ジャータカ物語十三
これは世尊が祇園精舎に滞在されたとき、死をおそれる一人の修行者に関連して語ったことである。舎衛城に住む良家の息子が師の教えに心服して出家したが、出家後もたえず死の恐怖におびえていた。風が吹いても、枯れ枝が落ちても、鳥や獣の声を聞いても、それが昼であっても夜であっても、恐怖に駆られて震えあがり大声で叫んで逃げだしたので、彼が死をおそれていることが修行者仲間に知れ渡ってしまった。
そんなある日、修行者たちが「彼は死をおそれているのだから、死を受け容れる修行をしなければならない」と議論をしているところへ、世尊がやって来た。
「修行者たちよ。ここに集まって何の話をしているのか」
「これこれのことです。世尊」
世尊はその修行者を呼びにやり、質問した。
「そなたが死をおそれているというのは本当か」
「本当です。世尊」
「修行者たちよ。彼のことを怒ってはならない。彼が死をおそれるのは今だけのことではない。昔もおそれていたのだ」。そう言って過去の話をされた。
昔バラナシでブラフマダッタ王が国を治めていたとき、菩薩はヒマラヤ地方の樹神として生をうけた。そのときバラナシ王が、自分が乗る象に戦場での不動心をつけさせようと、その象を象使いの元にやり、象使いは不動心を仕込むため象を杭に縛りつけ、周囲を槍を持った人間にとり囲ませた。
ところが象は驚きおびえて暴れだし、杭を引き抜いて人々をなぎ倒し、遠く樹神が住むヒマラヤ地方にまで逃げて来たが、そのとき象は死の恐怖におびえるようになっていた。風の音を聞いても、木が倒れても、たちまち恐怖におびえて逃げだすというようなあり様で、喜びも安らぎも感じることなく、いつも震えながら歩き回っていた。そうした象を見て、茂みの陰から樹神が詩をとなえた。
「風が木を倒すことは
森の中ではよくあることだ
そんなことをおそれていたら
やせ細ってしまうだろう」
この教えを聞いてから、象はおびえることがなくなった。最後に世尊が言われた。「そのときの象はこの修行者であり、樹神は実にわたくしであった」
出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第105話
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