しゅ杖の話

しゅ杖(しゅじょう)というのは禅宗で用いる長い杖のことである。しゅ杖の「しゅ」は手ヘンに主と書き、この字には支えるという意味がある。つまり体を支える杖をしゅ杖というのであり、釈尊は病気や老齢のために体が弱ってきたときには、修行者が杖を用いることを許したとされるから、それがしゅ杖の始まりかもしれない。

しゅ杖の多くは自然木で作られていて、その長さについては仏教語大辞典に、上に伸ばした手の先から足元までと載っているが、もう少し長い方が見栄えはよい。また禅学大辞典には、先端に枝がついたものを触頭のしゅ杖、枝のないものを浄頭のしゅ杖というとあるが、この説明ではどのようなものかよく分からない。

山を歩いていると今でも杖を使っている人をよく見かける。だから徒歩で険しい山道やぬかるみだらけの道を旅していた時代には、杖は旅の必需品であったと思う。そのためしゅ杖は、行脚(あんぎゃ)や修行生活の象徴となり、やがて仏心仏性の象徴となり、「しゅ杖を識得すれば行脚の事おわる」とか、「しゅ杖を識得すれば一生参学の大事おわる」とまで言われるようになったのであるが、今ではわずかに晋山式(しんざんしき)とか托鉢のときに使うぐらいである。

「雲門、しゅ杖を以て衆に示して云わく。しゅ杖子(しゅじょうす)化して竜となり、乾坤(けんこん。全世界)を呑却(どんきゃく)しおわれり。山河大地いずれの処よりか得来たる」

この碧巌録第六十則の公案では、形のない仏心仏性を表す象徴としてしゅ杖が用いられている。三界唯心の言葉のごとく、心がすべてを生み出しているなら、山河大地はどこからどのようにして生まれてくるのか、と雲門和尚が問題を出しているのである。

伝灯録の大梅法常(たいばい・ほうじょう)禅師の項に杖が登場する。法常禅師は多くの経を暗唱するほど博学にして頭脳明晰な人であったが、長じては禅を志し、馬祖大師の法を嗣いだ。初めて参じたとき法常が大師に質問した。

「如何(いか)なるかこれ仏」

「即心是仏(そくしんぜぶつ。心が仏である)」

法常はこの一言でたちまち大悟し、その後、漢の時代に梅子真(ばいししん)という人が隠棲して仙人になったと伝えられる大梅山(たいばいさん)に入り、四十年間、悟後の修行に励んだ。あるとき塩官斉安(えんかん・さいあん)禅師の会下(えか)の修行者が、杖にする木を探して山に入り、道に迷って大梅禅師の庵にたどり着いた。その僧がたずねた。

「和尚は山に入ってどれ程になられるのか」

「ただ四山の青くまた黄色になるを見るのみ」

「どうすれば山を出られるのでしょう」

「流れに従って行くがよい」

山を歩いていれば、しゅ杖になる木などいくらでも見つかりそうに思うが、そうはいかない。太すぎたり細すぎたり、曲がっていたりずんぐりしていたりで、適当なものは少なく、百回歩いて一本見つかればいい方である。だからこの話のように杖を探して山奥に迷い込んだりするのである。なお山で迷ったときは流れに従って行かない方がよい。たいてい途中に滝があって下りられなくなるからである。

私はしゅ杖を六本持っている。その一本はリョウブのしゅ杖。リョウブはどこにでも生えている木であるが、これにはツタが絡まってできたラセン状の窪みが付いている。

一本はネジキのしゅ杖。ネジキもどこにでも生えている木であるが、これは枝の付き方が気に入り拾ってきた。

一本は藤のしゅ杖。これは山仕事の人が切って捨てたものを拾ってきた。植林した木にからみついていたため切られたらしい。

一本は雪で倒れていた枯れ木のしゅ杖。虫に食われた跡が網の目のように付いているのがおもしろくて拾ってきた。すでに樹皮が付いていなかったので樹種は不明。

残りの二本はネズの木のしゅ杖。

もどる