今昔物語その六

今は昔、京都の仁和寺(にんなじ)に観峰(かんぽう)という名の僧がおり、その従者に滝丸という十七、八歳の童子がいた。馬の草を刈らせたり肥え汲みなどをさせる下っ端の雑役係であった。

滝丸はいつも粗末な麻の着物を着ていた。夏は袖も付いていない丈が膝までの着物が一枚だけ、冬は着物を二枚着せてもらって召し使われていたのである。ある年の八月ごろ滝丸が主人に言った。「用があって出かけてきます」。これを聞いた皆が笑いながら言いあった。「あの小僧が一人前のことを言って暇を願い出たわ」

滝丸は仁和寺を出ると西へ向かい、鳴滝(なるたき)という所で川の水を浴びて身を浄めると、松の生えている野原へ行き、ススキを刈り集めて小さな庵を作った。そして中に入って西向きに坐って合掌し、声を張り上げて一心に「南無阿弥陀仏」と唱えた。

十遍か二十遍も唱えているとその声を聞きつけて、あたりにいた馬飼いや牛飼いの童子が集まってきた。「滝丸は何をしているのだ」と童子が立ちならんで見ていると、滝丸はこうしてしばらく念仏を唱えていたが、念仏の声が止むと同時に首を垂れて死んでしまった。合掌した手はそのままであった。

驚いた童子たちが知らせて回ったので、仁和寺の僧も数多く集まってきた。そして滝丸の最後を見て口々に言った。「まったく不思議なことだ。思い返してみれば滝丸は絶えず口をかすかに動かしていた。さては念仏を唱えていたのか」と合点し、皆が貴び合った。

出典「今昔物語集。巻第十五。第五十四話」

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