二宮尊徳翁の言葉その二

二宮尊徳翁の言葉を「二宮先生語録」からの抜き書きでご紹介する。この語録は二宮翁の高弟の斎藤高行(たかゆき)氏が、翁に師事していた弘化二年から嘉永四年までの七年間に、折にふれて聞いた話をまとめたもので、それは翁の五九歳から六六歳のときに当たる。

二宮先生語録は漢文で書かれている。斎藤氏は草稿の中から選んだ話を漢文にして雑誌に連載したのであり、連載期間は明治二五年から三九年であった。ただし以下にご紹介するのはその現代語訳である。訳したのは小田原の報徳博物館の初代館長をつとめた佐々井典比古氏、出版は昭和三三年、本の題名は「訳注二宮先生語録。訳者佐々井典比古。発行所一円融合会。発行所報徳文庫」である。

     
二宮先生語録

天下には天下の分限があり、一国には一国の分限があり、一郡には一郡の分限があり、一村には一村の分限がある。これは自然の天分である。天分によって支出を定めるのを分度という。末世の今日、人々はみな、ぜいたくを追い求めて、分度を守るものはきわめて少ないが、分度を守らないかぎり、大きな国を領有してもやはり不足を生ずるし、分度を知らない者に至ってはなおさらのことで、たとい世界中を領有したところでその不足を補うことはできない。

なぜならば、天分には限りがあるが、ぜいたくには限りがないからである。いったい、分度と国家の関係は、家屋と土台石との関係のようなものだ。土台石があって始めて家屋が営造できるのと同様に、分度を定めた上で始めて国家は経理できる。分度をつつしんで守りさえすれば、余財は日々に生じて、国を富まし民を安んずることができるのだ。(語録六)

分度を立てるとはどういうことかというと、一年の気温には寒暑があり、昼夜の長さには長短があり、国には盛衰があり、家には貧富があり、作物には豊凶があるが、寒暑、長短を平均すれば春分、秋分の節となるように、盛衰、貧富、豊凶を平均すれば中正自然の数を得る。その中正自然の数に基づいて国や家の分度を立てるのだ。これこそ土台石というべきものであって、これを守れば国も家も衰廃窮乏のおそれはない。これがわが道を行う方法の根本である。(語録七)


一万石の国では租税収入一万俵が通例で、これがその国の天分である。そこでこれを四分して、そのうちの七千五百俵を国費にあて、二千五百俵を蓄えとするのが周の王制の法である。この法を守りさえすれば、国計はゆたかで、恵沢が人民に及び、その国は必ず富強を保って、決して貧窮衰弱するおそれがない。(語録八)


国家の盛衰貧富は、分度を守るか分度を失うかによって生ずる。分度を守れば繁栄し、分度を失えば衰貧に陥る。国家が衰貧に陥るというと、借財したり人民からしぼりあげたりして国用を補うのが、末世の通弊になっている。農夫は米を得ようとすれば米をまき、麦がほしいと思えば麦をまき、耕作に力を尽くして、みのりを待ってようやくこれを刈りとるのだ。国君が分度を失って衰貧に陥り、人民からしぼりあげて富を得ようと思うのは、種をまかずに刈りとろうとするようなもので、どうしたって、できるはずがない。(語録九)


わが仕法を一村に実施すると、その国の税収は必ず増す。これは民心が感激して、その村だけでなく一国全体が農事に努めるようになるからだ。この時にあたって、国家の分度が立っていなければ、わが仕法もまた廃絶するほかない。ひとたび仕法が廃絶すれば、その国の税収は必ず減ずる。これは感激の気分が消えて、一国全体が農事を怠るようになるからだ。わが法が分度を立てるのを本とする理由は、実にここにある。(語録一四)


分を定め度を立てるのは、わが道を行う基本である。分度が確立すれば、そこに分外の財が生ずる。ちょうど井戸を掘れば水がかぎりなくわき出るようなものだ。たとい金額はわずかでも、年々分外に余財が生ずるならば、それによって国を興し民を安んずることができる。(語録一五)


国の経費を定めるに、入るを量って出ずるを制するのが昔の良法であった。末世の今日では、競ってぜいたくをするため国費が足らず、逆に出ずるを量って入るを定めるようになった。そこで重税が勝手放題に行われて、人民は安らかに生活ができず、ひとたび飢きんが来れば死亡離散を免れない。そして田畑は荒地となり、長く税収を欠くようになる。書経に「四海困窮せば天禄永く終わらん」とあるのは、まさにこれを言うのだ。(語録一六)


衰えた村を復興しようと思えば、名主が分を守り度をちぢめて、余財を差し出すべきであり、廃れた国を復興しようと思えば、国君が分度を守り経費を節約して、余財を差し出すべきである。そうしなければその衰廃を復興することはできないのだ。(語録一九)


人の食物とするは米である。その米は、台地に生じて農の力で育つ。しかし、太陽が照らし雨露が潤さなければみのることができない。つまり、天恩と地徳と農功とがなかったならば、一粒の米も求め得られないのだ。人はぼんやりとして、このことをよく考えず、米は米倉にあると思ったり、米屋に行けば手に入ると思ったりしている。うかつもはなはだしいものだ。(語録二三)


東の谷に猿がいる。木の実が熟せば、これを採って、採っただけ食い、一日の満足を求めるばかりだ。木の実が尽きれば、たちまち飢える。西の谷にも猿がいる。木の実が熟すと、たくさん採って少しずつ食う。だから木の実は有り余って、いつも満足している。これが貧富の分かれ目なのだ。(語録二七)


私が日夜説くことは、天下国家を治める道である。だから天下国家を憂うる心のない者がこれを聞けば、きっと苦しんで、一言聞くごとに重荷が加わるように感ずる。ところが、天下国家を憂うる者がこれを聞けば、きっと喜んで、一言聞くごとに重荷をおろすように感ずる。まったく、この道は大人(たいじん)に説くべきもので、小人(しょうじん)に説くべきものではないのだ。(語録三〇)


易(えき)に「大極両儀を生ず」とある。およそ天地間の事物で、寒さと暑さ、夜と昼というように、陰陽対偶しないものはない。これは自然の道理である。人はこの対偶の理をわきまえず、かたよった一方だけを見て事にあたる。だから万事がうまくゆかず、必ず失敗する。もし対偶の理をわきまえて事にあたれば、万事うまくいって、必ず成功するのだ。

国家の盛衰貧富も、人身の進退勤惰も、みな対偶循環するもので、これまた自然の理である。国家の衰廃を興そうとする者が、よくその理をわきまえて転変に応ずるならば、何をやってもきっと成功する。もしその理をわきまえず、転変に遇うごとにただ心配ばかりしていては、何一つ成功できない。わが道を行う者は、この点を深く考察しなければならない。(語録三一)


善人はなまくら刀のようなもので、悪賢い連中を使いこなすことができない。けれども賢い君主があってこれを用いれば、善政が行われて人民は安息する。悪人は、よく切れる刀のようなもので、悪賢い連中をよく使いこなす。愚かな君主はこれを用いなければその国を支配することができないが、そうすれば悪政が行われて人民は困苦する。だから、わが興国安民法のごときは、悪人を退けて善人を挙用しなければ、その功業をなしとげることはできない。(語録三三)


善人は、悪人の悪いところはよく見られるが、善人の悪いところを見ることができない。それは善にかたよっているからである。悪人は、善人の悪いところはよく見られるが、悪人の悪いところを見ることができない。それは悪にかたよっているからである。貧富、奢倹、勤惰の類も皆そのとおりだ。わが道を行う者は、よくこれを心得ておかねばならぬ。(語録三六)


数学は九九八十一に尽きる。暦学は目盛りを立て影を測って時節を定めることに尽きる。仏道は色即是空、空即是色というに尽きる。儒道は、おのれを治めて百姓を安んずるに尽きる。天道とは、四季がめぐり、万物を生滅することに尽きる。人道とは、衣食住をととのえることに尽きる。わが道はといえば、分度を守って余財を推しゆずり、荒地をひらき民を救い、天地人三才の徳に報いることに尽きるのだ。(語録三七)


富道を行えばすなわち富者であって、そのうえ富者という評判をほしがる必要はなく、貧道を行えばとりもなおさず貧者であって、いまさら貧者という不名誉をいやがっても仕方がない。ここに一人の男があって、よそから借金をして景気よく使っている。うわべは富者に似ているが、どうして富者という評判が得られよう。(語録四〇)


人は人生において、あるいは取り立てられあるいは退けられ、あるいは賞せられあるいは罰せられる。これは一朝一夕の原因によるものではないが、その因ってきたるところを知る者はごく少ない。身を修めて勤めはげむ者は取り立てられ、道を失ってなまけ怠る者は退けられる。手柄があれば賞せられるし、過ちがあれば罰せられる。善行が積もれば幸福を得、悪事が積もれば禍を得る。これはちょうど、米をまけば米がはえ、ひえをまけばひえがはえるのと同じことだ。(語録四一)


国に道があるときは、賢者はつくべき位につき、才能のある者もそれぞれ官職につくはずである。そして今や国家は太平で、有道の世といえる。それなのに、浪人している者は、官職につけないと、すぐに、名君がいないからだと言うが、間違いもはなはだしい。山の芋がやぶにあれば、人は探し出して採る。どじょうがどろの中にいても、人は見つけて捕らえる。山の芋やどじょうがやぶやどろの中にかくれているのさえ、人のために取られるのはなぜだろうか。それは、人の栄養となる徳があるからだ。(語録四三)


人を戒めようと思ったら、まずみずからを戒めることが肝心である。まず自分の道心で自分の人心を戒めてみて、人心が言うことをきいたならば、他人を戒める資格がある。道心と人心とは、狭い胸の中に雑居して、しばらくも離れないものだ。(中略)十人みずから戒めれば十人がそれで修まり、百人がみずから戒めれば百人がそれで修まり、千人万人がみずから戒めれば、千人万人の修養ができる。これこそ天下の幸福である。(語録四五)


君子は君子を友とする。だからますます善に進む。小人は小人を友とする。だからますます悪に陥る。鳥獣は猟師を恐れ、小人は君子をけむたがるものだ。(語録四七)


一村の富は富者に帰している。富者が富にいて足ることを知らなければ、小百姓は立つことができない。小百姓が立つことができなければ、どうして富者ばかりその富を保つことができよう。(中略)田地百石を持つ者は五十石にかがんで家政を経理し、その余財を推し譲れば、余沢は小百姓に及んで、貧富ともに豊かに衣食できるようになる。こうすれば一村はすわっていても治められるのだ。(語録五一)


樹木が傷つくと、木の中の水液が盛んに集まって来てこれをなおす。さもなければ、傷口が腐って木の心までそのために朽ち、ついに枯れてしまうのである。一家の借金もこれと同様で、家族一同や親類までも、心をあわせ力をあわせてその借金を返さなければならぬ。さもなければ、利息がどんどんふえて、一家はそのために倒れてしまう。一村のうちの貧しい家についても同じことで、全村集まって相談をし、その貧家を立て直してやらねばならぬ。さもなければ、一軒ずつ倒れては人口が減り、田畑は荒れ果て、ついに一村のわざわいになってくる。(語録五四)


人がこの世に生きていられるのは、天地が万物を覆い育てる恩と、太平な御代(みよ)のめぐみによるのである。それなのに人は、おのおの自分の家を富まし、衣食を豊かにして、ぜいたくにふけるばかりで、それらの恩沢によって安楽にしていられることを少しもわきまえない。ちょうど、魚類が海中を泳ぎ回りながらその水を知らないのと同じことだ。およそ、その恩沢を忘れるのは貧窮のもとであり、その恩沢を思うことは富裕の本なのだ。(語録六一)


過去をかえりみれば、きっと恩を受けて返さなかったことがあろう。また徳を受けて報いなかったことがあるにちがいない。報いることを思わない者は、必ず過去の恩を忘れて、目前の徳をむさぼり受けるものだ。だから貧賤がその身を離れない。(中略)

わが田を安らかに耕し、わが家に安らかに住んで、父母妻子を養うことができるのは、国家治世の恩である。その恩に報いるのを納税という。穀物や野菜を生み出して、人の身を養い、安らかに生活させるのは、田畑の徳である。その徳に報いるのを、農事に励むという。日用の品物が、何でもほしい時に手に入るのは商人の徳である。その徳に報いるのを、代金を払うという。金を借りて用を足すことができるのは貸し主の徳である。その徳に報いるのを利息を返すという。人道とは、恩を返し徳に報いるということにつけた名前なのだ。(語録六四)


今日、国家がよく治まり、財貨が世の中に満ち満ちているありさまは、ちょうど海水が波打っているようなものだ。この時代に生まれた者は、つとめさえすれば必ず富に至ることができる。(語録六五)


心を貧におけば富みを得、心を富におけば貧になる。百石の田地を持っている者が、五十石しか持たないつもりで暮らせば、やがて非常な財産ができるし、五十石の田地を持っている者が百石も持ったつもりで生活すれば、やがて一文なしの貧乏になってしまう。(語録七〇)


飯をたくのは少しずつがよく、一度に沢山たくのはよくない。もし足りなければその時またたけばよい。たきぎを燃やすのも、少しずつ出してくるのがよく、沢山持ち出すのはよくない。もし足りなければその時また出してくればよい。米倉に米があり、物置にたきぎがありさえすれば心配はない。これが家を富ます道である。そして、国を富ます道もこの道理に過ぎないのだ。(語録七二)


家道をゆたかにしようと思う者は、一枚の着物を取り扱うにも、やり方がある。新しい着物を作るには必ず反物を買うが、その買うのを、たとい金があっても、十日先に延ばすがよい。さて反物を買ったならば、それを仕立てることを又十日だけ延ばすがよい。そうして着物ができたならば、それを着るのを又々十日延ばすがよい。およそ気のくばり方をこのようにして行けば、家道の繁昌は改めて言うまでもない。(語録七三)


私は幼いときから実行につとめてきた。なぜなら、毎日行わねばならぬことが沢山あったからだ。水も汲まねばならぬ。庭も掃かねばならぬ。灯りもつけねばならぬ。戸も開けたてせねばならぬ。そのほか行わねばならぬことがどれくらいあったろう。孔子は「行って余力あれば則ち以て文を学ぶ」と言った。私はもとより学問が好きだったが、少年のとき孤児となって親類の家に寄食し、昼夜ひどく使われて、少しも余力というものがなかった。

それでも、昼の弁当をつかうとき、人は湯をわかしてお茶を入れたが、私は冷や飯に水を飲んでその暇に大学を学んだ。あるときは柴かりの道で読誦し、あるときは耕作の暇々に読み、あるときは人が寝静まってからそっと看て、そうしてようやく四書だけ一通り習ったのである。

その中で、いろいろ考えたすえに意味のわかったことは、一字一句でも一生これを実行してきて、なお行い尽くせないでいる。今の儒者は千万巻をあさり読んでいるが、どうやってそれを実行するつもりだろう。行わなければ読まないのと同じだ。まことに、実行がすたれていること久しいものである。(語録七九)


人に貧富があるのは、自然に陰陽があるのと同じことだ。陰が極まれば陽が生じ、陽が極まれば陰が生ずると同様に、貧が極まれば富が生じ、富が極まれば貧が生じる。このように陰陽、貧富が循環してやまないのが天の道であって、これに対して、みずからつとめて富を保つのが人の道である。その道とは何をいうかといえば、分度がそれである。(語録一二六)


なす苗を植えて、根がまだ着かないうちに動かせば枯れてしまう。動かさずに肥やしをやって育てれば、根が張って幹が伸び、幹が伸びれば実を結ぶ。そのように、無利息金を借りた者は、五年なり、七年なり、十年なり、年を逐うて償還してのち、始めて家政が確立する。家政が確立すれば何をやってもうまく行くのだ。ところがもし償還を待たずに、婿をとったり、嫁をとったり、うまやを造ったり、馬を買ったり、あるいは着物を作ったり家具をそろえたりすれば、借金が生じて、家政は困窮してしまう。(語録一二九)


天下の財貨は、ちょうど川水のようなものである。泳ぎのじょうずな者は水によって川をわたるが、泳ぎのへたな者は水のためにおぼれる。同様に、分度をよく守る者は、財貨によって身を立て家を興すが分度を守らない者は、財貨によって家を滅ぼし身を失う。同じ財貨で、一方は幸福を得、一方は禍を得る。(語録一三一)


人生は安楽を好む。しかし、何が本当の安楽であろうか。それは、春植えて秋収めることである。まけばはえ、はえば育ち、育てば花が咲き、花が咲けばみのる。そこで、種をまいて、はえるのを楽しみ、育つのを楽しみ、花が咲くのを楽しみ、みのるのを楽しみ、そうしてその収穫を食えば、すなわち身は安らかで心は楽しい。なんとこれが本当の安楽ではないか。(語録一五一)


物があれば必ずそれに伴う弊害がある。かぶをまけばかぶの虫が生じ、たばこをまけばたばこの虫が生ずるようなもので、これが自然の道理なのだ。だから、富には奢侈の弊害があり、貧には怠惰の弊害がある。この二つの弊害は国家の大患である。わが法は、ほかならぬこの二つの弊害を除くものであって、奢侈を転じて倹譲とし、怠惰を変じて精励とする。この二つの弊害が除かれさえすれば、それで国家は安泰である。(語録一五五)


貧民が飢きんにあって飢えを免れないのはなぜであるか。それは、予備ということを心掛けないからだ。米は毎日はえて毎月みのるものではない。ただ春生じて秋みのるだけである。それなのに一年中飢える心配がないのはなぜかといえば、それは予備ということを心掛けるからだ。もしも米が一年おきに一回みのり、あるいは三年に一度みのるものであったとしても、予備を心掛けさえすれば、何も飢えるなどという心配はない。まして、三十年もしくは五十年に一度だけ来る飢きんのようなものは、全く恐れるに足りないのだ。(語録一七一)


稲と葦(あし)とは一つのものである。だから葦のはえている所をひらけば稲田となり、稲のはえている所を荒らせば葦原となる。わが神州は上古豊葦原(とよあしはら)と言い、また瑞穂国(みずほのくに)と称した。だからこれをひらけば良い米を生み出す。これが万国に冠たるいわれである。けれども、耕せば稲となり、たがやさなければ葦となるのであるから、どうして耕作につとめずにいられようか。(語録一七三)


他人の酒食をむさぼり食うような者は、国家の用をなすに足らない。好んでふるまい酒を飲みに行くような者は、相談相手とするに足らない。私は幼い時から、酒もりに行くのを好まなかった。酒もりに行って、むだに時間を費やすよりは、手さげかごを作って人にやる方が楽しかった。そうすればまた、きっと酒やさかなを届けに来たものだ。自分が好きなことをして楽しんだ上に、居ながらにして飲み食いできる。なんとうまいことではないか。(語録一七六)


私は、自分の衣食を得ようと努めず、ひたすら人を救済することに努めている。そして、先君の命を奉じて興国安民の仕事に従事し始めてからは、自分の家の飯米がどこからはいるか、金銭がどこにどれだけ出るかなどということは一向構わず、家計に心を用いないで、もっぱら力を職務に尽くしてきたのである。けれども衣食は自然と間に合い、一度も欠乏したことがない。(語録一七七)


仏教では有を尊ばず、無を尊ぶ。形がなくてしかもよく顕れるものは功徳である。そこで天の徳を象(かたど)って虚空蔵菩薩とし、地の徳を象って地蔵菩薩とし、人の徳を象って観世音菩薩とした。また日の出を象って瑠璃光(るりこう)如来とし、日盛りを象って大日如来とし、日没を象って阿弥陀如来とした。およそ太陽の徳は広大無量であるのに、人はこれを忘れている。それゆえ仏像という形を作って、本尊としたのだ。王公の尊さも、これとは比べものにならない。実に天下の至尊ではないか。(語録二二八)


仏教家は地獄を説いて、人を戦慄させる。いま、漁師が魚類を捕って、割いたり、煮たり、あぶったりして食うありさまを、彩色で描き、細かに記述して、それを魚の国に送り、魚の言葉で説いたならば、ちょうど仏説とかわらないものになるだろう。(語録二四五)


生まれた人は必ず死に、壮年の者も必ず老いる。溝や堀は埋没し、堤防は崩壊する。これは自然である。愚かな者が道を失って悪に陥るのも、やはり自然である。なぜならば、善縁がないからである。善縁のない者は、善を聞けば居眠りし、悪を聞けば目を覚ます。(語録二四九)


人情というものは、清浄を好んで、汚穢(おわい)をきらう。それゆえ人が死ねば汚穢として、これを忌み遠ざける。仏教家はこれを引き受けて、死後を救済する。これは人のきらうところを好むものだといえる。こうして、ただ人のきらう事柄を好むというだけのことで、仏法はますます盛んになってきたのだ。昔、江戸に大火があり、十万八千人が焼け死んだ。そこで一つの寺を建立して、これを弔った。また小塚原(こづかっぱら)の刑場で、刑死者が千人になったときも、同様にした。これらは、寺を建てて人が死ぬのを待つわけではなく、死をのがれようとしてものがれられなかったとき、その死後を救済してやるのである。(語録二五〇)


わが仕法を廃村に施すに、一人残らず出精させ、一軒残らず貧乏を免れさせることはできない。なぜかというと、遊惰がすでに不治の病となった者があるからだ。さとしたり戒めたり、教え導くことに日を重ねても、無益である。ただ仕法を施してから後に成長したところの子孫が、始めて貧乏を免れることができる。これはたとえば、朝顔が地上にはびこっているとき、にわかに竹垣を作っても、まっすぐにもどることはできず、強いて立てようとすれば折れてしまう。ただ竹垣を作ってから後にのびたつるが、始めてまっすぐになるのと同様である。わが道を行う者は、このことを知っていなければならない。(語録三一三)


わが道を行う者は、よろしく飯と汁と木綿の着物とをもって、自分の生活の限度とすべきである。道が廃れようとするとき、わが身を助けるものは飯と汁、木綿着物の生活だけである。これは鳥獣の羽毛のようなもので、よくわが身を守る。そのほかのものは、ことごとく自分を攻める敵となるのだ。道が順調に行われているときは、酒の一杯や、さかなの一さらぐらいは害がないように見えるけれども、一たん形勢が変われば、たちまち自分を攻める敵となる。ましてわいろ、つけとどけに至っては、なおさらのことで、ちょうどいのししやしかが、雪の降ったのち、足跡を覆いかくすことができず、ついに猟師にとられてしまうのと同様である。深く慎まねばならぬ。(語録三一八)


人体は天地の霊気によって成り立っている。だから私物ではないのである。しかるに、その恩を知らず、それに報いることを思わず、むやみに私欲をほしいままにするような者は、天地が必ずこれを罰する。恐れ慎まないでよかろうか。(語録三二二)


君子は大道を聞くことを好み、小人はこれを聞くことを好まない。ちょうど、人が市場に行って品物を求める場合、財布に金が少なければ、立派な品が店頭に並んでいても、これを見て買おうという気持にならない。ただ粗末な品ばかり見て買おうとする。これはほかでもない、財布の金が多いか少ないかによるのだ。たとえば山の芋は、つるの長いものは根も必ず大きく、根の小さいものはつるも必ず短いようなものだ。だから、小人に対して興国安民の大道を説くことは無益である。(語録三二九)


富貴を好み貧賤をきらうのは人情である。けれども富貴貧賤の原因は、天にあるのでもなく、地にあるのでもなく、また国家にあるのでもなく、ただ人々の一心にあるのだ。身を修めて人を治める者は富貴を得、怠惰で人に治められる者は貧賤を免れない。いまは貧賤であっても、分を守り業を勤めれば富貴を得るのだ。してみれば富貴と貧賤とは、要するに一心の変化したところのものである。それゆえ、よく原因が自己にあるという道理を悟って、分を守り業を勤めたならば、必ず、貧賤を免れて富貴を得ることができる。(語録三三三)


私が君命を奉じて野州の廃村を興すことになってから、荒地を開く、堀や溝を掘る、道路を造る、橋をかける、家屋を修繕する、うまやや便所を作ってやる、衣食を与える、農具を分けてやる、善行者を表彰する、困窮者を恵む、住民をいたわって教え導く、そういう仕事が多岐多端で、その費用も計算も及ばぬほどであった。その間ついに亡父亡母の墓標を建てることさえできなかった。そのほかのことは言うまでもない。なぜならば、公事にいそがしくて、私事を営む暇がなかったからだ。(語録三四七)


重荷を負うて行く人があるとする。これをねぎらって「重いか」と聞いたとき、「重くない」と答えるのは精励の人である。(語録三四八)


孔子がわが報徳現量鏡(ほうとくげんりょうかがみ)を見たならば、必ず嘆賞するに違いない。なぜならば、五文十文のわずかな金でも、各人が飲食を倹約し、衣服を粗末にし、住居を質素にした余財から出て、窮民救助、荒地開墾、道橋修繕、家屋営造の資金となっているからだ。まことに禹(う)の業績と同様、そしるべきところがないではないか。(語録三五五)


衰えた村を復興するには、篤実精励の良民を選んで大いにこれを表彰し、一村の模範とし、それによって放逸無頼の貧民がついに化して篤実精励の良民になるように導くのである。ひとまず放逸無頼の貧民をさし置いて、離散滅亡するに任せるのが、わが法の秘訣なのだ。なぜかといえば、かれらが悔悟改心して善良に帰するのを待ち受けて、これに田地を与え屋敷を与えるのだから、恨みをいだくことはできず、また善良に帰しないわけに行かないのだ。(語録三六六)


私が興国安民の法を設けるには、表裏精粗を考え尽くしてある。だから、治乱盛衰、禍福吉凶、善悪邪正、すべての場合を通じて行うことができる。たとえば無利息金貸付法で、償還しない者があれば、貸し捨てにする道がちゃんとできている。これは、無利息金がもともと貸し捨てを本分とするからだ。(語録三六七)


ばくち打ちは、勝てば銭を得、敗ければ銭を失い、はなはだしいのは着物を脱いで償う。わが興国安民法を行う者で、成功すれば恩賞をむさぼり、不成功に終わっても禄位を全うしようとする者があったら、大間違いではないか。不成功に終わった以上は、すみやかに禄位を返上して去るがよいのだ。(語録三六八)


善人は治世に用いられてよく仕事をするが、乱世においては能がない。悪人は乱世に用いられて悪智慧を大いに振るうが、治世においては振るいようがない。悪人はまるで雑草のようなものだ。耕し草とり水かけ肥しかけの手数を借らないで、どんどんはびこるけれども、人を養うという徳がない。反対に善人は稲のようなもので、人を養う徳はあるが、耕し草とりをしなければ成長できぬし、水かけ肥しかけをしなければみのることができない。それゆえ、善人は家法がなければその家を保つことができず、悪人は家法がなくてもその家を保ってゆけるのだ。(語録三八七)


私は幼いうちに父母を失い、その上洪水にあって先祖伝来の田地を失い、親類の家に寄食した。そうして休暇の日に荒地を起し、捨て苗を拾ってそこに植え、わずかにもみ一俵を得て、これを資本にして二十二年間積み、田地を再興して、小屋を作ってそこに住んだ。一年の収入は百俵に余り、ほとんどひざをいれる余地もないほどだった。田地が少ないのに、大きな屋敷に住むのはいけない。人を救い導く志のある者ならば、小屋に安住して何のはばかることもないのである。(語録三八八)


(下館藩の一農夫にさとして)お前は父母に孝行だし、村内には義理堅いし、誠実勤勉で耕作につとめていて、一村の手本とするに足りる。これはすでに郡の役人にも認められている。だから私は無利息金を貸してやって、それで借金を返し、田地を買いもどさせたのだ。お前はこれから、朝は早く夜はおそくまで努め励んで働いてこれを返済するがよい。決して返済期におくれてはならぬ。まだ完済しないうちは、親類友人との交際にも、物を贈ることを義理と思ってはならぬ。また人がばかにしても構うな。もっぱら完済することを義理と心得るがよい。(語録三八九)


高遠で届くことができないようなもの、隠微でよくわからないようなもの、一人は行い得ても、十人が十人行うことのできないようなものは、大道ではない。わが日掛(ひがけ)なわない法のごときは、ささいなことではあるが、大道といってよい。なぜならば、女こどもでもわかりやすく行いやすく、天下万世にわたって、しばらくも離れることのできない道だからだ。(語録四〇二)。注、日掛なわない法とは、空いた時間があれば縄をないなさい、わずかな収入といえど積み重なれば大きなお金になる、という教えである。


わが道を行おうと思う者は、よろしく家産の半ばを推し譲るべきである。たとえば百石の所有者は、そのうち五十石で家事を経理し、残りの五十石を推し譲る。そうすれば、ただ年月を送るだけでも人を救う効果は大きい。人が歩くのに、左足を止めては右足を進め、右足を止めては左足を進めてゆけば、千里の遠方に至ることも難しくないようなものだ。分を縮めて節倹を守り、節倹を守って譲り施すことを努めれば、積年の効果は、計算も及ばないまでになる。

けれども、一家の経費が、前には百石を使い、今は五十石を使い、年に半分に減じていることは、辛苦でないかと言えば言えるが、しかし意を決して行う段になれば、ぜいたくな費えは日々に省け、施す財貨は月々に多くなり、心はよろこびに満ちて、多くの人を救う功業を楽しむことができる。俳句にいわゆる「ねてみれば風のありけり蚊帳のうち」とは、このことだ。(語録四二四)


廃国を復興する方法は、租税額十年ないし二十年、もしくは三十年の平均を出して分度を定め、度外の財を復興の資金とすることだ。これはもとより、ごくわずかな数量で、分内に入れても何の利益もない。ただそれを分内に入れないでおくから、積もり積もって増倍きわまりなく、ついに復興の効果を奏するに至るのだ。

そこまで成功するかどうかは、あくまで分内に入れるか、分外とするかにかかっている。これがわが法の秘けつである。百万石の大名でも、千石の武士でも、五石の足軽でも、無産の小作人でも、みな同然で、大小は異なっても、復興の方法はこれをおいてほかにはないのだ。(語録四二九)


強盗は人を殺して財を奪う。これをば悪とする。農夫は草を殺して米をとる。これをば善とする。草を殺すのと、人を殺すのと、その理は同一だ。しかるに一方を善とし、一方を悪とする。人道は結局人間のためのわがまま勝手な道なのである。(語録四三二)


わが法は微細なものを積むことを尊ぶ。山のしずくが集まって一つの流れとなれば、そこに水車を設けることができる。微細な財を集めて資金とすれば、それで廃国を興すことができる。わが仕法帳の合計は水車の水門と同じものだ。(語録四三四)


仏教家は、地獄極楽は十万億土にあると言う。私の考えでは眼前にもある。うぐいすがさえずり人が聞いている、これは極楽だ。人が捕らえようとしうぐいすが逃げる、これは地獄だ。貧富が互いに譲り合えば極楽だし、奪い合えば地獄だ。地獄極楽は眼前にあるではないか。(語録四三七)


酒飲みはわが道を行うことができない。なぜかというと、酒は精神を引き立たす徳がある。そこで、飲めば争論を生じ、言行を誤る。少しでも言行を誤れば人はこれをそしる。人からそしられては、道は行われないのだ。酒はまた反目を解くという徳がある。そこで和に流れやすい。少しでも狎れ合いになれば、法が廃れる。法が廃れれば、道は行われないのだ。だから、わが道を行う者は、よろしく飲酒を禁ずべきである。(語録四三八)


道として確実なものは、農業の道に及ぶものがない。それゆえ農業の道に合するものは大道であって、合しないものは小道である。仏道はよくこれに合する。だから大道として隆盛をきたしたのだ。農業というものは、大小便やいろいろな廃物を集めて、来年の肥料に供する。人はきたないと言っていやがるけれども、来年の百穀を養うものは、これをおいてほかにはないのだ。

仏道というものは、死人を集めて未来の加護をする。人は、けがれと言っていやがるけれども、未来を加護する道は、これをおいてほかにはないのだ。肥料は今日の用をなさなくても、来年百穀を養う。これを尊ぶ者は必ず富むし、これを卑しむ者は必ず貧する。亡父母の霊は、今日の用はなさなくても、ながく子孫をまもる。これを尊ぶ者は必ず栄えるし、これを卑しむ者は必ず衰える。(語録四三九)


釈迦は「諸行無常」と言った。生者必滅という意味である。およそ家屋でも家具でも衣類でも、人工でできたものは、破損しないものはない。少し破れたときに修理するがよい。幸いそれぞれ職人がいる。家政も同様で、一代もしくは二代の間に、どうして破綻なしですまされよう。これも少し破れたときに修理するがよい。ところが、家政修理を職とする者は世の中にはない。しかし、わが法は国家を修理する法である。まして家政の小破などつくろうのは何でもない。病気は軽症のうちに治療するがよい。もし大患に至っては、いくら名医でもどうすることもできない。借財は小借のうちに償うがよい。もし大借に及んでは、いくらわが法でもどうしようもない。(語録四四九)


速成を欲するのは人情である。けれども成功、不成功には時期があり、小さい事柄でもおいそれとは決まらない。まして大業ならばなおさらのことだ。わが道は大業である。だから従容として時を待つがよい。夏から秋になるころは百穀がまだ熟しないが、どうして秋のみのりがないことがあろう。ただ遅速があるだけなのだ。きびがまず熟し、あわや豆が続いて熟し、わせ、なかて、おくてが相次いで熟し、ついに百穀ことごとく熟するようになる。そこで時を追うてこれを収穫するがよい。

けれども、すでに熟したものを差しおいて、まだ熟しないものを心配するのが、これまた人情である。しかし、まだ熟しないものを心配するより、すでに熟したものを取り入れる方がどれほど良いかわからぬ。道の行われるのと行われないのとも、これと同様だ。よろしく手近なものを先にして遠いものに及び、たやすいことを先にしてむずかしいことに及ぶべきである。(語録四五〇)


衰廃復興の法は多岐多端であるが、その要は、荒地をひらき借財を償って、むなしく廃れている利益を掘り起こすことにある。そしてその借財を償うには、よろしく貸し金と借金の両方を、新旧を問わず、ことごとく帳簿に記録すべきである。あるいは、「古い貸し金で当然捨てるべきものを記録しても何の益があろう。これは除いてもよいではないか」と言う者があるかも知れない。しかし、そうではない。ただ元利を記録して、新しい貸し金を取り立てるだけでは、貪欲不仁のそしりを免れない。だから新旧ことごとく記録しておいて、その上で、当然捨てるべきものを貸し捨てにすれば、そのそしりをのがれられるのだ。

あるいはまた「旧借で返すに当たらないものを記録しても、何の益があろう」と言うかもしれない。しかし、これまたそうではない。旧借新借を同時に返せば、滅亡がたちどころに来る。旧借を返さないでいるからこそ、炊煙をあげることができるのであって、実に大恩ではないか。よろしく、ただ記録しておくだけでなしに、復興の日を待って、これをも返すべきだ。もし貸し主の家の子孫が絶えて、返還する先がなければ、その姓名を書きとめて、その名義で復興の費用に供すべきだ。(語録四五七)


人が衣服をつくるには、織ったり染めたり、女の仕事も苦労千万である。鳥獣の羽毛に自然と模様があって、破れたりあせたりしないのに及ばぬように見える。けれども鳥獣は、いつものみやしらみ、蚊やあぶに苦しめられて、これを追う暇もないくらいだ。衣服が自由に脱いで洗たくできるのと到底くらべものにならない。人が万物の霊長たるゆえんを、よく思うべきである。(語録四六三)


大業を創(はじ)め、伝統を残すことは、成功を永遠の将来に期する。ゆえによろしく身代わりの者を養成すべきである。いかだ乗りや草刈り人夫でも、なお予備のさおやかまを持って仕事に当たる。まして国を興し民を安んずる大業においては、なおさらのことだ。(語録四六九)


ねずみがねこにあって逃げても、しょせん逃げ切れるものではない。そこで決然としてねこに食われ、腹中に入ってねことなるに越したことはない。仏のいわゆる寂滅為楽はこのことである。(語録四七一)


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