カナダの話

平成二十七年九月の下旬、カナダへ行ってきた。この旅行のきっかけは数年前のエジプト旅行であった。エジプト行きの飛行機の中で隣り合わせたカナダ人が非常に親切な人だったので、こんな人が生まれ育ったカナダという国に一度行ってみたい、と思ったのが今回の旅行につながったのである。いい思い出は世界の果てまで人を連れていく力を持っている。

もちろんカナダ人がすべて親切な人ばかりだとは思わないが、赤毛のアンのような人がいるかもしれないという期待もあったので、今回の旅の目的はナイアガラの滝ではなく人を見ることであった。もっとも添乗員付きの旅行なので、接する人は限られているが、それでも大らかで親切な人が多いことはすぐに分かった。誰とでもにこやかに挨拶することを大切にするのがカナダ人、と言ってもいいと思う。

旅行案内書によると、カナダの正式国名はカナダ、政体は立憲君主制、国家元首はエリザベス女王二世とある。エリザベス女王が国家元首になっているのは、カナダがイギリス連邦王国に加盟しているからであり、そのイギリス連邦王国というのはイギリス国王を自国の王とする十六ヵ国からなる国の集まりである。もちろん女王は象徴的存在としての国家元首である。

しかし象徴とはいえ今もイギリス国王を元首に戴いているのは、何か長所があってのことなのだろうが、その長所の内容は分からない。またカナダは、イギリスの旧植民地五三ヵ国が加盟するゆるやかな国家連合、イギリス連邦の一員でもある。なお日本から眺めると、カナダはアメリカの子分のような存在に見えなくもないが、日本ほどアメリカ追随の国ではないようである。

カナダの国土は日本の二六倍を超える広さがあり、これはロシアに次ぐ世界第二位である。ちなみに三位中国、四位アメリカ、五位ブラジルとなっているが、アメリカが三位になることもある。中国とアメリカはほとんど同じ広さなので、中国が占領している土地のどこまでを中国の領土と認めるかの違いで順位が入れ替わるのである。この国を旅行していると、国が大きいと人間も車も道路も大きくなると思いたくなる。

ただし人口は約三千五百万人と少なく、しかも人口の二四パーセントはカナダ以外で生まれた移民一世という移民の国であり、二百を越える民族からなる多民族国家でもある。そのためカナダ最大の街トロントには、イタリア人街、ブラジル人街、ポルトガル人街、などエスニックタウンと呼ばれる街がたくさんある。宗教は八〇パーセントがカトリック、残りの二〇パーセントのうちの十六・五パーセントは無宗教とある。

カナダは、地震も、台風も、火山噴火も、人種差別もなく、水道の水もそのまま飲めるという国であるから、移住するならお勧めの国である。ところがその住みやすい国の中で、盛んに独立運動をしている地域がある。フランス系の人が多く住み、フランス語が公用語になっているケベック州である。飛びぬけて豊かな州なので独立した方が有利、というのがその理由であり、独立するかしないかを決める州民投票がこれまでに二度おこなわれ、一度目は六〇パーセントの反対で否決されたが、二度目は僅差での否決になっていたという。

この旅行でいちばん印象に残っているのは、セント・ローレンス川にある「千の島」と呼ばれる島々であった。それらの島々は個性的な別荘が建つ高級別荘地になっているが、その中でいちばん小さな島は、やっと家が一軒建つだけの広さしかなく、しかも水面からそれほど出ている訳でもないので、増水したら家が流されてしまうと心配した。この川は増水したことがないのだろうか。

そうした別荘地の家であっても、都市の家であっても、この国の家はみな魅力的である。家の外をきれいにするのがカナダの流儀であり、きれいにペンキを塗った家と、手入れの行きとどいた前庭が、道行く人を楽しませてくれる。裏庭よりも前庭の方が大事だということがこの旅行でよく分かった。

カナダは看板の少ない国であり、道路ぞいに広告が立ち並ぶという景観はカナダには絶対にない。街の中にも看板はきわめて少なく、店の看板も小さくて目立たず、電柱も立っていない。そのため大都市であろうと、田舎の町であろうと、すっきりとした景観が守られている。うらやましい限りである。

カナダの歩行者用信号は青の時間がきわめて短い。ボタンを押すとすぐ青に変わるが、たちまち点滅がはじまって残り時間が表示され、信号の手前で待っていた人が渡り終えるころ赤に変わる。つまり信号の手前にいた人しか渡れないのである。これには初めはとまどったが、すぐにいい方法だと気がついた。これだと人も車も納得して信号待ちができる。

それに対して日本の歩行者信号は、渡り終えた人が五〇メートルも先へ行ったころやっと赤に変わる。過ぎたるは及ばざるより悪しで、余裕があればいいというものではないと思う。

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