台湾の話

平成二四年二月、台湾へ行ってきた。台湾は正式国名を中華民国あるいは中華民国台湾といい、国土の広さは九州と同じぐらい、人口は二三〇〇万人弱という国である。

ただし中国は、台湾を独立国家とは認めていない。台湾は自国の一部であると主張し、隙あらば併合しようと狙っているのである。そのため台湾は、独裁国家の中国に併合されるのは断固拒否するが、大きな軍事力と市場をもつ中国とけんかもできない、という難しい状況に置かれているのであり、この国に未来はあるのかと心配になるほど台湾は舵取りの難しい国である。

そこで現地ガイドに、「この国の人たちは自分が中国人だと思っているのか」ときいてみたら、「ほとんどの人はそうは思っていない。我々は台湾人だ」という返事であった。また「中国との統一は台湾にとっていいことは何もない。だから統一を願っている人もほとんどいない」とも言っていた。

おそらく台湾の国民が思いえがく理想の未来は、中国と不可侵条約を結び、世界から独立国家として認められ、国連にも加盟する、ということであろう。つまり台湾と中国がまったく別の国になることであるが、中国がそれを認めることは今のところあり得ない。だから今の台湾にできるのは現状を維持することぐらいであり、中国共産党の独裁体制が崩壊すれば流れが変わるかもしれないと、そこにかすかな希望を見出しているように感じた。

台湾は現在、国連に加盟していない。国連代表権が中国共産党政府に認められたとき国連を脱退したのであり、その後、中国と国交を結んだ国々と断交することで孤立を深めていった。二〇〇五年に台湾と正式な国交をもつ国は二六ヵ国しかなく、そのほとんどは中南米かアフリカの小国である。

日本とも正式な国交はなく、日本の大使館が台湾に存在しないので、台湾でパスポートを紛失すると再発行に手間がかかる。ただし台湾と国交をもつ国はアジアに一つもないが、経済関係を主とした実務外交が行われていて、この国は経済的には奇跡的な発展をとげている。

台湾旅行で印象に残ったのは、故宮(こきゅう)博物館と、太魯閣(たろこ)渓谷であった。中国歴代王朝が収集した宝物が収蔵されている故宮博物館は、世界四大博物館の一つとされており、ここの収蔵品は蒋介石(しょうかいせき)が北京の紫禁城から運んで来たものなので、台湾が中国に併合されればまた北京に移されると思う。太魯閣渓谷は高さ三百メートルもの大理石の垂直の崖が続く渓谷である。

台湾は険しい山脈が国土を南北に縦断する日本以上の山国である。ところがその山脈が東側に片寄って通っているため、山脈の西側には平野が開けているが、東側には平地がほとんどなく断崖絶壁の海岸が続く場所もある。

台湾の最高峰は三九五二メートルの高さをもつ玉山(ぎょくさん)である。富士山より一七六メートル高いこの山は、日本が台湾を統治していたときには、日本の新たな最高峰ということで新高山(にいたかやま)と呼ばれ、真珠湾攻撃を命ずる暗号電文「にいたかやまのぼれ一二〇八」の「にいたかやま」はこの山のこととされる。なお台湾には富士山より高い山がほかにもある。

     
台湾の宗教

台湾は仏教国めぐりの最後の国だと思っていたら、実際は道教の国であった。二〇〇四年の統計によると、台湾の宗教施設の数は、道教寺院八九三二、キリスト教のプロテスタント教会二四一二、仏教寺院二二二七、カトリック教会七一五、というように道教寺院が飛び抜けているのである。

そのため列車からの眺めでも道教寺院がよく目につき、一度に三つの道教寺院が見えた所もあった。屋根のうえに虎や龍などの装飾がのっているのが道教寺院、装飾のないのが仏教寺院である。

ただしこの国の宗教は、ここは仏教ここは道教というように分類することが、簡単にはできない性質を持っている。台湾の寺廟(じびょう。仏教、道教、儒教の施設)では、一つの祭壇の上に異なる背景、多様な起源をもつ雑多な仏や神が祀られており、その中には土着の神や、宗教とは関係のない実在の人物まで含まれているからである。

つまり一部の人をのぞけば、台湾人が信仰する宗教は、仏教とか道教と呼ぶ体系的なものではなく、きわめて現世利益的な傾向をもつ混合宗教なのである。ただしガイドの説明によると、道教寺院に仏像は祀られているが、仏教寺院に道教の神は祀られていないという。一九八五年の統計によると、台湾の寺廟で主神として祀られているのは以下の仏神である。

一、王爺(おうや)、六九〇ヵ所。いちばん多く祀られている王爺は、道教の最高神、玉皇上帝(ぎょくこうじょうてい)の代理として人間界を守護する神。ただし道教神とされているが道教の教典には登場せず起源は不詳だという。

二、観音仏祖(かんのんぶっそ)、五九五ヵ所。もちろん観音さまのこと。

三、釈迦仏、五一六ヵ所。もちろんお釈迦さまのこと。

四、天上聖母(てんじょうせいぼ)、五一五ヵ所。別名を媽祖(まそ)という航海や漁業の守護神とされる女神。十世紀後半の福建省に実在した神通力を持つ女性とされる。

五、福徳正神(ふくとくせいじん)、四二一ヵ所。土地公とも呼ばれる商売繁盛の道教神。

六、玄天上帝(げんてんじょうてい)、四一三ヵ所。真武大帝(しんぶたいてい)とも呼ばれる、北方を守護する玄武を源流する神。武勇に優れた重要な道教神であり、この神を祀る中国湖北省にある武当山は世界遺産になっている。

七、関聖帝君(かんせいていくん)、三六六ヵ所。三国志に出てくる実在の人物、関羽(かんう)将軍。義に篤く侠気に富む人柄だったことから、広く願いごとをかなえてくれる神さまとなり、ソロバンを初めて作ったとされることから商売繁盛の神ともなった。関羽将軍を祀る寺廟は日本では関帝廟(かんていびょう)と呼ばれる。

そして二五番目の二四ヵ所が儒教の孔子さま。

台湾の寺廟ではチベットやミャンマーのような熱心な礼拝姿は見られず、たいていの人は線香を供えて合掌するだけであった。台湾仏教の特色のひとつは尼僧の多いことであり、尼僧の数は男僧の四、五倍になるという。なお仏教の社会的地位は以前は低かったが、最近は熱心な社会活動が認められて上がってきているという。

     
台湾小史

漢民族が移住してくる前の台湾は、東南アジアから渡来したいくつかの先住民族が、狩猟、漁労、焼畑耕作、などで生活する島であった。漢民族が台湾に移住を始めたのは十七世紀初頭と遅く、その理由は先住民が移住を許さなかったこと、台湾海峡の渡航が困難だったこと、風土病のマラリアがひどかったことなどとされる。しかし今では漢民族が九八パーセントを占めている。

十五世紀末、西欧諸国が植民地を求めて世界中に進出し、その中でスペインとオランダが台湾に目を付けた。

一六二四年、オランダが台湾南部に上陸し、台南に城を築いた。

一六二六年、スペインが北部の基隆(きーるん)に築城、一六二九年には淡水に築城。

一六四二年、オランダがスペインを駆逐するとともに先住民を懐柔、台湾支配を確立した。

一六四四年、大陸で清朝が成立。

一六六一年、清朝に反抗する鄭成功(てい・せいこう)が台湾に攻め入り、翌年にはオランダ人を駆逐、清朝に反抗する基地として台湾の開拓を進めた。鄭成功の母は長崎県平戸(ひらど)の日本女性であった。

一六八三年、清朝が台湾を帰属させた。しかし三年小叛(しょうはん)、五年大叛(だいはん)と言われるほど反乱が多く、清朝も台湾支配には手を焼いた。

一八九四年、日清戦争が起こり、清は戦勝国の日本に台湾と澎湖(ほうこ)列島を割譲し、以後五〇年間、日本が台湾を支配した。帰りの機内で台湾を個人旅行してきた日本の若者と隣りあわせた。彼は台湾が日本の植民地だったことを今回の旅行で初めて知ったと言っていた。

一九一一年、大陸で辛亥(しんがい)革命がおこり、清朝が滅んで中華民国が建国され、孫文が臨時大統領になった。孫文は今も建国の父とか国父(こくふ)と台湾で呼ばれている。

一九四五年八月十五日、日本の敗戦により台湾は中華民国に返還され、国民党政府の支配下に入った。ところがその支配があまりに過酷で腐敗もひどかったので、日本の方がよかったということになった。それが台湾に日本びいきの人が多い理由だという。

一九四七年二月二八日、国民党政府に対する反乱が起き、その反動で数万人の台湾人が殺された。この二・二八事件により、中国に対する精神的な依存から台湾人は脱却したという。

一九四九年十月一日、大陸で毛沢東ひきいる中国共産党が中華人民共和国の成立を宣言。

一九四九年十二月、中国共産党との戦いに敗れた蒋介石(しょうかいせき)と国民党が、二百万人もの人を引きつれて大陸から台湾へ移住、武力で台湾を支配した。このとき台湾も中国共産党に占領されかけたが、東アジア全体が共産化することをおそれたアメリカの介入によりまぬかれた。その後アメリカの援助により台湾は急速に工業化を進めた。

一九七一年、大陸の中国共産党政府に国連代表権が認められたため国連を脱退、国際的に孤立した台湾は経済活動に専念することで奇跡的な経済発展をとげ、とくにコンピュータ関係では世界有数の生産量を誇っている。

参考文献
「現代台湾宗教の諸相」五十嵐真子 二〇〇六年 人文書院
「地球の歩き方。台湾。05〜06」二〇〇五年 ダイヤモンド・ビッグ社

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