今昔物語 その十二
今は昔、奈良の元興寺(がんごうじ)に、義紹院(ぎしょういん)と呼ばれるすぐれた学僧がいた。ある冬の日、義紹院が京都から奈良へ帰るときのこと、木津川の河原は風が吹き荒れて限りなく寒く、その激しい寒さのなか夜立(よたて)の森の墓の陰に、一人の法師が腰にムシロを巻いた姿でうつ伏せに横たわっていた。「死人か」と思い義招院が馬を止めてよく見るとかすかに動いている。
「お前は何者だ。どうしてこんな所に横たわっているのか」
すると息も絶え絶えにその法師が答えた。
「あわれな乞食でございます」
「寒くはないのか」
「凍えてしまって何も分からないようなありさまです」
「まことに気の毒な」
義招院は来ていた衣を一枚脱ぐと、馬に乗ったまま乞食に投げ与えた。「これをお前にやるから着るがよい」
すると突然、乞食が起き上がり、頭に掛かった衣を鷲づかみにして投げ返してきた。衣は義紹院の顔に当たり、驚いた義紹院が衣を手に取りながら「あきれた奴だ。何をするか」と言うと、乞食がそれに応えて言った。「人に物を施すときは、馬から下りて相手を拝んで施すものだ。馬に乗ったまま投げてよこす布施など受けとれるか」。そう言うや、かき消すように居なくなった。
「これはただの人間ではない。仏、菩薩の化身に違いない」と、義紹院は急いで馬から下り、投げ返された衣を捧げ持って乞食の居たところに向かって泣く泣く礼拝をしたが、すでに甲斐のないことだった。日が暮れるまでじっとそこで考えこんでいたが、何ら変わったことも起きなかったので、悲しみ後悔しながら馬を引いて帰途についた。それ以後、義紹院は常にこう言っていた。「乞食といえど決して侮ってはいけない」
出典「今昔物語集。巻第四十。第四十話」
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