今昔物語その三十二

今は昔、宇治殿(うじどの。藤原頼道)が全盛でおられた時のこと、その屋敷で明尊僧都(みょうそん・そうず)という三井寺の僧が夜間の祈祷を勤めていると、にわかに宇治殿から、すぐに三井寺へ行きその夜のうちに帰ってくるようにという仰せがあった。何用であったのかは分からない。

宇治殿は驚いて暴れたりすることのない確かな馬に鞍を置かさせると、側近の者にきいた。「護衛として誰か適した者はおるか」。そのときは左衛門尉平致経(さえもんのじょう・たいらのむねつね)が詰めていたので、側近が「致経がおりまする」と答えると、「それはいい。僧都はこれから三井寺へ行き、今夜中に戻ってくる。致経にその供を抜かりなく勤めるように伝えよ」と命じた。

その致経という男は、常に宿直所に弓と矢筒を置き、わら沓を畳の下に隠し、身分の卑しい男をひとり従える、という念の入ったことをしていたので、それを見た者から「なんという小心者だ」と言われていた男であった。致経は命を受けるとすぐ袴の裾をくくり上げ、かねて用意のわら沓を履き弓矢を背負うと、馬のそばで待機した。そこへやって来た僧都が馬の係に聞いた。

「あれは誰ぞ」

「致経でござる」

僧都が致経に言った。「三井寺まで往復するのに、徒歩で行くような格好をしているが馬はないのか」

「徒歩で行こうとも遅れることはありませぬ。私にかまわず急ぎお行きください」

僧都は怪しいことだと思いながらも、松明(たいまつ)を持たせて先に歩かせた。ところが七〜八町(一町は約一〇九メートル)も行ったとき、黒装束をつけ弓矢を帯びた男が二人、行く手に現れた。僧都はそれを見て恐怖を感じたが、その者は致経を見ると膝を突いて言った。「馬の用意をいたしました」

夜のことで引き出された馬の毛色は分からないが、乗馬用の沓も用意されており、致経はわら沓の上からそれを履くと馬に乗った。弓矢を帯びた騎馬の者二名が供に加わったので、僧都は頼もしく感じたが、また二町ほども行くと道の脇からやはり黒装束で弓矢を持った者が二人現れて膝を突き、引いてきた馬で付き従った。すべて無言のままだった

「これも郎党なのか。それにしても不思議なことをするものだ」と思っていると、二町ばかり先でまた二人の郎等がやはり無言のまま加わった。こうして一町行くごとにさらに二人ずつ加わるというあり様で、賀茂川に出たときには三十人あまりの人数になっていた。

「まったく不思議なことをする男だ」と思いつつ僧都は三井寺に着き、用件を処理してまだ真夜中にならないうちに帰途についた。前後を包囲するように郎党が守ってくれるのでまことに頼もしい。

そして京の町に入ると致経が何も言わないのに、加わった場所で今度は二人ずつ離れていき、屋敷まで一町ほどのところで致経が馬を下りて沓を脱ぎすてると、最後に残った二人の郎等が沓と馬を受けとり闇の中に消えていった。こうして致経は出発したときの姿で、下男一人を従えて屋敷の門をくぐった。

僧都はあらかじめ取り決めて訓練していたかのように、郎党や馬が現れてきたのが不思議でならなかった。そのため「さっそくこのことを殿に申し上げよう」と思いながら御前に参上し、寝ずに帰りを待っていた宇治殿に用件を報告するとともに、今夜見たことの一部始終を語り、「致経は不思議な男でござる。郎党を自分の手足のように見事に動かしておりまする」と付け加えた。

そして「この話を聞けば、殿はさらに詳しく知りたくなり質問してくるだろう」と思っていたが、期待はずれなことに何の質問もなく終わった。武家の日頃の鍛錬や備えなどに、公家の宇治殿は興味がなかったらしい。

致経は平致頼(たいらのむねより)という武人の子の勇猛な人であり、尋常でない大きな矢を射たため「大矢の左衛門尉」と呼ばれていたと語り伝えられている。

出典「今昔物語集。巻第二十三。第十四話」

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