今昔物語 その三十四
今は昔、河内守源頼信朝臣(かわちのかみ・みなもとのよりのぶあそん)が、上野守(こうずけのかみ)としてその任国にあったとき、その乳母の子供に兵衛尉藤原親孝(ひょうえのじょう・ふじわらのちかたか)という者がいた。この男も優れた武人であった。
ある日、親孝が盗人(ぬすびと)を捕らえて家の中に縛りつけておいたところ、どうしたことか盗人が手かせ足かせを外して逃げだし、逃げ切れなかったため、親孝の五、六歳になるかわいい男の子が走りまわっていたのを捕らえて人質にして物置に立てこもり、子供を膝の下にねじ伏せて腹に刀を突きつけた。
すぐさま家の者が、「盗人が若君を人質に取りました」と役所にいた親孝のもとに走り告げ、驚いた親孝が家に駆けもどってみると、まことに盗人が子供の腹に刀を押し当てていた。それを見たとたん親孝は目がくらみ、何をどうしたらよいか分からなくなった。
飛びかかって子供を奪い返そうかとも思ったが、大きな刀をきらめかせた盗人の、「近寄りなさるな。寄れば突き殺して進ぜようぞ」という言葉に、「たしかに子供を突き殺されたなら、百千にこやつを切り刻んだところで何の益かある」と思い直し、郎等たちに「決して近づくな。遠巻きにして見張っておれ」と命じ、「とにかく殿に申し上げてみよう」と駆けだした。
上野守の館はすぐ近くにあったので、親孝は守(かみ)の面前にあわてふためきながら駆け込んだ。驚いた守が言った。
「いったい何ごとが起こったのか」
「たった一人の幼な子を人質に取られました」
そう言って親孝が事情を説明して泣きだすと、守はからからと笑って言った。「泣きたくなるのも道理ではあるが、ここで泣いたとてどうなるものでもない。鬼にも神にも組みつく気構えが必要なとき、そのように泣いていてどうする。子供の一人ぐらい突き殺させてしまえ、という気構えがあればこそ武人というものだ。身を思い妻子を思うていては武人の一分が立たぬ。物怖じせぬというは身を思わず、妻子を思わぬことをいうのだ。とは言え、わしがひとつ行ってみよう」
守は太刀だけ提げて親孝の家へ行き、物置の入口から中を覗いてみた。盗人は守が来たことを知り、親孝のときのように息巻いたりせず伏し目になり、いよいよ刀を押し当て少しでも近づけば刺し貫く構えを見せた。子供はしきりに泣き叫んでいる。
守が盗人に言った。「汝がその子供を人質に取ったのは、自分の命が惜しいからか。それとも子供を殺そうと思うてか。そこのところをはっきりと申せ。このならず者め」
盗人は蚊の鳴くような声で言った。「なんで子供を殺したいなどと思いましょう。ただ命が惜しいばかりに、何とか助かりたいと人質に取ったのでございます」
「おい。そういうことならその刀を投げてよこせ。この頼信がこう言ったからには、投げずにはすむまい。汝に子供を突かせて、黙って見ているわしではないぞ。わしの心映えは音にも聞いておろう。確かに投げよ。こやつめ」
盗人はしばらく思案していたが、「その言葉かたじけなく、どうして仰せに従わずにおれましょう。刀は投げます」と言って刀を遠くに投げ、子供を抱き起こし放してやったので、子供は走って逃げだした。守はその場を離れながら、盗人をこちらに連れてくるようにと郎党に命じ、郎党が盗人の襟首をとって前庭に引き出して坐らせると、親孝は「切って捨てる」と息巻いたが、守はそれをさえぎって言った。
「こやつは殊勝にも人質を許した。貧しさのゆえに盗みをもし、命が助かりたいがために人質をも取ったのだ。あながち憎むべきことではない。それに人質を放せというわしの言葉に従って放したのだから、物の道理も弁えておる。すぐにこいつを放してやれ」。そして盗人に「何か要るものがあれば言え」ときいたが、盗人はただ泣くばかりで答えなかった。
守はそれを見て、「こんな悪事をはたらく奴だから、またどこかで人殺しでもするかもしれんが、馬屋におる草刈り馬の中から強そうなのを選び、古い鞍を置いてつれてこい」と郎党に命じた。そして盗人に粗末な弓矢を与え、十日分ほどの干飯(ほしいい)を袋に入れて腰に下げさせ、「さっさとここから消え失せろ」と言うと、盗人はただちに全速力で馬を走らせて逃げ去った。盗人が人質を放したは頼信の一言に恐れ入ったからであり、頼信の武威はまことに大したものであった。
出典「今昔物語集。巻第二十五。第十一話」
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