今昔物語その二十二

今は昔、雲林院(うりんいん)という寺に、菩提講を創始した上人が住んでいた。九州生まれのこの上人は、もとは投獄されること七たびに及ぶという極めつけの盗人(ぬすびと)であった。

その七度目に捕らえられたときには、検非違使(けびいし。京の都を守る役人)たちが集まって相談し、「一度でも牢に入ることさえ人として良いことではないのに、七たびも投獄されるとは世にもまれな悪人である。この盗人、このたびは足切りの刑にしよう」ということになった。そして賀茂の河原で足を切ろうとした。

その当時、都に有名な人相見がいた。名前は伝わっていないが、人の姿を見て占いを立てて一度もはずれたことがないという人であった。その人相見がたまたまその場を通りかかり、人が多く集まり騒いでいたので立ち寄ってみたら、盗人の足を切らんとしていた。人相見はその盗人の姿をひとめ見るや、処刑人に向かって叫んだ。

「どうか我れに免じて、この人の足を切らないでくれ」

「これは極めつけの盗人で、七回も投獄された奴です。そのためこの度は検非違使が集まって相談し、足を切ることに決定したのです」

「この男は極楽往生の相を備えている。それはまちがいない。だから決して切ってはいけない」

「おかしな人相見をするお坊さんだ。こんな極悪人が往生するはずがない。まったく訳の分からん見立てだ」

そう言って処刑人がかまわず足を切ろうとすると、人相見はその足の上に坐りこみ、「代わりに我が足を切れ。必ず往生する者の足を切るのを黙って見過ごせば、その罪は免れぬ」と大声で叫んだ。

持てあました処刑人たちが、検非違使にことの次第を報告したので、検非違使たちはまた集まって相談した。そして「あれほどの人相見が言うのだから、その意見を無視するのは良くない」と長官に報告し、「それなら足を切らずに追放せよ」ということになった。

その後この盗人は深く道心をおこし、たちまち髻(もとどり)を切って法師(ほうし)になり、日夜に弥陀の念仏を称え、ねんごろに極楽に生まれることを願い、雲林院に住して菩提講を始めた。そして命終のときには、かの人相見が言った如くまことに貴い姿で亡くなった。

出典「今昔物語集。巻第十五。第二十二話」

もどる