今昔物語その十三
今は昔、小野篁(おのの・たかむら)という人がいた。篁がまだ学生(がくしょう)の身分だったとき、ある事件で朝廷から処罰されるということがあり、そのとき、当時はまだ宰相だった西三条大臣良相(さいさんじょうの・おとど・よしみ)がことあるごとに篁の弁護をしてくれた。篁は「ありがたいことだ」と心のなかで深く感謝し、年月は流れて篁は宰相になり、良相は大臣になった。
その大臣の良相が急に重い病気にかかって数日のうちに亡くなった。するとたちまちエンマ大王の使いに捕縛され、生前の罪を調べるべく大王の王宮へ連行された。ところが居並ぶ大王の臣下のなかに小野篁がいた。
「これは一体どういうことだ」と不思議に思っていると、篁が笏(しゃく)を手にとり大王に申し上げた。「この日本の大臣は心の正しい親切な人です。このたびの罪は私に免じてお許し願いたい」
大王が言った。「それは極めて難しいことではあるが、そなたの願いならば特に許してつかわそう」。そこで篁は使いの者に「すみやかに連れて帰りなさい」と命じ、そのとき大臣は蘇生し病はしだいに回復した。
大臣はこの冥土でのでき事が不思議でならなかったが、人に話したことはなく、篁にたずねる機会もなかった。ところが数ヵ月後のある日、大臣が参内(さんだい)して席につくと、篁がその近くに坐っていた。ほかには誰もいない。「これはちょうどよい機会だ。ひとつ冥土でのでき事をきいてみよう。どうにも不思議でしかたがない」
大臣はそっとひざを進めて篁に言った。「これまできく機会がなかったが、あの冥土でのでき事は忘れがたい。あれは一体どういうことなのか」
篁は笑みを浮かべながら言った。「先年のご親切がたいへんにうれしく、そのお礼にお助けした次第です。これは誰も知らないことでございます。決して人には仰せにならないように」
これを聞いた大臣は、「篁はただ人ではない。エンマ大王の臣下なのだ」と気がつき、篁を怖れるとともに人には親切にしておくべきだと思った。
出典「今昔物語集。巻第二十。第四十五話」
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