今昔物語その三十五
 
今は昔、世に袴垂(はかまだれ)と呼ばれる盗賊の大親分がいた。度胸があって腕が立ち、力も強く足も速く頭も切れるという並びなき盗賊であり、隙をねらってよろず人のものを奪い取ることを仕事にしていた。

この男が十月ごろ着物が欲しくなり、少しばかり手に入れようとめぼしい所をうかがいながら歩いていると、月がおぼろに霞む人がみな寝静まった夜中ごろ、大路に幾重にも着物を重ね着した人がいるのを見つけた。袴の股立ちをとり、狩衣(かりぎぬ)めいた柔らかな着物を身に付け、ただ独り笛を吹きながら急ぐ様子もなくゆったりと歩いている。

袴垂はこれを見て喜んだ。「ありがたい。これこそ我れに着物をくれるために出てきた人間だ」。そしてすぐさま打ち倒して着物をはぎ取ろうと思ったが、なぜか気後れして手出しができず、ぐずぐずと二、三町も後をついていった。その男は袴垂が後をつけて来ることなどまったく気にせず、いよいよ静かに歩いていく。

意を決した袴垂が、「ものは試しだ。やってやる」と足音高く走り寄っても、相手は少しも驚く様子もなく笛を吹きながらふり返る。手をかえ品をかえて何度襲いかかろうとしても、相手はちりばかりも騒ぐ気配がない。その落ち着き払った様は何とも恐ろしく、とても打ちかかれるものではない。

「これは稀有の人かな」と思いながら十町ばかりも後をついて行ったが、このまま引き下がるわけのはいかぬと、気を取り直した袴垂が刀を抜いて走りかかると、相手は初めて笛を吹くのをやめてじっと見つめ、「これは何者ぞ」と問うた。たとえ鬼だろうが神だろうが、相手は一人しかいないのだからそれほど恐ろしいはずはないのに、どうしたわけかその声を聞いたとたん、心も肝も失せてしまって死ぬほど恐ろしくなり、袴垂はその場にへたり込んだ。

「何者ぞ」と再び問われてもはや逃げられぬと思い、「追いはぎでござる。名を袴垂と申す」と答えると、「さような者が世にあると聞いたことはある。なんとも物騒な奴だ。ついてこい」と言って、また笛を吹きながら歩き出した。その様子を見て袴垂は、「これは並大抵の人ではない」と震え上がり、鬼神に魂を取られたようにぼんやりと後についていった。

その人は大きな家の門に入ると、沓をはいたまま縁の上にあがったので、「この家のあるじなのか」と思って見ていると、すぐに出てきて袴垂を呼び寄せ、厚く綿の入った着物を与えて言った。「今後も何か欲しい物があったら、ここに来て告げるがよい。心も知らぬ人を襲うとひどい目に遭うぞ」。そして中に入ってしまった。

この家のことをよくよく考えてみるに、摂津前司藤原保昌(せっつのぜんじ・ふじわらのやすまさ)の家だと気がついた。「あの人が保昌だったのか」と思うと、また死ぬほど恐ろしくなり、生きた心地もせずその家を出た。「なんとも薄気味悪く恐ろしい人でござった」と、後日、捕まったとき袴垂は語った。

この保昌朝臣(やすまさのあそん)は武家の出ではなく、藤原致忠(ふじわらのむねただ)という公家の子である。しかし武家出身の武人に負けず劣らず、強力(ごうりき)で腕が立ち、心太く思慮もきわめて深かったので、朝廷は軍事の方面を安心して任すことができたし、世間の人はみなこの人を恐れていた。子孫に武人が出ないのはその家柄ではなかったからと人々が言い合ったと語り伝えている。

出典「今昔物語巻第二十五。第七話」

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