今昔物語 その三十六
今は昔、京の都に身分の低い若侍がいた。その侍は長いあいだ仕事につくことができず貧乏暮らしをしていたが、知人が思いがけずある国の守に任じられたことで、その人から仕事の誘いがかかった。
「京にいても職が見つからないなら、私と一緒に任国へ行かないか。そうすれば少しは面倒を見ることもできよう。これまでも気の毒に思っていたが、なにしろ私自身が不如意でどうしようもなかった。今度任国に下るとき一緒に行こうと思うが、どうかな」
「それはまことにうれしいことです」
こうして若侍は一緒にその国へ下ることになった。この侍には長年つれ添った妻がいた。その妻は歳も若く、容姿もよく、心根も優しく、耐えがたいほどの貧乏生活を気にすることもなかったので、互いに離れがたい思いで一緒に暮らしてきた。ところが男は、遠国(えんごく)へ下るときこの妻を捨てて別の裕福な女を妻とし、その女に旅の支度を調えてもらい一緒に下っていった。そしてその国で仕事を始めてからは、ことあるごとに生活は豊かになっていった。
こうして満ち足りた暮らしはできるようになったが、なぜか男は京に捨ててきた女が恋しくてたまらなくなり、今ごろどうしているだろう、早く京にのぼって女に逢いたいと、居ても立ってもおられぬほどに思いがつのってきた。そうした耐えがたい思いで過ごしているうちに、いつしか月日が過ぎて守の任期が終わり、その供をして侍も一緒に上京することになった。
「さしたる理由もなく元の妻を捨ててしまった。京に着いたらすぐ逢いに行き、また一緒に住もう」。そう思っていたので男は京に着くとすぐに今の妻を実家にやり、旅装束のまま元の妻の家に向かった。
門が開いていたので入ってみると、中の様子はすっかり変わっていた。家はひどく荒れ果て、人が住んでいる気配とてなく、九月の中頃のことで月の光はあたりを明るく照らしてはいるが、夜気が冷たく身に迫ってきていいようのない哀れと心細さを感じた。
ところが家の中に入るといつもの所に女が居た。女のほかに人影はない。女は男を見ると恨む気色もなく嬉しそうに言った。「これはまた、どうしたことでしょう。いつ上京なさいました」
「逢いたくてたまらなかった。これからは一緒に住もう。任国から持ってきたものは明日にでも取り寄せ、従者も呼ぶ。今宵はただそれが言いたくてやって来たのだ」。女はたいそう嬉しげな様子で、男と積もる話などをしていたが、やがて夜も更けてきたので「さあ、もう寝よう」と男が言い、南の部屋で二人抱き合って横になった。
「ここには誰もいないのか」と男が問うと、「こんなひどい暮らしですもの、働きに来るものなどおりません」と女が応え、こうして長き夜をひたすら語り合い、以前よりもなお一層、情愛が身にしみて感じられた。
やがて明け方になったので共に寝入り、夜が明けるのも知らずに寝ていたが、開け放しのしとみ戸から、きらきらと射し込む朝日で男は目を覚まし、かき抱いて寝ていた女を見ると、何とそれはからからに干からびて骨と皮だけになった死人であった。
「これはどうしたことか」と驚くとともに恐怖に襲われ、あわててはね起きて掛けて寝ていた衣を抱いて庭に飛びおり、「これはひが目か」と見直したが、それはまちがいなく死人であった。そこで大急ぎで着物を身につけ、その家を走り出て隣の小さな家に立ち入り、今はじめて訪ねてきたふりをしてきいた。
「この隣にいた人は、今どこにいるかご存じありませんか。あの家には誰も住んでいないのですか」
「その人は、長年連れ添った男が遠国に下ったとき置き去りにされたとかで、それを悲しみ嘆いているうちに病を得て、看病する人もないままこの夏死にました。野辺の送りをする人とてなく遺体はそのままになっており、誰も怖がって近寄らず空き家になっています」。それを聞いて男はますます恐ろしくなり、どうするすべもなく立ち去った。
出典「今昔物語集。巻第二十七。第二十五話」
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