今昔物語その三十一

今は昔、朱雀院(すざくいん)の御代の天慶(てんぎょう)年間のころのこと、天文博士が「月が大将の星を犯す」という見たてを上申(じょうしん)したことがあり、そのため「左近と右近の大将は厳に身を慎むべし」ということになった。当時の左大将は枇杷左大臣仲平(びわのさだいじん・なかひら)、右大将はその甥の小野宮右大将実頼(おののみやのうだいしょう・さねより)であった。

そこで右大将はさっそく春日神社と山階寺(やましなでら)でさまざまな祈祷をおこなったが、左大将は何もしなかったので、心配した左大将の祈りの師である東大寺の法蔵僧都(ほうぞうそうず)が、京に左大将を訪ねて忠告した。「やはりご祈祷をなさる方がよろしかろうと存じます」

左大将が答えて言った。「誠にもっともなことで、そう言って心配してくれるのは私もうれしい。しかし負けてはおれぬとこちらも祈祷するのは、右大将のためにはよくないことだ。右大将は才のある賢い方で歳もまだ若く、これからも長く朝廷にお仕えすることだろう。私は年老いた取り柄のない身だから、死んだとて何ほどのことがあろう。そう考えて祈祷をしないのだ」

僧都はその言葉を聞くや、涙を流して言った。「そのお言葉こそ百千万の祈祷に勝る限りなき善根です。わが身を捨てて人を哀れむは仏の教えそのものですから、必ず三宝のご加護があります。祈祷せずとも何の怖れがありましょう」

そう言って僧都は帰っていった。その後、左大将の身には露ほどの病もなく、七十を過ぎるまで大臣を勤めた。

出典「今昔物語集。巻第二十。第四十三話」

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