回転寿司の話

回転寿司という寿司屋がある。安くて、手軽に入れて、しかも坐った瞬間からすぐに食べられる、という便利な寿司屋なのでよく繁盛していて、ここで修行したらすぐに一人前になるのではないかと思うほど、店員さんがねじり鉢巻きで寿司を握りまくっている。

私の町にも一軒こういう寿司屋がほしいと思うが、ここを利用するにはいくつか注意すべきことがある。まずここの寿司には乾燥しやすいという欠点がある。風のある日に洗濯物がよく乾くのと同じりくつで、寿司はゆっくり回転していてもすぐに乾燥して味が落ちる。つまり握りたての寿司を狙わなければならないのである。

もう一つは目移りしないように気をつけることである。流れて来る寿司に心を奪われてしまって、いま食べている寿司の味が分からなかったり、ろくに噛まずに飲みこんでしまったりするのであるが、これでは寿司を食べたことにならない。よそ見をせず、いま食べている寿司に心を集中することが大事なのであり、それは写真をとるとき一枚ずつピントを合わせるのと同じである。

人生は回転寿司みたいなもので、因縁によって生じた様々な事件が次から次と目の前に現れてくる。それらの事件が良いことであっても悪いことであっても、回転寿司を食べるときと同様に、よそ見をせず一つ一つにきちんとピントを合わせて、適切に対処していかなければならない。人生の一大事は「今ここ」にある。無始以来の過去も終わりなきの未来も、すべて「今ここ」にある。たとえ百二十歳まで生きしようと、宇宙の果てまで旅行しようと、「今ここ」の連続である。

遺教経(ゆいきょうぎょう)に、「此の心をほしいままにすれば人の善事を失う。これを一所に制すれば事として弁ぜずという事なし」とある。今ここに心を一つにすれば、何事も成就しないことはない。だから「まさに勤めて精進して汝が心を折伏(しゃくぶく)すべし」と続くのである。

もどる