今昔物語 その十六

今は昔、奈良県吉野の薊岳(あざみのたけ)という所に良算(ろうざん)持経者という上人がいた。上人は東国で生まれ、出家すると塩と穀物を断って山菜や木の葉を食べ、法華経を信奉してからは、他の行をやめて日夜に法華経を読誦し、つねに深い山の中に住み、里に出ることはなかった。

上人はつねにこう思っていた。「この身は水の泡の如きもの。命は朝露の如きもの。さればこの世のことを思い煩わず後世のために勤めよう」

そして老いを迎えると故郷を捨てて吉野の金峰山(きんぶせん)に参詣し、薊岳に草庵を結ぶと、そこに籠もってひたすら法華経を読誦した。山の鬼神たちは、初めのうちは上人を惑わそうと邪魔をしていたが、やがて読経の声を聞くことを尊ぶようになり、木の実や草の実を持って来るようになった。

また熊や狐や毒蛇まで集まり来るようになり、美しい衣服をまとった端正な容姿の女人が時々あらわれて、上人のまわりを回りながら礼拝して帰っていくのを幻のように見ることもあった。これは天女ではないかと上人は思った。

上人は山に住む人が食物を与えても喜ばず、人がやって来て話しかけても答えず、ただ読経のみをし、眠っているときも読経の声を出していた。そのようにして十余年後に命終のときを迎え、そのときの上人の顔は血色がきわめて良く笑みを含んでいた。それを見た人がたずねた。

「上人、何故そんなにうれしそうな顔をしているのです」

「長年の貧乏の身が栄華を得て官位をいただくことになった。どうして喜ばずにおられようか」

「栄華や官位の喜びというのは何のことです」

「煩悩不浄の体を捨てて、清浄微妙なる身を得る喜びのことだ」

そう言って上人は入滅した。

出典「今昔物語集。巻第十二。第四十話」

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