちであり、天馬の王は実にわたくしであった」

出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第一九六話

もどる