死を受容するために
どんな人であろうと、どんなにわずかな時間であろうと、患者の命をできるだけ延ばすことが医者の使命とされている。ところが今ではその使命感が、安らかな死を迎えるじゃまをしたり、莫大な医療費がかかる原因になっているという。医者の使命に従えば、たとえ治る見込みのない百歳の老人であっても、死亡が確認されるまでは心臓マッサージや人工呼吸などの治療を行わなければならないことになるが、それでは安らかな死を迎えることはできず、また売り上げを伸ばすことを目的に果てしなく終末医療を行う病院もあるというのである。
そうした現代医学のあり方に疑問を持つ医者の一人に、スイス生まれの女医エリザベス・キューブラー・ロス博士がいる。博士は死ぬことも人生の一部ととらえ、治療はもちろん大切だが、末期患者にはもっと大切なことがあると考えて、満ち足りた死に方を研究しているという珍しい医者である。以下はロス博士の著作の要点をまとめたものである。
ロス博士がそうした研究を始めたのは一つのきっかけからであった。大学の研究室で助手をしていたとき、教授に講義の代役を押しつけられたことがあり、そのとき迷った末に博士が選んだテーマが、すべての患者と医師がたえず考えていながら眼をそむけている問題、死であった。しかも博士の独創的な点は、死に関する一番の先生は患者であるという考えから、白血病末期の十六歳の少女リンダを教室につれてきて話を聞いたことだった。
リンダは髪をきれいに調え、美しいドレスを着て教室にやって来た。博士が車椅子を押して入ると、学生たちは緊張して迎え、授業が始まっても質問する学生はいなかった。博士が質問するように指名しても、「気分はいかがです」とか、「病状は進んでいますか」といったありきたりの質問ばかりであった。
博士がリンダにたずねた。「あなたが話したいのは、こんなことなの。リンダ」
リンダは学生たちを真っすぐに見つめて話し始めた。「私が聞いてほしいのは、十六歳の若さであと数週間しか生きられない少女の気持ちです。私が今どんな気持ちでいるのか、それを知ってほしい。なぜ神さまは私が死ぬことをお決めになったのでしょう。なぜ私なのか。
デートもできず、ダンスを楽しむこともできないってどんな気持ちなのか。大人になることも、仕事を選ぶことも、結婚することも考えられない状態ってどんなことなのか。そんな状態で生きている時に、いったい何が助けになるのか、ということを聞いてほしい。あなたたちは、なぜ眼をそむけて本当のことを言わないのですか」
リンダは心の中にたまっていたことを三十分ちかく話しつづけ、身をもって学生たちに命の価値を教え、生涯わすれられない大きな衝撃を残し、疲れきって病室に戻っていった。そして涙を流しながら彼女の話に耳を傾けていた医者の卵の学生たちは、末期患者に対しては治療よりも大切なことがあることを、そのとき初めて知ったのであった。
死を受容する五段階
不治の病で残りわずかの命だと宣告されたら、自分の死を受け容れることができるのだろうか。できるとすれば、どのように受け容れ、どのような段階をへて人は死んでいくのだろうか。ロス博士は死に直面した患者の多くが、似たような五つの心の段階をたどることを指摘している。それは患者だけでなく大切な家族を失う人も同じであり、何であれ大切なものを失うときには、誰しも同じような経験をするのである。
その第一段階は「否認」。自分の死を受け容れることができず、「それは何かのまちがいだ。カルテをとり違えたんだ。私が死ぬわけがない」と否定することである。
第二段階は「怒り」。否定できなくなると怒りが生じてくる。「もっと悪い事をしている人は沢山いるのに、もっと年をとった人はいくらでもいるのに、なぜ私なのか」と相手かまわず怒りだすのである。博士はこのもっとも対処のむずしい段階の患者に対しては、「患者が怒りをぶつけてきたらそれを正面から受け止め、怒りの炎にさらに油をそそいで外面化させ、思いきり吐き出させる。すると憎しみはしだいに愛に変わっていく」という方法で対処するという。心の中に抱えこんでいるものを外に出させることができれば、次の段階に進むことができるのである。
第三段階は「取りひき」。怒りを表現できた患者は、取りひきの段階に移行することが多い。「この子が幼稚園に入るまで」あるいは「高校を卒業するまで」、というように神さまと取りひきをするのであり、その取りひきは自分に有利な方へと書きかえられていく。この段階は介護者にとって対処しやすい時期だという。怒りが残っていても助言を受け容れられるようになっているため、患者がやり残した仕事を成しとげる援助をおこないやすい時期だというのである。
第四段階は「抑うつ」。病状は悪化の一途をたどり、体も動かなくなってくる、という状況に耐えられず抑うつ状態に落ちこんでしまう段階である。そうしたとき悩みを率直に話せる相手がいれば救われることもある。反対に自分はすべてを失うのだと考えて、慰めの言葉がいっさい耳に入らない人もいる。そのような人への最良の援助は、悲しみを認め、祈り、優しく手を触れ、そばに坐っていることである。
第五段階は「受容」。怒ったり泣いたりしながら、怒り、悲しみ、抑うつを発散し、残っていた仕事もやり終えてしまうと、死を受容できるようになる。適切に話を聞いてくれる人がいれば、長旅に出るまえのこの安らかな休息の段階に進みやすくなる。
やり残した仕事を片づける
やり残した仕事とは、心の中に引っかかっているもの、平静ではいられない原因となるもの、憎しみや悲しみや欲望といった否定的なもののことである。そうしたやり残した仕事を片づけることができれば、為すべきことをなし終えた誇りと、あとは眠りについてもかまわないという安らぎがおとずれる。
やり残しの仕事がないということは、充分に生きてきた証しであり、そのような人は死を恐れない。そして死を恐れなくなったとき、私たちの霊的な部分が現れてきて、生きていることの本当の意味を悟る。博士は自分自身のやり残した仕事を片づけることが、世界に変化をもたらす唯一の方法であり、自分自身をいやさなければ世界をいやすことはできないとさえ言っている。
家族が死を受容できなければ、患者もやり残しの仕事を持つことになる。だから家族も死を受容する必要がある。家族と患者がやり残した仕事を片づけて前へ進めば、安らかな死を迎える準備も進む。死にゆく者を大切に思う心が強ければ強いほど、できるだけ介護や遺体の処理、葬儀などに参加するべきである。そうすれば大切な人の死を納得して、早く立ち直ることができる。
悲しみや怒りは抑圧せずに表に出した方がよい。抑圧すると何十年もやり残しの仕事を持ち続けたりすることになる。だから鎮静剤はできるだけ用いない方がよく、五十センチほどに切った水道のホースでイスなどを思い切りたたくことは、怒りや悲しみを発散させる効果がある。
人生で直面する困難を、否定的なものと考えず、自分が成長するために与えられた機会ととらえて立ち向かうべきである。そうすれば不治の病でさえも、特別の目的をもった贈り物として受け容れることができ、それによって成長することもできる。
人が人を救うことはできない。たとえ救うことができたとしても、救われた人は救ってもらったために学ばずに通過したことを、結局は学び直さなければならない。だから相手が自分で学ぶのを見守り、適切な時に導いてあげるのがほんとうの思いやりである。私たちが苦痛や悲しみから学ぶことはすべて必要なことであり、未完の仕事を残してしまわないように正面から立ち向かうべきである。
患者の願いを知る
病気の人に接するとき一番大切なことは、肉体的な要求をかなえてあげることであり、中でも痛みの除去が最優先である。感情的な手助けよりも、霊的な手助けよりも、痛みの除去が優先するのである。また意思表示ができないのはきわめて悲惨なことなので、会話ができない状況なら会話板などを利用して意思確認をする。
急に患者が天気の話を始めることがある。それは天気に興味があるのではなく、こちらの不安を感じとって話題をそらしたのであり、自分の問題を持ち出して不安を与えると、もう来てもらえないと感じたからである。だから「あなたは百歳まで大丈夫ですよ」などと言っていては、相手は口を閉ざし孤独におちいることになる。
博士は言っている。たとえ五歳であろうと、九十五歳であろうと、死期の迫っている人はそのことをすでに知っている。死が迫っていることを知らない患者には、いまだかって会ったことがない。だからあとの問題は、死にゆく人の言葉に私たちが耳を傾けられるかどうかであると。ただし患者の方から持ち出さない限り、こちらから死の問題を話題にしてはならない。また「治療の見こみがない」などと決して言ってはいけない。希望を奪ってはならないのであり、どんな病気でも奇跡的に回復することもある。
末期患者に何かをしてあげたいとき、そしてこの人は死が迫っていることを知っていると思ったなら、そばに座って手にふれ、「何か私にできることがありますか」ときけばいい。話を聞くことにつとめ、遺言状や葬式のことで希望があれば手伝い、死の恐怖を口にしたら、何がこわいのかをきいて話をさせる。感情を外に出す手助けをするのであって、何かを教えようとしてはならない。
博士は病院で清掃係をしていた黒人女性が、自分にとって最高の先生だったと言っている。その貧しく無学な女性が、掃除をするため末期患者の部屋に入っていくと、何かが変わった。不思議に思ったロス博士が何をしたのかを聞くと、彼女は貧しく劣悪な自分の生い立ちを話しはじめた。初めはなぜそのような話をするのか分からなかったが、やがて理解した。彼女は惨めな生活のなかで家族の死を何度となく経験しており、そこから死を受け容れることを学んでいた。彼女の特長はそうした苦しみや悲しみを、怒りの感情なしに受け容れられることだった。
「私にとっては死は他人じゃないんです。死ぬことは古い友人に会うようなもので、ちっとも怖くないんです。死にかかっている患者さんの部屋にはいると、ひどくおびえていることがよくあるんです。私はつい傍に行ってさすってあげながら、怖くないよ、と言わずにはいられないんです」
助けを求めない人が少なからずいることも覚えておかねばならない。逆の立場になったら自分だって助けを拒否するかもしれないのであり、「あなた自身の仕事をまず片づけなさい」と心の中で言っているのかもしれないのである。
「私は自分がガンだとを知っています。この病院から生きて帰ることはないのです」などと末期患者が言うことがある。このように単刀直入に切り出すことのできる人は、すでに助けを必要としない人、すでに死の恐怖を乗りこえ解決した人である。
自分が不治の病だと知っていながらそれを言い出せない人は、象徴的な言葉や態度や絵で表現することもある。それを理解できれば患者の願いを実現する手助けができるかも知れない。ロス博士は次のような例を紹介している。
ある若い女性が年老いた祖母をたずねたとき、祖母は自分の指から指輪をはずして孫娘の指にはめた。孫娘が「本当に私が貰っていいの」とたずねると、祖母は黙ってうなずいた。孫娘はさらに「もうすぐクリスマスだから、そのときもらいます」と言おうとしてやめた。クリスマスには自分がこの世にいないことを、祖母は知っているに違いないと感じたからである。孫娘に指輪を贈り心から満足した祖母は、クリスマスの二日前に亡くなった。
家族が不治の病にかかったとき、病院で最高の治療を施すのが、必ずしも最良のこととは限らない。病院が最悪の場所になることもあるのだから、「私はあと数日しか生きられない。家に帰りたい」という患者の言葉を聞き逃してはならない。治療をやめて家に帰り、住みなれた家で、お気に入りのものに囲まれて、家族とともに残された時間を過ごすべきときが来たのかもしれないのである。ただし末期患者の介護には多くの人の協力を必要とする。
子供が不治の病になったとき
子供が不治の病にかかると、親は深い絶望と怒りを味わう。子供の死を受け容れるのは難しい。しかし絵を描かせてみると、すでに子供は自分の死を知っていることが分かる。親を苦しめないために分かっていても黙っている子供もいる。不治の病のかかった子供たちはたいへんに聡明である。肉体の能力が衰えると、それを補うために霊的な能力が発現するからである。
子供は意外と平静に自分の死を受け容れていることがある。生きてきた期間が短いために、生への執着や死への恐れが少なく、そのぶん神に近いのである。大人たちが死を耐えがたい悪夢としてとらえることがなければ、子供たちも死を悪夢とは思わなくなる。
子供がすでに自分の死を受け容れていることや、そうした勇気を持っていることを知れば、親は大いに勇気づけられる。親が子供の死を受容できないことが、子供の重荷になることもある。親を苦しめているのは自分だという罪悪感をもったり、死を受容できない原因になったりするのである。
死後の存在を信じている親は死を受け容れやすい。子供の短い一生は中途半端に終わったのではなく、与えられた仕事を立派に果たした結果であること、死が新しい世界への旅立ちであることを信じられるからであるが、逆に言えば、死ねばすべて終わりだと考えている人が死を受容するのは難しい。
小さな子供の場合は、大きなベッドを用意して母親が一緒に寝てあげるとよい。そうすると子供は安心するし、母親は休息をとることができる。孤独にならないようにベッドは人がよく出入りする居間に置くのがよい。
病気の子供だけでなく、そのきょうだいにも注意を払わなければならない。病気の子供以上に大きな問題を抱えていることがあるから、のけ者にせず介護の仕事などを与えて、貴重な体験を分担するとよい。家族の生活はできるだけ以前と変わらないようにし、ちょっとした笑いと喜びがあった方がよい。
親が不治の病のとき
子供の目から死を遠ざけてはいけない。親が死の床にあることを子供たちは気づいている。大人がもっと正直に怒りや悲しみを表現し、一緒に涙を流しながら困難に立ち向かえば、子供も多くのことを学ぶことができる。成長の機会を子供から奪ってはならず、またやり残しの仕事を子供に作らせてはならない。人は体験しなかったことや、知らないことに恐怖をいだくものだから、嫌がらなければ介護や葬儀に積極的に参加させて、すべてを見せるべきである。
死期の近づいた若い親は、病院から家に帰す方がよい。そうすれば親の好きな音楽を選ぶとか、お茶を運ぶなどの仕事を子供も分担でき、貴重な想い出を残すこともできる。また昏睡状態になっても、手でふれたり抱いたりすることはできる。そうしたとき子供に言ってあげるとよい。「お母さんは死んだんじゃなく、繭の中に入っている状態なの。あなたの言うことは何でも聞こえるし、音楽も聞こえるけど、答えることはできない。そしてもうすぐ蝶になって飛び立つのよ」
博士は科学的な訓練を充分にうけた優秀な医者であり、若いときは科学的に証明されないことは信じないという人であった。しかし多くの死を看取り、多くの臨死体験を調査し、自らが多くの神秘体験をすることで、死後の世界と霊魂の存在を信じるようになり、蝶が古いサナギを脱ぎすてて飛びたつように、肉体という古いカラを脱ぎ捨てて新しい世界に飛び立つ、それが死であると考えるようになったという。
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