ジャータカ物語二四

これは師が祇園精舎に滞在されたとき、慈経(じきょう)に関連して語った話である。あるとき世尊が修行者たちに言われた。

「修行者たちよ。一切の衆生に対して慈しみを実行せねばならぬ。実行すれば十一の利益が期待できる。その十一とはこれである。安眠できる。安楽に目覚める。悪い夢を見ない。人々に愛される。神々の守護を受ける。火にも毒にも剣にもきずつけられることがない。すみやかに心の統一ができる。顔色が明るくなる。死ぬときに迷いがない。そして天の世界におもむく。慈しみの実行にはこれらの功徳がある。

また一切の衆生に対して慈、悲、喜、捨の四無量心(しむりょうしん)を起こさねばならぬ。そうすればたとえ道果を得られなくても、梵天の世界におもむくことができる。昔の賢人も、七年のあいだ慈悲行をおこなった功徳により、七度、劫ができたり壊れたりするあいだ梵天の世界に住むことができたのである」

世尊はそう言って過去の話をされた。

昔、菩薩はあるバラモンの家に生まれ、成長すると愛欲を捨てて仙人として出家し、四つの崇高な境地を体得した。その仙人の名はアラカといい、ヒマラヤ地方に庵を結んで多くの仙人を指導し、いつもこう説いていた。「出家者は慈を修行せねばならぬ。悲と喜と捨も修行せねばならぬ。これらは修行者に安楽をもたらし、彼らを梵天の世界におもむかせる」。そして詩をとなえた。

「つねに慈しみの心で

 世のあらゆるものを守り

 上も下も横もあらゆる所に

 無量の慈しみの心を注がねばならぬ」

アラカ仙人は慈悲喜捨を修行した功徳で梵天の世界に生まれ変わり、七度、劫ができたり壊れたりするあいだ、この世にもどることはなかった。

最後に世尊が言われた。「そのときの仙人の弟子は今の仏弟子たちであり、仙人は実にわたくしであった」

出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第一六九話

註。四無量心は、四つの利他の心を無量におこすことと、無量の人々を悟りにみちびくことを願う心。慈無量心は生けるものに楽を与えたいと願う心。悲無量心は生けるものの苦を抜きたいと願う心。喜無量心は他の喜びを自らの喜びとしたいと願う心。捨無量心は好き嫌いや差別を捨てたいと願う心。これらは禅定によって修せられ、修すれば来世には少なくとも梵天の世界に生まれるといわれ、そのため四梵住とも呼ばれる。四無量心は慈しみの心を四つに分類したものだと思う。

もどる