エジプトの話
平成二五年二月、エジプトへ行ってきた。エジプトは正式国名をエジプトアラブ共和国といい、国土の広さは日本の約二・六倍、人口は約八二五四万人、民族構成は大半のアラブ人と少数のヌビア人、言語はアラビア語、宗教はイスラム教徒が九〇パーセント、コプト・キリスト教徒が七パーセントという国である。
エジプトに入国したのは中部の町ルクソールからであった。ところが飛行機が着陸態勢に入っても眼下には砂漠しか見えず、人が住んでいる気配はなかった。そしてさらに高度を下げたとき、弧を描いて砂漠を横切る黒い帯が見えてきた。その帯が世界最長のナイル川であった。川の両側だけ緑があふれていた。
エジプトの国土は大半がサハラ砂漠の中にある。サハラ砂漠というのはアフリカ大陸北部の十一ヵ国に広がる砂漠全体を指す名前であり、東方砂漠とか西方砂漠といった砂漠がエジプト国内にもあるが、それらはすべてサハラ砂漠の一部である。だから「サハラ砂漠の砂をおみやげにどうぞ」と現地ガイドがきれいな砂のあるところに車をとめたとき、「ここは西方砂漠のはずだ」と私は思ったのだが、サハラ砂漠でまちがいなかったのである。
地図を眺めていたとき、エジプトにはナイル以外の川はないのではないかと気がつきガイドに確認したら、雨が降ったときだけ水が流れる涸れ沢を除けば、やはりナイルしかないという。要するにエジプトはナイルの流域以外は砂漠ばかりという国なのであり、この国の地図はナイル流域以外はほとんど白紙の状態であるから、まさにエジプトはナイルの賜物なのである。そのため日本の二・六倍という国土であるが、ナイル川流域の人口密度は高い。
そうした不毛の砂漠といえど水さえあれば農地になる。その証拠がアスワン・ハイダムの水を引いて作られた広大な農地である。アスワン・ダムがあるのになぜアスワン・ハイダムをすぐ近くに作ったのかという疑問を持っていたが、潅漑用としても洪水対策用としてもアスワン・ダムでは能力不足なのだという。ナイル川は毎年夏に洪水をおこし、そのことで流域に肥沃な土壌が形成されてきたのであるが、洪水はやっかいな存在でもあったのである。
ハイダムのお陰で洪水はなくなり、琵琶湖の七倍半というダム湖の水を利用して広い農地と二一〇万キロワットの電力が生まれ、水量が安定した川にはたくさんの観光船が行き交っている。しかしダムはいいことばかりではない。気象の変化、湿気による遺跡の損傷、農地の疲弊、といった影響が出ているし、アブシンベル神殿は高台へ移転しなければならなかった。
ハイダムのもう一つの大きな問題は、ダムが破壊されれば下流の都市や農地が大洪水に襲われるということである。そのためダムは軍の厳重な警備下にあり、また厚く頑丈に作られている。ダムの上に緑地帯をもつ四車線の道路が通っているほど厚みがあるから、爆弾の一つや二つではびくともしないのである。
今回の旅行ではエジプトの貧しさにおどろかされた。四大文明発祥の地であり、壮大なピラミッドや神殿を作った国であり、世界有数の観光地であるから、豊かな国だと思いこんでいたのであるが、豊かさや繁栄は遺跡の中にしか残っていないのである。しかも大きな町の中でも、今なお馬車やロバの背中が移動や運搬の手段になっているから、近代化の遅れもかなりのものである。
そのためガイドが、産業といえるものは観光と農業しかない、他に収入源はスエズ運河の通行料ぐらい、と言って嘆いていた。そういう国なので仕事がないのであろう、若い男がトイレの番人をしているのをよく見かけた。また客引きの強引さと治安の悪さは世界最高レベル、胸ポケットのカメラに二度も手を出されたから、観光地はどこも危険地帯と覚悟しなければならない。エジプトが発展しないのはイスラム教が原因だと添乗員が言っていたが、こうした説は他のイスラム国でも聞いたことがある。
三五年ほど前インドを旅したとき、エジプトのカイロ、インドのカルカッタ(現コルカタ)、パキスタンのカラチ、という「カ」で始まる三つの町が世界最悪の町、という説を聞いたことがある。当時の私はエジプトは豊かな国だと思いこんでいたので、そのときはその説に同意できなかったのだが、今ならできる。
一九九七年にルクソールで、観光客など六三名が射殺されるテロ事件がおきた。そのためアブシンベル神殿へ行くときには、前後を警察車両が護衛する集団を作って移動し、その他の観光地でも警察官がバスに同乗してきた。ところが警察官の日当も食事代もこちら持ちというから、この警備体制の本当の目的は警察官の雇用確保ではないかと思った。
エジプトといえばピラミッドとスフィンクス、そして一一八個あるピラミッドの中で最大のピラミッドはクフ王のピラミッドである。だからクフ王のピラミッドとスフィンクスがあるカイロ郊外のギザは、エジプト第一の観光地であるが、そこへ行く道も、横を流れる水路も、ピラミッドの周囲も、ゴミだらけであった。こんなに汚い世界遺産を見るのは初めてであり、落ちているゴミの量はその国の貧しさに比例すると思った。おそらくゴミ収集よりも軍隊を優先しなければならない理由があるのだろう。
現地ガイドがこの国はワイロ社会だと真顔で言っていたが、チップ社会でもある。現地ガイドがその一例であり、ガイドは旅行社から給料をもらっておらず、客が渡すチップ、客を連れていったみやげ物屋からの礼金、などで稼いでいる。ところがチップの習慣のない日本人にはチップは期待できないので、その分、日本人はたくさんみやげ物屋に連れて行かれることになる。なお私は枕銭は置かないがガイドには一日あたり十ドルを目安にチップを渡している。
昔のエジプトの王様は王位につくとすぐ自分の墓を作り始めたという。彼らはこの世のことより来世のことを重視していたので、永遠の安息の場である内部に美しい装飾を施した墓を、何十年もかけて作ったからである。
そうした華麗なる墓、そこに眠るミイラ、多神教の神をまつる壮大な神殿、ピラミッドやスフィンクス、などを作った昔のエジプト人と、現在のイスラム教を信奉するエジプト人には、文化的なつながりはほとんどないとガイドが言っていた。エジプトの国民は今も昔も民族的には大きな変化はないが、文化的には断絶しているというのである。
世界最大のクフ王のピラミッドを現代の技術で作るとしたら、どれくらい費用がかかるか、ということがネットに出ていた。一九七八年に大林組がおこなった試算である。それによると、高さ一四六・六メートル、一辺の長さ二三〇・四二メートル、平均二トンの石が二三〇万個、総重量五八〇万トン、というピラミッドを現在の技術で作ると、総工費は一二五〇億円、工期五年、最盛期の作業員三五〇〇人、だという。意外に安いものである。ただしクフ王の時代のやり方で施行した場合は、二〇万人で三〇年という人件費だけでも四兆円になるという。偉大なるムダと思えるピラミッドであるが、これだけ観光客を集めているのだから元はとっくに取れているはずである。
帰国するとき飛行機の乗り継ぎの関係で、カタールの首都ドーハを日没後に四時間ほど観光した。この国は石油と天然ガスを豊かに産出する国なので、エジプトとの格差は唖然とするほど大きく、ドーハの町にはゴミどころか砂粒一つ落ちていなかった。
しかも高層ビルを三百本作り、世界中の会社を集めて一大金融センターにするという計画が進行中であり、完成しつつあるその町の夜景は美しかった。夜の九時すぎにスーク(バザール)へ行くと、そんな時間にもかかわらずたくさんの人が買い物をしたり、くつろいでお茶を飲んだりしており、エジプトのスークと違って危険を感じるようなことはなく、国が豊かになれば国民も大らかになるものだと思った。
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