ジャータカ物語六

これは師がサーケータ近郊のアンジャナ林に滞在されたとき、あるバラモンの夫婦に関連して語ったことである。世尊が修行者たちを従えてサーケータへ托鉢に行ったとき、門のところで都から出てくる老齢のバラモンに出会った。するとそのバラモンは十の力を持つ人の足元に伏し、足首をしっかりとつかんで言った。

「とうとう見つけたぞ。息子というものは、両親が老いたら面倒を見るものだ。なぜこんなに長いあいだ、姿を見せなかったのか。お母さんにも会いにきておくれ」。そして世尊を自分の家に案内した。

世尊が修行者といっしょに用意された座に坐ると、バラモンの妻も出てきて師の足元に伏し、「こんなに長いあいだ、どこへ行っていたの。両親が年老いたら息子は世話をするものだよ」とむせび泣き、息子や娘たちにも「さあ、お兄さんに挨拶しなさい」と挨拶をさせ、それから二人は世尊と修行者に食事を供養した。世尊は食事が終わると「老いの経典」を説き、それをきいた二人は聖者の第三の境地に達した。

アンジャナ林に帰ると、さっそく修行者たちが集まって話を始めた。「友よ。バラモンの夫婦は、如来の父君が浄飯王(じょうぼんおう)であり、母君が摩耶夫人(まやぶにん)であることを知っていながら、如来を自分たちの息子だと言い、師もそれに同調なさった。これは一体どういうことだろうか」

この話を耳にした世尊が修行者たちに言われた。「修行者よ。彼らはまさしく自分の息子を息子と言ったのである」。そして過去の話をされた。

「かのバラモンは、過去の五百の生涯において私の父親であり、五百の生涯において叔父であり、五百の生涯において祖父であった。またバラモンの妻も、やはり五百の生涯において母親であり、五百の生涯において叔母であり、五百の生涯において祖母であった。かくして私は千五百の生涯にバラモンの手で育てられ、千五百の生涯にバラモンの妻の手で育てられたのであった」、と過去の三千の生涯のことを語り、詩をとなえられた。

「その人に会えば心が落ちつき

 心が和むならば

 今生では会ったことのない人でも

 過去には親しい人だったのである」


註 十力(じゅうりき)は仏に特有の十種の智力。
一、処非処智力(しょふしょちりき)。道理と非道理、是非善悪を知る力。
二、業異熟(ごういじゅく)智力。善悪の業とその果報を知る力。
三、静慮解脱等持等至(じょうりょげだつとうじとうし)智力。諸々の禅定を知悉する力。
四、根上下(こんじょうげ)智力。衆生の機根の優劣を知る力。
五、種種勝解(しゅじゅしょうげ)智力。衆生の種々の望みを知る力。
六、種種界(しゅじゅかい)智力。衆生の種々の本性を知る力。
七、遍趣行(へんしゅぎょう)智力。衆生が、地獄、人天、涅槃、などに赴くことになる原因を知る力。
八、宿住随念(しゅくじゅうずいねん)智力。自他の過去世のことを知る力。
九、死生(ししょう)智力。未来世の生死や生まれ変わる世界を知る力。
十、漏尽(ろじん)智力。煩悩を脱した境地とそこへいたる方法を知る力。

出典「ジャータカ全集一〜十。中村元監修。春秋社。一九八四年」第六八話

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