自然死の話

「大往生したけりゃ医療とかかわるな」という本がよく売れているという。医者を拒絶するような書名の本であるが、著者は特別養護老人ホームに勤める現役のお医者さまである。

著者はその施設でたくさんの高齢者の死を見取ってきた。そしてその中には点滴も酸素吸入も一切おこなわないという自然死が数百例含まれていた。その貴重な体験から得た結論として、大往生するための一番いい死に方として著者が勧めるのが、自然死である。

誰しも死に際になると物を食べなくなり、水もほとんど飲まなくなる。そして飲まず食わずの状態になると一週間から十日で死亡する。これは飲食しないから死ぬのではなく、死ぬから飲食しなくなるのであり、死ぬ前には腹も減らず、のども渇かないのである。その飲まず食わずの間に、体の中の栄養分や水を使い果たし、枯れ木のようになって死ぬのが自然死であるから、自然死の内容は餓死である。ならば飢餓と脱水状態のために苦しみながら死ぬことになるのかというと、そうではなく、以下の理由から安らかに死を迎えることができるのだという。

一、飢餓状態になると脳内にモルヒネのような物質が分泌され、幸せ一杯の気分になる。

二、脱水状態になると意識レベルが下がりボンヤリとした状態になる。

三、呼吸が充分できなくなると、体内の酸素が不足し炭酸ガスが増える。そして酸素不足になるとやはり脳内にモルヒネのような物質が分泌され、炭酸ガスには麻酔作用がある。

これらのことが組み合わさることで、いい気持ちのまま意識レベルが低下し、痛みや不安などのないもうろうとしたまどろみのうちに、死ぬことができるのだという。死は自然の営みであるから、本来、過酷なものであるはずがなく、ガンでさえも自然死の場合は痛みはないという。

ところが病院に入院していると、飲まず食わずの状態になるとすぐに水分や栄養物が注入され、呼吸がだめになるとすぐに酸素吸入がおこなわれる。そのため体は枯れ木どころか水ぶくれの状態になり、穏やかに死を迎えるための機能も働かなくなる。医者の仕事は治療することであって自然死させることではない。病院は治療の場であって患者を放置する場ではない。だから入院している限り自然死は期待できない、というのである。

だから、と著者は言う。救急車を呼ぶのはあらゆる延命医療をして欲しいと頼むことであるから、自然死を希望する人は、いよいよという状態になったら救急車を呼んではいけない。たとえ人が呼んでも乗ってはいけない、追い返せ、と。ただし医者にかかっていない人が死亡した場合には、不審死と見なされて警察が介入してくることがあるから、まったく医者にかからないのも問題があるという。

著者は言う。治療には病気を治すとか、生活の質を改善するなどの目的がなければならず、それが望めない人に治療を施すのは、いたずらに苦痛を長引かせることでしかない。また医者といえど死にゆく人にできることは何もない、と。

フランスの老人医療の基本は、「本人が自力で食べ物を飲み込めなくなったら、その時点で医者の仕事は終わり、あとは牧師の仕事」だという。北欧では、患者の前に食べやすく調理した食べ物を置き、手を付けなければ下げてそれ以上のことはしないという。日本でも昔は、食べなくなった人には水だけ与えて静かに見取る、ということが行われていたという。

要するに自分であれ家族であれ、口から飲食できなくなったらいよいよ寿命が尽きたと覚悟するべきであり、その場合にはいろいろと手出しをする「看取り」よりも、ただ見ている「見取り」の方がいいというのである。ただし若い人の場合は別である。

著者は終末医療の鉄則として次の二つをあげている。

一、死にゆく自然の過程の邪魔をしない。

二、死にゆく人に無用の苦痛を与えない。

今の日本人は、死に関することを考えたり口にすることを忌み嫌う傾向があるが、いくら目をそむけていても死は必ず訪れるのだから、死も人生の一部と考えて準備しておくべきである。準備も覚悟もない人が死に直面すると、とにかく一分一秒でも長く生きていればいいという選択しかできなくなり、結局は自分や家族を苦しめることになる。いざという時まごつかないためには予行演習も必要であり、自分の生前葬をしてみると、死を実感することで多くの発見があるという。

末期のガンは猛烈に痛むという常識がある。そして著者も初めはその常識を信じていたというが、ガンによる自然死を何十回も見取った経験から判断すると、この常識はまちがいであったと結論している。こういうまちがい常識ができたのは、ほとんどの医者が自然死を見たことがないからであり、ガン患者を放置するとどうなるか知らないからだという。

ガンが痛むのは、放射線を浴びせたり、猛毒の抗ガン剤で痛めつけたりするのが原因であり、攻撃的な治療をやめて放置すればガンは痛まない。手遅れのガンが見つかるのはそれまで痛みがなかったことの証拠であり、ガンは本来痛まず穏やかに死んでいける病気だというのである。著者はガンで死ぬことの長所を列挙し、死ぬのは完全放置のガンにかぎるとまで言っている。

今の日本では、二人に一人がガンにかかり、三人に一人がガンで死んでいる。ところが健康な人であっても毎日五千個もの細胞がガン化しており(なんと一秒間に三個)、免疫細胞がそれらを退治してくれるお蔭でガンにならずにすんでいるが、歳を取るとこのしくみが衰えてくる。つまりガンの最大の原因は加齢であるから、高齢者のガンは長生きにかかる税金と考えるべきだという。また患者が高齢者の場合は、残された時間を治療以外のことに使うことも考えるべきだともいう。

参考文献「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一。2012年。幻冬舎。

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