今昔物語その二十七

今は昔、仏道修行をするひとりの僧がいた。その僧が九州を流浪したとき、日が暮れたので道祖神の祠のそばで野宿し、暗闇のなか物に寄りかかって寝ていると、人はみな寝静まったと思われる夜半すぎ、馬の足音がたくさん聞こえてきた。

今ごろなぜ多くの人が通るのかといぶかしく思っていると、「道祖神はおいでか」という声が聞こえ、祠の中から「おりますよ」と返事があった。これはいよいよあやしいと思っていると、また声が聞こえた。

「明日、武蔵寺(むぞうじ)にお参りなさいますか」

「そんな予定はありませんが、何かあるのですか」

「明日、武蔵寺に新しい仏が出現なさる。そのため梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしゃく)、四大天王、竜神八部衆がみなお集まりになるのです。ご存じなかったですか」

「知りませんでした。よく教えてくださいました。そういうことなら参らない訳にはいきません。必ず行きます」

「明日の朝十時ごろです。必ずおいで下さい。お待ちしております」

そう言って馬の足音が通り過ぎたので、僧はこれは鬼神が話をしていたに違いないと恐ろしくなり、じっと夜明けを待った。

「今日はよそへ行くつもりでいたが、昨夜のことがどうも気になってしかたがない。確かめてから行くことにしよう」。僧は夜が明けるとそう決心し武蔵寺へと向かった。近くの寺なのですぐに着いたが、何ごとかあるような様子はなく、ふだんよりも静かなぐらいで人もまったくいない。

それでも「何かあるはずだ。いったい何が起こるのか」と本尊さまの前に坐ってあたりを見回しながら待っていると、十時をとうに過ぎて十二時ちかくになったとき、年のころ七、八十歳にもなる翁(おきな)がやって来るのが見えた。もともとが小男なのに腰が曲がってさらに小さくなった翁が、黒い髪の残っていない白髪もまばらな頭に袋のような烏帽子(えぼし。帽子)をかぶり、杖にすがって歩いてくる。

その後ろには尼僧が一人いた。尼僧は何か入った小さな黒い桶を手に提げている。翁はお堂に上がると、仏に向かって二、三度礼拝し、木連子(もくれんじ。ムクロジの種)の長く大きな念珠をしきりにこすり合わせている。尼僧は翁のかたわらに桶を置くと、「和尚様をお呼びしましょう」と言って去り、しばらくすると六十歳ぐらいの僧が出て来た。僧はまず本尊に向かって礼拝しそれからたずねた。

「どのようなご用でお呼びになったのです」

「私は今日、明日ともしれぬ身になりましたので、この少しばかり残っている白髪を剃り、仏の御弟子(みでし)にしてもらおうと思って来たのです」

僧はこれを聞いて目を押しぬぐいながら言った。「それはとても貴いことです。それでは早速始めましょう」

桶に入っていたのはお湯であった。翁はその湯で頭を濡らし、僧に髪を剃ってもらってから戒を受け、それからまた仏を礼拝し去っていった。そしてその後は何事も起きなかった。

「さてはあの翁が出家するので、そのことを新しい仏が生まれると鬼神が道祖神に告げたのか。翁の出家に随喜(ずいき)すべく天地の仏神がここに集まっていたのだ」と僧は納得し、限りなく貴いことと感激しその寺を去って行った。年老いた翁が出家するのでさえ仏神がこのようにお喜びになるのだから、若く元気な人がねんごろに道心を起こして出家する功徳はいかばかりであろうか。

出典「今昔物語。巻第十九。第十二話」

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