ジャータカ物語二五

これは師が祇園精舎に滞在されたとき、ナンダ長老に関連して語ったことである。世尊は生まれ故郷のカピラ城に初めて帰ったとき、弟のナンダ王子を出家させて祇園精舎につれ帰った。

ところがこれから出発するというとき、「ナンダ王子が出家して世尊と一緒に行かれる」といううわさがカピラ城に広まり、それを聞いた一人の美しい娘が、髪を半分といた姿で窓から身をのり出し、悲しげに声をかけた。「王子。行かないでください」。その姿を見、その言葉を聞いたナンダ王子は、その娘に恋い焦がれ、出家したことを後悔し、やせ細った。世尊がナンダにたずねた。

「ナンダよ。そなたは私の教えを喜んでいるか」

「世尊よ。私はある美しい娘に心を奪われたため喜べなくなりました」

「そなたはヒマラヤに行ったことがあるか」

「ありません」

「それでは連れて行ってあげよう」

世尊はナンダをつれて空を飛んでヒマラヤへと向かい、その途中、山火事の現場を通過したとき、火傷だらけで血まみれの、毛がまだくすぶっている、鼻と尾のちぎれた雌猿を見せて言った。「あの猿をよく見ておきなさい」。それからヒマラヤの山々や湖を見て回り、またたずねた。

「そなたは三十三天を見たことがあるか」

「ありません」

「それでは見せてあげよう」

そう言って世尊はナンダをつれて三十三天へ昇り、座についた。するとすぐに帝釈天が、多くの神々とともにやって来て礼拝して一隅に坐し、帝釈天の下女二千五百万人と天女五百人もやって来て礼拝して一隅に坐した。そのとき世尊はナンダが天女に愛欲の情を起こすのを見た。

「ナンダよ。天女を見たか」

「はい、見ました」

「天女とカピラ城の娘とどちらが美しいか」

「天女たちに比べれば、カピラ城の娘はあの雌猿のようなものです」

「今そなたは何を考えているか」

「どうしたら天女を手に入れられるか考えています」

「修行者のつとめを果たせば天女を手に入れることができる」

「そのことを約束してくださるなら、私は修行者のつとめを果たします」

「そうするがよい。私は約束しよう」

「それではすぐ祇園精舎に帰りましょう。私は時間を惜しんで修行します」

一心に修行を始めたナンダを見て、世尊は法の将軍である舎利弗尊者を呼んで事情を説明した。尊者がナンダに言った。「友ナンダよ。あなたが三十三天の神々の前で、天女を得るために修行しますと十の力を持つ人に約束したというのは本当か。それが本当なら、あなたは清浄な生活を天女のため、煩悩のためにしていることになる。それでは賃金をもらって仕事をしているのと同じだ」

この叱正を受けたナンダは、私は修行者としてふさわしくないことをしてしまったと、自分にも恥じ人にも恥じてさらに精進したので、やがて聖者の最高の境地に達した。

ナンダが世尊に言った。「尊師よ。私は尊師との約束を解き放ちます」

「ナンダよ。そなたが聖者の最高の境地に達したとき、私は約束から解放されたのである」

このことを聞いた修行者たちが互いに言いあった。「友よ。ナンダは教えに忠実な人です。たった一言で恥じる心をおこして修行者のつとめを果たし、聖者の最高の境地に達したのですから」

そこへ世尊が来てたずねた。

「ここに集まって何の話をしているのか」

「これこれのことです」

「修行者たちよ。ナンダは今だけでなく以前も教えに忠実だったのである」。そう言って世尊は過去の話をされた。

昔バラナシでブラフマダッタ王が国を治めていたとき、菩薩は象使いの家に生まれ、成長すると象使いの技を身につけて、バラナシ王の敵方の王に仕えていた。あるときその王が「バラナシ王を捕虜にしよう」と、大軍をひきいてバラナシへ行き、町を包囲して「国を与えよ。さもなくば戦え」と書状を送り、戦いが始まると自ら武装した象に乗りこんで全軍に総攻撃を命じた。

それに対してバラナシの城壁の上から、突進してくる軍勢めがけて無数の矢が放たれ、石や岩や熱い泥が投下された。そのため象は死の恐怖におびえ、思わず後ずさりした。それを見た象使いが象に近づいて言った。「お前は立派な象だ。象は勇敢に戦場を走り回らねばならぬ。こんなことで後退するのは恥ずかしいことだ」。そして詩をとなえた。

「立派な象は力強く勇敢でなければならぬ

 どうして城門のまえで後ずさりするのか

 すばやく柱をへし折り、かんぬきを引き抜き

 城門を粉砕し、城の中へ突進せよ」

この言葉に象は奮い立ち、柱をへし折り、かんぬきをつぶし、城門を粉砕して町に突入し、国を占領した。最後に世尊が言われた。「そのときの象はナンダであり、王は阿難尊者であり、象使いは実にわたくしであった」

出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第一八二話

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