今昔物語その五

今は昔、陸奥(むつ)の国の小松寺(こまつでら)という寺に、蔵念(ぞうねん)という沙弥(しゃみ)が住んでいた。金泥(こんでい)の大般若経一部を書写供養した平良門(たいらのよしかど)の子であり、平将門(まさかど)の孫である。

蔵念という名は、地蔵菩薩の縁日である二十四日の生まれということで、地蔵菩薩にちなんで父母が付けた名であり、蔵念は幼いときから起居つねに地蔵菩薩を祈念して怠ることなく、また見る人みなが誉めたたえる美しい姿と、聞くものみなが貴ぶ妙なる声を持っていた。そのため人々はこの沙弥を地蔵小院(じぞうこいん)と呼んだ。

地蔵小院の所行は、はなはだ奇特なものであった。日々夜々(にちにちやや)に錫杖(しゃくじょう)をふるいながら家々を訪ねては、人々に地蔵菩薩の名を唱えて聞かせ、法螺貝(ほらがい)を吹いては地蔵菩薩の悲願を讃嘆した。そのため信心をおこす人がきわめて多く、殺生をほしいままにする人でさえ、この沙弥を見れば即座に悪心を止めて善心をおこすほどであった。そのため人々は、地蔵小院は地蔵菩薩の大悲の化身に違いないと言い合った。

このようにして年月を重ねて齢七〇になったとき、沙弥は独りで深い山に入り跡をくらました。国中の貴賎も男女も、沙弥がいなくなったことを惜しみ探し求めたが見つからず、悲しみ嘆きながら沙弥が入った山に向かって合掌礼拝して言った。「地蔵小院はまことに生きた地蔵菩薩であった。我々の罪があまりに重いので、我らを見捨てて浄土へお帰りになったのだ」。その後、沙弥の消息を聞くことはついになかった。

出典「今昔物語集。巻第十七。第八話」

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