今昔物語 その三十三

今は昔、讃岐(さぬき)の国の那珂(なか)郡に、弘法大師が人々を救うために作った万能(まの)の池という溜め池があった。高く堤を巡らしたその池は、海のように広く、底知れぬほど深く、大小の魚が数知れず住み、竜の住み家ともなっていた。

あるときこの池に住む竜が、日を浴びようと小さなヘビの姿になって人気のない堤の上に出て、とぐろを巻いて昼寝を始めた。ところがちょうどそのとき、近江の国の比良山(ひらさん)に住む天狗がトビの姿で池の上を飛び回っていた。天狗は小さなヘビを見つけると、たちまち急降下して鷲づかみに捕らえ、空高く舞い上がった。

竜は力の強いものであるが思いがけぬでき事に為すすべがなく、天狗の方は捕まえたヘビを食おうとするが、竜が変じたヘビなので力が強くて食うことができない。持て余した天狗は遠く比良山まで竜を持って行き、狭い洞窟の中に身動きできないように押し込めた。竜はせめて一滴の水でもあれば大空に舞い上がることができるのだが、それもかなわずただ死を待つばかりといった状態で四、五日が過ぎた。

一方の天狗は「比叡の山の貴き僧をさらおう」と思い、夜、東塔の北谷の高い木のうえで様子をうかがっていた。するとすぐ向かいにある粗末な僧坊から、一人の僧が縁側に出てきて小便をし、持ってきた瓶の水で手を洗って中に入ろうとした。それを見た天狗は木から舞いおりるや僧を引っさらい、比良山の洞窟に押し込めて飛び去った。僧は「もはやこれまでか」と思いながら、瓶を持って茫然としていると、暗がりから声がした。

「あなたはどなたです。どこから来たのですか」

「私は比叡山の僧です。手を洗おうと縁側に出たとき、にわかに天狗につかまりここへ連れてこられました。そういうあなたはどなたです」

「私は讃岐の国の万能の池に住む竜です。堤の上で舞い降りてきた天狗につかまり、ここへ連れてこられたのです。一滴の水さえあればここから飛び出すこともできるのですが、水がないため身動きもままならないのです」

「一滴ぐらいならこの瓶の中に残っているかもしれません」

これを聞いた竜は喜んだ。「ここに何日間も押し込められ、私の命は尽きる寸前です。でもあなたが来てくれたことで互いに助け合うことができます。水さえあれば必ずもとの住み家にお送りします」

僧もそれを聞いて喜び、さっそく瓶を傾けると、一しずくの水が竜に振りかかった。竜が言った。「ゆめゆめ恐れることなく、目をつぶって私におぶさっていて下さい。この恩は世々(せせ)にも忘れることはありません」

竜はたちまち小童(こわらわ)の姿となり、僧を背負うと洞窟を蹴破って飛びだした。するとにわかに雷鳴がとどろき、空がかき曇り、雨が降り出した。僧は肝をつぶし恐怖におののいたが、竜を信頼して一心にしがみついていると、あっという間に比叡山のもと居た僧坊に着き、竜は縁側に僧を下ろすとすぐに飛び去った。

僧坊の人々は、突如として稲妻が光り、雷鳴がとどろき、僧坊に落雷したかと思うと、あたりが闇夜のように暗くなり、しばらくして明るくなったとき、昨夜急にいなくなった僧が縁側に立っていたので驚いた。

その後、竜は仇をとるべく天狗を捜しまわり、京の町で寄進をつのる荒法師の姿に化けて歩く天狗を見つけると、すぐに舞いおりて蹴殺した。天狗は翼を折られたクソ鳶の姿を現し、大路で人々に踏みつけられた。

出典「今昔物語集。巻第二十。第十一話」

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