今昔物語その二十五
今は昔、延好(えんこう)という名の修行僧がいた。あるとき延好が越中(えっちゅう)の国を訪ね、立山(たてやま)の奥ふかく分け入り修行していると、丑の刻(うしのこく。午前一時から午前三時)ごろ人影のようなものが現れ出た。それを見た延好が恐れおののいていると、その影のようなものが悲しみ泣きながら言った。
「私はもと京の七条に住んでいた女です。我が家はそのあたりで一番という家で、家族は今もそこに住んでいます。私はこの世における果報が尽きたため若くして死に、この立山地獄におちました。私は生前、祇陀林寺(ぎだりんじ)の地蔵講に一、二度お参りしたことがあるぐらいで、その他には塵ほどの善根も作りませんでした。それなのに地蔵菩薩はこの地獄にお出で下さり、夜明けと、日中と、日没の三回、我が身の苦しみを代わって受けて下さいます。
上人にお願いがあります。私がもと住んでいた家に行って父母兄弟に会い、我が苦しみを抜くために善根を修するように伝えて下さい。そうすれば決してご恩を忘れることはありません」
そう言って影は消え失せた。延好は恐れおののきながらも、女の言葉に哀れみの心を起こし、立山を出立して京の七条へ行き、試みに女の言ったところを訪ねると、まことに女の言葉の通りであった。
延好が家族に会ってことの次第を告げると、父母兄弟は嘆き悲しんで涙を流し、また感謝すること限りなく、すぐに仏師を呼んで三尺の地蔵菩薩の像を造り、法華経三部を書写し、法会を設けて供養した。講師は大原の浄源という僧がつとめ、説法を聞いたものはみなことごとく涙を流した。
ここからは付け足し。この話に出てくる立山地獄は、そう呼ばれる場所が現に存在する。立山は三〇一五メートルの高さをもつ名峰であり、その標高二三〇〇メートルの地点に立山地獄がある。ここは地獄谷などと呼ばれる火山性ガスや熱湯が吹き出す荒涼とした場所であるが、地獄と呼ぶほど恐ろしげな場所でも、それほど大規模な地獄谷でもないから、過度に期待していくとがっかりするかもしれない。なお立山、富士山、白山、の三山を日本の三霊山としている。
立山地獄は日本有数の観光道路である立山黒部アルペンルートの中継基地、室堂(むろどう。標高二四〇〇メートル)のすぐ下にあって、室堂まではバスなどを乗りついで上れる。立山、剣岳(つるぎだけ)、大日岳(だいにちだけ)などへの登山基地になっている室堂には数軒の宿があり、それらの宿は日本でいちばん高所の源泉とされる立山地獄から湯を引いている。
なお立山地獄を描いた絵図を立山曼荼羅(まんだら)と呼んでおり、その絵図には、室堂にあるミクリガ池は寒地獄、剣岳は針の山、立山山頂は阿弥陀仏が来迎する立山浄土として描かれている。
出典「今昔物語集。巻第十七。第二十七話」
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