ネズミの話

お寺の和尚になったときからネズミとの戦いが始まった。築百年になる本堂や庫裏はネズミ穴だらけであり、夜になるといたる所にネズミが出没し、台所には毎朝かならず新しいフンが落ちていた。寝ている顔の上をネズミに歩かれたこともあった。

ただし大きなネズミは住んでいないらしく、出てくるのはハツカネズミばかりである。このネズミの武器は体の小さいことであり、実際に現場を見たときは唖然としたが、人差し指ぐらいの小さな穴でもこのネズミは通り抜けてしまうのである。また身が軽くて跳躍力があるから、食卓の上など下から登れなところだと、近くの足場から跳び移ることもある。

ネズミ対策としては、毒エサや粘着材のワナが一般的であるが、ネズミは学習能力の高い生き物なので、そうしたものを仕掛けてもかかるのは最初の一匹だけだという。とはいえ私は一匹といえど殺生をしたくなかったので、超音波でネズミを追い払う装置を使ってみたが、とても効果があるようには見えなかった。

それから様々な方法を試してみた結果、最良の方法は穴をふさぐことだと結論した。これならお金もかからず、殺生もしなくてすむ。幽霊ではないのだから出てくるからには必ず穴がある。いくら探しても見つからないと諦めたくなるが、まさかと思って見落としていたところ、たとえば天井に穴があったりする。

穴を見つける手がかりの一つはフンである。ネズミはフンをまき散らしながら歩く習性があるから、穴の付近には必ずフンが落ちている。またネズミがたえず出入りするためネズミ穴の周囲にはホコリがたまっていない。つまりホコリがたまっていればそこに穴はないと判断できる。慣れてくるとネズミの長いシッポが壁や柱に付ける汚れで、通り道が分かるようになる。

起きる可能性があることはいつか必ず起きる、というのがマーフィーの法則であり、穴があればいつか必ず入ってくる、というのがネズミの法則である。だから侵入を防ぐには穴をすべてふさがなければならない。穴をふさぐいちばん簡単な道具はガムテープである。これだと簡単に穴を開けられてしまいそうに思うが、これまで開けられたことはない。ただしガムテープは耐用年数が短い。

ネズミの通路をふさぐ材料の一つに、ネズミサシと呼ばれるヒノキ科の針葉樹がある。ネズが正式名のこの木は、その短針状のチクチクする葉をネズミ返しとして使ったことから、ネズミサシの名がついたのだと思う。大きなすき間をふさぐにはぴったりの材料なので、すき間だらけの昔の日本の家では大いに役に立ったと思う。

それにしてもネズミは、真っ暗闇の天井裏や壁のすきまの中で、懐中電灯もなしに穴を探し当てるのだからすごいと感心する。また彼らは人間に恨みがあって、食べ物をかじったり、フンをまき散らしたりする訳ではない。単に自己の本分を尽くしているだけなので、慈悲心をもって対処しなければならないと思う。

   
新たなる戦い

数年間におよぶ戦いで、ハツカネズミのフンを見ることはなくなったが、地蔵堂で別のネズミとの戦いが始まった。この地蔵堂には戸は付いておらずネズミも人も自由に出入りできる。中に入ると奥に高さ一メートルほどの檀があって、その上にお地蔵さまが安置されている。最近その檀の上でネズミが大量のフンをするようになったのである。

ネズミが場所を決めてフンをすることはないはずなので、大量のフンは何かの理由があってネズミが長時間そこにとどまっていたことを意味する。ところがその理由が謎であった。ネズミにしろ、野良猫にしろ、常に餌を探しながら縄張り内を歩きまわっているが、そのときネズミがなぜ地蔵堂を休憩場所にしているのか理解できなかったのである。餌があるわけではないし、猫が来たとき安全な場所とも思えない。檀の上だから景色はいいかもしれないが、ネズミが景色を楽しみながら休憩するだろうか。

理由は分からないにしてもよく目につく場所なので、トイレとして利用されるのを放ってはおけずネズミ返しを設置してみた。いろんな材料を使って檀の上に登れないように障害物を設置したのであるが、すべて無駄であった。このときになって敵が意外に手ごわいことに気がついた。

そこで思いついたのがネットで情報を集めることであった。そしてネズミ返しで検索して情報収集することで、敵の正体がはっきりしてきた。人家に侵入するネズミには、ドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミ、の三種があり、これまで私が戦ってきたのはハツカネズミであったが、今回の相手はクマネズミだと判明したのである。

このネズミはきわめて運動能力が高く、壁や柱を駆けあがることもできるとある。だとするとネズミ返しで防ぐのは難しい。そこで作戦を物理作戦から心理作戦に切り替えた。クマネズミは警戒心が強く変化に敏感とあるから、忌避剤を置く、蚊取り線香を焚く、鏡を置く、などのことで警戒心を刺激したのであるが、効果はほとんどなかった。

そのとき最初に感じた疑問がまた湧き上がってきた。なぜこの場所に執着するのかという疑問である。そして水場にしているのではないかと気がついた。餌はなくても水はある。お地蔵さまに供えた水が茶碗に入っている。そこで試しに茶碗の中を空にしたみたら、すぐにフンは激減し、やがてまったく見なくなった。

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