今昔物語 その十

今は昔、京都の愛宕山(あたごやま)に、長く修行を続けている持経者(じきょうしゃ)の上人があった。僧坊から出ることなく長年にわたり余念なく法華経を読誦していたが、智恵はなく法門を学んだこともなかった。

その山の西に鹿や猪を射殺すことを仕事とする一人の猟師が住んでいた。猟師は上人をねんごろに敬い、しばしば訪れては折節に供養の品を届けていた。ある日、久しぶりに猟師が果物などを持って訪れると、上人はよろこび迎え、会わなかった間の消息などを話していたが、急にひざを進めると猟師にささやいた。

「近ごろきわめて貴いことがある。長いあいだ余念なく法華経を読誦してきた霊験であろうが、最近、夜な夜な普賢菩薩が現れたまう。だから今宵はここに留まって拝んでいきなされ」
 「それはきわめて貴いことでございます。拝ませていただきます」。そう言って猟師は寺に留まり、そっと上人の弟子の幼い童子にたずねた。

「普賢菩薩が現れると上人は言われるが、汝も見たことがおありか」

「もちろんです。五、六度拝見しました」

「ならばわしでも拝見できるかもしれない」

そう思いながら猟師は上人とともに寝ずに待っていた。九月二十日すぎのことなので夜はたいそう長い。今か今かと待っていると夜半過ぎと思われるころ、あたりを払うように峰の嵐が吹き、東の峰のあたりが月が出たように明るく白くなり、僧坊の中も月の光が射し込んだように明るくなった。

見れば白く輝く普賢菩薩が白象(びょくぞう)に乗って下りて来て、僧坊正面すぐの所に下り立った。その姿は限りなく貴くありがたい。上人は泣きながら恭しく礼拝し、後ろにいた猟師に言った。

「どうだ。そなたも拝みなされたか」

「まことに貴く拝みました」

と猟師は口では答えたものの、心の中で思った。「上人は長年法華経を読誦してきたのだから、菩薩が見えて当然かもしれない。しかしお経も知らぬ童子やわしにも見えるというのは実にあやしい。まことの菩薩かどうか試してみるのも、信心のためなら罪を作ることにはなるまい」

そこで、とがり矢を弓につがえて強く引きしぼり、拝み伏している上人の頭越しに射かけてみた。矢はみごと菩薩の胸に命中し、とたんに火を吹き消すように光は消え失せ、大きな音をたてて何かが谷の方へ逃げて行った。

「こっ、これはいったい何をなされるのか」と泣き叫ぶ上人に、猟師がねんごろになだめるように言った。「お静かになされませ。合点がいかず怪しく思ったので試してみたまでです。決して罪作りなことではありませぬ」

しかし上人の嘆きは止まなかった。夜が明けてから菩薩が立っていたところを見ると、血がたくさん流れていた。その血をたどっていくと一町ほど下った谷底に、大きな狸がするどい矢で胸から背中まで射抜かれて死んでいた。それを見てやっと上人の悲しみは消えた。

修行を積んだ上人といえど智恵のない者はこのようにたぶらかされる。殺生の罪を作っている猟師といえど、思慮があれば狸の化けの皮をはがすことができる。狸は人を化かすことができるかもしれないが、そのために命を失うなら化かしたところで何ら益なきことである。

出典「今昔物語集。巻第二十。第十三話」

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